ヤカーの女王

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ヤカーの女王

 春日珠子(かすがたまこ)の家を掃除している秋田晴美(あきたはるみ)は珠子の様子をうかがっていた。  介護認定では要支援1だが、難病認定をうけている珠子はからだの自由がきかない。杖をつきながら歩くのがやっとで、掃除ができなくなって一年がたつ。晴美はケアセンターの家事援助サービス派遣要員だった。施設のケアマネージャー広畑康子(ひろはたやすこ)が珠子の申請をうけて話し合い、週二回、台所と一階と二階の三部屋の掃除をする契約が結ばれ、晴美がその担当となっていた。  珠子は夫を亡くし、一人暮らしだった。息子が一人いるとのことだが同居をしておらず、連絡もまったくないという話だ。つまり、珠子は独居老人というわけだ。一九四五年(昭和二〇年)生まれで八〇歳に近いとマネージャーから聞かされてた晴美は家を訪れたとき家のすみずみを見渡した。  珠子の夫は公務員だったそうで、遺族年金と本人の年金でそれなりの生活をしていることはすぐにわかった。服や食器もなかなか凝ったものがハンガーや食器棚に揃っていた。  晴美が掃除機をかけている間、珠子は一階の居間のソファーに座っている。二回目の訪問の際、晴美はさっそく珠子から苦情を言われた。 「あなたがお掃除したあとね、ちっとも綺麗になっていないのよ」 「え、そうですか」 「台所はモップをかけてもらうことになっているでしょ」 「ええ、このあいだもちゃんとかけましたよ」 「うわべだけね。もっと力をこめてゴシゴシと拭いて欲しいの」  晴美は愛想笑いを浮かべながら「はいはい」と言葉を返した。 「お願いしますよ、お金を払っているんですからね」  珠子からの苦情はそれだけではなかった。「モップの絞り方が弱い」とか「掃除機のヘッドにからみついた髪をなぜ取ろうとしない」とか、契約にない浴室の掃除を要求してくることもあった。晴海はそれらの苦情をすべて聞き流していた。  今日も一通りの苦情を言ったあと、珠子はソファでうたた寝を始めた。それを見た晴美は「チャンス!」と小さく呟いた。  今日は二階のハンガーにかけてあるおしゃれな黒いファーの帽子をいただくことにしよう。きっとウサギの毛だ。持参した大きな肩掛けかばんの中にフワフワした帽子をすばやく放り込む。すぐにチャックを閉める。これまでも、小皿やシルクのブラウス、ブランドものの万年筆などを頂戴している。もっとも晴美は万年筆のブランドなどひとつも知りはしない。ただ、なんとなく高そうだからという理由で手を出したのだ。 「お掃除が終わりました」  終了報告をした晴美の声で目を覚ました珠子が玄関まで晴美のあとからついてきて言った。 「最近、よく物が無くなるんだけど、あなた何か知らない?」  晴美は一瞬、ひやりとした。何気なさを装って答える。 「え?どういうことですか」 「私がとても気にいっていた服や小物がどこを探しても出てこないのよ」 「しまい忘れているんじゃないですか」  「そんなことないと思うんだけど・・・」 「そういうことってよくありますよ。そしてひょんなところから出てきたりするんですよね」 「あなた、本当に何も知らない?」 「ええ、掃除をしている最中におっしゃるようなものが目についたことはありません」  珠子は晴美を睨みつけるように見ていたが、それ以上は何も言えないようだった。 (証拠なんかあるわけない)  晴美はたかをくくっていた。 (この仕事は本当においしい)  ちょっと残念なのは、珠子の前に担当していた老婦人のように貴金属など高価なものがこの家には見当たらないことだったが、日常品を盗み出すだけでも生活のたしにはなっていた。 (報酬が安いんだから、このくらいの役得はなくっちゃね)  晴美は心中で舌をペロリと出した。 「それでは、今日はこれで失礼します」  玄関のドアを閉じて背中を向けた晴美は薄ら笑いを浮かべていた。  閉じられた玄関を鬼のような形相で珠子が睨みつけていることはわからない。 「週に二回、来てもらっている掃除の人なんだけど・・・」  珠子はケアマネージャーの広畑康子にクレームを伝えていた。 「どうしました?」 「あの人が来ると、ときどき物が無くなるの」  受話器の向こうで言葉が途切れた。 「あの人が、ウチから物を持ち出しているとしか思えないの!」  珠子の声が大きくなる。 「春日さん」 「そうよ!間違いないわ!あの人は泥棒よ」 「春日さん、落ち着いてください」 「返してちょうだい。取り戻してよ、あの人がウチから盗んでいったものを!警察に言ってもいいのよ!」  広畑の声は落ち着いていた。あるいはこうしたクレームは多いのかもしれない。ものなれた様子がうかがえた。 「申し訳ありませんが、何か証拠がおありですか」 「そんなものないわ」 「それでは・・・」 「でも間違いないの!あの人が帰ると必ず何か物が無くなっているのよ!」 「春日さん、証拠もなく人を泥棒扱いはできません」 「だって・・・」 「もし、きちんとした証拠があったら、そのときは私どももしかるべく対応いたしますが、やった、やらないと言い合うだけでは、何とも対処のしようがないのです」  沈黙する珠子に広畑が提案をした。 「それでは、担当をかえましょう。いかがですか」 「私のものは・・・」 「それが本当に盗まれたのか、あるいはどこかにしまい忘れているのか判断ができません。ですから、当センターの派遣員が不審だとおっしゃるのなら、別の派遣員に切り替えます。それでご納得いただけませんか」 「あの人の評判はどうなの」 「・・・とても感謝されています。いい人だと・・・派遣先からは」 「嘘!身内をかばっているんじゃないの!あ、こういうことが続くと、どこか、お役所から認可を取り消されるからね!」 「春日さん、そこまでおっしゃるのでしたら、ケアセンターを替えていただくしかありませんね。近日中にお宅にお伺いします」  珠子が返事をする前に一方的に電話が切られた。
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