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ヤカーの女王
階段には踊り場があり、折り返し構造になっていた。踊り場正面には大きな絵がかけられている。絵は杏にとっては趣味の悪いものとしか思えない代物だった。中央で額に目が縦についている三眼の鬼があぐらをかいている。鬼は般若のような仮面をかぶった十八人の裸の女に取り囲まれていた。女たちが艶かしく腰をくねらせたり、片足を上げたりしている。絵の前には彫刻が立っていた。二面四臂の女の像だ。一方の顔は菩薩のようにおだやかだが、反対側の顔はやはり般若の面のような顔をしている。この像も裸で、そのからだが妙にリアルで艶かしかった。
一階の天井も高かったが二階も同様だった。二階建ての洋館だが一般的なマンションの四階建てに匹敵するのではないだろうか。外から見たとき二階のベランダがかなり張りだしていた。つまり一階のひさしにあたるベランダの広さの分、各部屋のひとつしかない窓がある壁はかなり奥まったところにあるということで、その分、陽が入らず室内は薄暗くなるという構造だ。ベランダに出て景色を眺めたかったが、考えてみればそのためには部屋に入らなければならない。だが、すべての部屋は施錠されていた。廊下に並ぶ扉のすべてをガチャガチャといわせながらノブを回したが無駄だった。
「あら、病室はすべて鍵がかかっているから入れませんよ」
突然かけられた女の声に杏の動きがとまった。振り返ると三人の白衣を着た女がすぐそばに立っていた。さっきまではいなかったはずだが、どこから現れたのだろう。
(きっと病室から出てきたんだわ)
悪いことをしているところを見咎められたような気分になった、杏はぺこりと頭を下げた。
「すいません。病院の中を見学してもいいって言われたもので」
「ああ、今度ここにいらっしゃる方のご家族ね」
一人の女が微笑みながら言った。微笑んではいるが暖かみは感じられなかった。
「あの・・・皆さんは、ここの看護士さんですか」
三人が一斉に微笑んだ。
「私は夏日(なつひ)よ」
「私は香奈(かな)」
「私は真瑠(まる)」
三人が自己紹介をした。
「私は春日杏です。今度お婆ちゃんがここにお世話になるかもしれない・・・」
「春日さん?」
「お婆ちゃん?」
「ああ、阿武蛇(あぶだ)さんの・・・」
「あぶだ?」
杏が耳にした聞きなれない名前を口にした。
「お婆ちゃんのお名前は?」
「珠子です」
夏日と名乗った女が他の二人に振り返って嬉しそうに言った。
「ほら!やっぱり!阿武蛇さんの珠子さんよ!」
「本当に」
「本当に」
香奈と真瑠が眼を細めて杏を見ながら笑みを浮かべている。
(アブダさんの珠子さん?何それ)
三人の看護士が前に立ちはだかるような形になり、杏はわずかに後ずさりした。背中が何かにあたった。それは大きなレリーフのひとつだった。階段の踊り場にあった絵に描かれていた般若の面をつけたような化け物が浮き彫り細工になっている石板が十八枚並んでいた。そのうちのひとつに寄りかかってしまったのだ。
「あ、すいません」
反射的にレリーフから身を話すと、三人の看護士が目を見開いた。
「まあ」
「あら」
「これはこれは」
「え?何?私、何かしました?」
「アブータ・サンニヤに触れたわ」夏日が言った。
「間違いない。アブータが呼んでいるのね」香奈が真瑠に話しかけた。
「もうすぐ会える」真瑠が香奈に頷いて、杏に顔を近づけて言った。
「もうすぐね」
生臭い息が杏の顔に吹きかかり、杏は顔をしかめるのは失礼だと思って息をとめて我慢した。
「それじゃあ、私、父と母が待ってますのでこれで失礼します」
ぺこりと頭を下げて杏はその場を立ち去った。気持ち悪い三人の視線がいつまでも背中に注がれているような気がして、振り返る勇気はなく、そのまま一目散に一階へ駆け下りていった。
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