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9 ロンウィ将軍に捧ぐ
深夜。
眠れなくて、俺は、要塞の物見台に上っていた。
月が煌々と照り渡る、澄んだ空気の晩だった。
アミルとラフィーはいない。二人とも、ロンウィ将軍の偵察隊についていった。
アミルは将軍の真上を飛んで。
ロンウィは、将軍の愛馬、コラーの足元を掘り進んで。
アミルは派手な鳥だし、軍馬の足元の土がもくもくと掘り返されたら、目立つのではないかと思う。あ、攻撃的偵察だからいいのか。偵察とはいえ、戦うことを前提としているから。
それにしても、ロンウィ将軍というのは、戦争が好きな人だ。せっかくバーバリアンが降伏してやったのだ。少しは休めばいいではないか。
「グルノイユ。グルノイユ!」
静かな空気を伝って、遠くから声がした。
「グルノイユったら!」
他の人には聞こえていないらしい。聞こえていても、カエルの鳴き声としか思わないだろう。
「姉さん?」
「グルノイユ、無事か?」
「父さんも!」
よく聞き分けると、家臣の何人かの鳴き声も聞こえた。彼らは上を向いて、必死にげこげこと鳴いていた。
貫禄ある人の姿の臣下達が、、上を向いて、今にも吐きそうな顔で(そうしないと、カエルの声が出ない)鳴いている。彼らの足元では、人型になる前の、若いカエルたちが、高い声で唱和している。
なんという忠義な臣下たちであろうか。
彼らは、主人親子の声が紛れるように、一生懸命、声を振り絞っているのだ。
「ロンウィ将軍が留守だと聞いてい来た。元気でやっているか、グルノイユ」
「ええ、父さん……」
「無体なことはされていないか?」
「大丈夫。ハーレムに押し込まれた他は」
「ハーレム?」
姉の声が裏返った。
「どどどど、どうなったの?」
「どうもこうもなってないよ、姉さん」
「グルノイユ、お前……」
焦って噎せた父を、俺は遮った。
「将軍のハーレムにいる女性たちが、俺のお世話をしてくれているだけさ。安心して、父さん。過酷な牢獄に監禁されているわけじゃないから。ハーレムの女性たちは、きれいだし」
「私より?」
「姉さんの方が、百倍、きれいさ」
俺は嘘をついた。
「それより、バーバリアンの民はどうしてる? リュティス軍が無茶を強いたりしてないだろうか」
焼き討ち。強盗。強姦。
勝者の兵が、敗戦国の民にすることは、大抵は同じだ。
そうでなくても、過大な税を取り立てたり、莫大な戦後賠償金を取られたり、戦争に負けると、経済が逼迫することは、目に見えていた。
「それが、そうでもないんだ」
父の声が聞こえた。
「強盗も略奪もない。ロンウィ将軍の兵は、規律を守り、我が民にも親切だ。噂は、やっぱり本当だったんだ」
ロンウィ将軍には、敗戦国に寛大だという噂があった。兵士たちには規律を守らせ、略奪を一切許さないというのだ。
その噂を信じ、一縷の希望に縋って、父は、俺を、彼の捕虜に出した。
リュティスとの講和条約が、少しでも、バーバリアンに有利になるように、と。
「戦争賠償金はどうなった?」
俺が尋ねると、暫くの間があった。
「それはまだ、わからない。賠償問題は、リュティスの皇帝が決めなさることだからな」
「ナタナエレ・フォンツェルは強欲だというよ?」
俺は心配になった。
リュティス皇帝ナタナエレは、征服した国を軒並み植民地化し、彼の親衛隊は、略奪の限りを尽くす。
「ロンウィ将軍が、皇帝と交渉してくださっているのだが……、ここだけの話、この頃将軍はどうも、皇帝のお眼鏡に叶っておられないようだ。なにかまずいことでも、されたのだろうか」
「大丈夫よ!」
能天気な声を出したのは、姉だ。
「将軍は、皇帝の戦友だもの!」
リュティス王国時代、2人は、王立軍にいた。ナタナエレ・フォンツェルよりも、ロンウィ・ヴォルムスの方が、昇進が早かったという。
皇帝になったナタナエレより、ロンウィ将軍の方が、はるかに有能だったのだ。
「それより、グルノイユ。ロンウィ将軍って、どんな方?」
焦れた声で、姉が尋ねてきた。
「イケメンじゃないよ」
恨みを持って俺は答える。
姉さんが適当な噂を真に受けるから、期待しちゃったじゃないか。
「どちらかというと、ブ男だ」
「ブ男ですって?」
「それに、高潔でもない。彼のハーレムには、人魚とケンタウロスと、鳥ともぐらがいる。鳥ともぐらは、少年だ」
「え? ライバル多すぎ……」
「ライバル? いやいやいや。ロンウィ将軍は、服装はみすぼらしいし、副官にはがみがみ言われっぱなしだし、ちっとも英雄らしくないよ」
「だが、敗戦国に対して寛大だという噂は、本当だった」
姉を押しのけ、父が首を振っている。
「バーバリアンに対しても、決して、無理な取り立てをなされない。取り立てた税も、橋や、道路の補修に使って下さる。我々の納めた税を、我々の為に使って下さるのだ」
考えてみたら、税を、民の為に使うことは、当たり前のことだ。だが、恥ずかしい話、わがバーバリアンでも、納められた税の全てが、民の為に使われてきたわけではない。
辺境伯とはいえ、領主である父の身支度は、それなりに調えなければならなかったし、宮殿や庭園の保全にも、呆れるほど、金がかかった。
ふと、俺は思った。
ロンウィ将軍の服装がみすぼらしいのは……。
庭にテント張って寝てるのは……。
「なあ、グルノイユ」
父の呼びかけに我に返った。
「将軍に話してみてくれないか。わしは、ロンウィ将軍なら、信じることができる。だが、この国が、皇帝ナタナエレの、支配下になるのだけは、どうしてもいやだ」
父が断言すると、背後と足元の臣下たちが、一斉に騒ぎ出した。
「ナタナエレは悪魔だ!」
「人喰い鬼だ!」
「地獄の大魔王だ!」
「ゲロゲロゲロ」
「しっ!」
父が諫めた。
すぐに、静寂が訪れる。
「だからもし、将軍が望むなら……」
苦渋に満ちた父の声の上に、姉の声が重なった。
「私を妻にどうぞっ! そしたら、バーバリアン公国は、将軍のものよ!」
「そんな……。姉さんが、犠牲に……」
俺は絶望した。
俺が戦争捕虜となるだけでは、ダメなのか。
大事な姉さんまで、差し出すなんて。
「父さん。皇帝の頭越しに、バーバリアン領をロンウィ将軍に献上する? そんなことができるだろうか?」
「できると思う」
父が答えた。冷静な声だった。
「ゴドヴィ河川一帯の、領主はみな、同じ意見だ。悪鬼ナタナエレの、直接支配に置かれるくらいなら、喜んで、ロンウィ将軍に領土を差し出すだろう」
「でも……」
将軍が、皇帝を差し置いて、敗戦国から直接、領土を獲得する。
可能なのか。
あの強欲なナタナエレ皇帝が、許すのか?
「ロンウィ将軍なら、可能だ。自軍他軍を問わず、彼は、軍の兵士たちの信頼が厚い。はっきり言って、皇帝よりずっと」
そういえば、敵の将軍も、彼に会いに来ると、小鳥のアミルが自慢してた。
皇帝より、有能で、人望が厚い将軍。
占領国や、敵軍までもが彼を担いで……
「それって、クーデターじゃん」
ナタナエレ・フォンツェルは、武力でクーデターを起こし、帝位についた。
そのナタナエレ皇帝に対し、父さんたち敗戦諸国の領主や、リュティス帝国の敵国は、ロンウィ将軍に、クーデターを起こさせようとしているのか?
「考え過ぎだ」
下から父の声が聞こえた。
「ゴドヴィ河流域、特に南のこの地区は、弱小国ばかりだ。殆どが湿地で、地味も悪い。こんな土地に、ナタナエレ皇帝は、興味がなかろうよ。だったらいっそ、ロンウィ将軍のお力で、守ってもらおうと思ってな」
父さん。
俺の他力本願は、あなたの遺伝だったのですね……。
「しっ!」
誰かが叫んだ。騒がしかったカエルの鳴き声が、一斉に止んだ。
「遠くから、何かが近づいてくる。天と地、両方からだ。我らは去る。とにかく、グルノイユ。わしら敗戦諸国の腹積もりだけは知っておいてくれ」
父の声が、凛とした張りを帯びた。
「弱小国ばかりだが、儂らは、ナタナエレ・フォンツェルに膝を折る気はない。だが、ロンウィ将軍になら、喜んで、全てを捧げる」
父の声を合図に、足元にいたカエルの若者達を、人間の姿に変態済みの者たちが掬い上げた。
小走りに馬に駆け寄り、あっという間に、走り去っていった。
彼らの言った気配を、間もなく、俺も感じた。
凄い勢いで、何かが空を飛んでくる。砲弾より早く、銃弾より大きいそれは……。
同時に、大地を揺るがし、何かが地中を突き進んでくる。
「僕の勝ち!」
風と共に、物見台のてっぺんから、声が降ってきた。
「なにをっ! 建物の基礎を這いあがる時間も計算に入れろよ!」
足元から、言い返す声がする。
「僕なんか、奪い取った敵の旗を、3つも咥えて飛んできたんだぞ」
「ぐぬぬ。土の中を通ったら汚れるからと、旗は預けてもらえなかったんだ。だいたいお前、鳥なのに、夜飛ぶなんて、ルール違反じゃないか!」
「黙れ! 獣人は、やろうとすれば、なんだってできるんだよ!」
「アミル! ラフィー!」
上を見上げ、次に地面を見下ろし、俺は叫んだ。
「お帰り!」
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