ヤカーの女王

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ヤカーの女王

「なあに?話って」  家の中で一番広いリビングに家族を集めた直人に郁美がのんびりとした声で聞いた。 「うん・・・実はな・・・」  直人は、順を追ってすべてを家族に話した。 「それって・・・本当の話なの?」  話を聞き終えた郁美が訝しげな顔で直人に聞いた。直人はこれ以上ないほど深く重々しく頷いた。 「信じられないとは思うが、本当の話だ。いや、本当の話だと俺が信じている話だ」 「確かに、お義母さんが関係した人たちが亡くなってはいるけど・・・体が不自由なお義母さんが自分より二周りは若い人たちを殺すなんてことできるのかしら・・・それに亡くなった結城園芸の社長は男よ」 「お袋はもう人間じゃないんだ。さっき話したろう?」 「うん・・・でも・・・」  郁美はまだ直人の話を信じられなそうだった。 「私はパパの話を信じるわ」  杏が直人を指示する側に回った。 「あの病院、ちょっと普通じゃなかったもの。それに私が二階で会った看護士さんたち、どこか人間離れした感じだった。パパが今話してくれたスリランカの悪魔と私があそこで見た嫌な感じの装飾や絵もなんかぴったりと一致しているような気がする」  同級生の仁から聞いた話も杏は語った。 「同級生にお寺の子がいるんだけど、彼も私の言うことをすべて肯定したわけじゃないけど、パパと同じ悪魔の話をしてくれたの」 「でもねぇ杏、私にはちょっと話が飛躍しすぎているような気がするの」 「病院に電話してみればいいんじゃない?」  理が手をあげて発言をした。 「それはあまり意味がないと思う」  直人が理の頭をなでながら言った。以前、病院に電話をしたときの邪禍の態度が冷たく、そっけなかったことを思い出し、それを家族に伝えた。 「もし、あの先生が悪魔だったら、正直に言うはずないもん。お婆ちゃんだって電話に出してはくれないんでしょう?」  杏は邪禍のことを悪魔だと決めたようだ。 「そんな感じだった」 「あなた」  郁美がなだめるように直人に言った。 「最近、お知り合いになったその記者さんや刑事さんの話を鵜呑みにしすぎているんじゃないの?」 「いや、俺にとってはリアルな話なんだ」 「あのお義母さんが病院を抜け出して、事件を起こすなんて私には思えないのよ」  郁美は研究所に預ける前の珠子の様子を思い出しているようだった。確かに難病と神経痛で歩くこともままならない状態だった。だが、その後の珠子を自分たちは見ていない。 「病院の二階で気味の悪い看護士が言った言葉・・・『ええと・・・あぶなんとかさんの珠子さんよ!』って、それを聞いたときなんだか知らないけどぞっとしたの」  杏の言葉に直人が頷いた。それは先日、村松が珠子にのり移った夜叉の名前としてあげたものだった。 「あの人たち、私が幾つも並んでいた板に触れたら、すごく嬉しそうにそのあぶなんとかが選ばれたみたいなことを言い出したのよ」 「ヤカーの手下に十八匹の夜叉がいるんだ」  直人が村松の資料を写したスマホの画面を郁美と杏に見せてピンチアウトしながらフリックして画像を進めた。 「あ、これよ!」  杏が直人のスマホの画面を指差した。杏が指差したのはサンニ・ヤカーの十八匹の手下の一匹「アブータ・サンニヤ」だった。 「『あぶださんのたまこさん』ってこれのことだったのね!あのとき『アブータが呼んでいる』とも言われたわ」  杏の言葉に直人は確信を深めた。姥山脳神経研究所はスリランカから渡ってきた悪鬼の館なのだ。そして心に深い孤独と狂気を秘めた人間を探し出しては、仲間の悪鬼をとりつかせる儀式の場となっているのだと。珠子はサンニ・ヤカーに目をつけられたのだ。 「郁美、納得がいかないとは思うが、もしケアセンターや花屋や、俺の昔の彼女にふりかかった禍が俺たちの身にも降りかかるとしたら、のんびりとはしていられないんだ。頼むから俺の言うことを信じてくれ」  直人はホテルを予約していた。  明日からとりあえず一週間、そこに家族で泊まろうと思っている。杏と理には学校を休ませるつもりだった。 「う~ん」  郁美はまだ意思を決めかねているようだった。  そのとき直人のスマホが鳴動した。 (なんだ?)  画面に発信者を継げる表示が浮かび上がった。 「珠子」と表示されていた。 「お袋だ!」  直人は飛び上がった。 「あら、ちょうどいいじゃない。お義母さんと話ができるわ」  スマホの鳴動が続いている。 「あなた、電話に出なさいよ」  郁美が直人に催促をする。直人は出たくなかった。  鳴動がやまない。  スピーカーに切り替え、音量を最大にして直人は電話に出た。 「もしもし・・・」  直人の喉はからからになっていて、喉の奥で気道がはりついているかのようなしわがれ声でスピーカーに語りかけた。  かなりの間があった。 「もしもし」  もう一度スマホに話しかける。  ゆっくりとした、抑揚のない声がスピーカーから流れた。それは冥界からこぼれてくるまさに悪鬼の声のように直人には聞えた。 「・・・見つけたあ」  嬉々とした珠子の声だった。  何も言えないでいる直人を無視して珠子の声がスマホから流れる。 「・・・これから行くからねぇ。・・・ちゃんと待っているんだよ」  通話が切れた。   「パパ、どういうこと?お婆ちゃんがここに来るって?」  蒼白な顔色になった直人が杏の問いに首を何度も小刻みにふる。手がぶるぶると震えだした。 「あなた」  郁美が直人の胸に手をあてた。スピーカーから流れてきた珠子の声に何か異質なものを感じたようだった。 「お義母さんがこっちに来るって?どういうこと?誰かが付き添ってくれているの?」 「いや、夜叉が家に向かっているんだ」 「お義母さんが電話をかけてきたんだったら、位置情報アプリはまだ生きているんじゃないの?」  郁美の言葉に直人ははっとなった。そうだ。位置情報がわかるかもしれない。咄嗟にスマホをたたいてアプリを起動した。 「あった!」  珠子を登録している位置情報アプリは動いていた。だが画面を見た瞬間直人は絶句した。  町内にいる!  それも自宅から一キロほど離れたところに。  珠子の位置を表す耀点が家にむかってくる。それもものすごい速さで。 「来るぞ!」  直人は叫んだ。 (まずい!)  アプリのマスターである自分の位置情報もスマホに表示されてしまっている。この情報は珠子にも送られているはずだ。珠子は直人に向かってまっしぐらにやって来る。 「まずい!」  慌ててアプリから自分の位置情報を非表示にしようとしたが、頭が真っ白になってしまい、どうやればいいのかが思い出せなかった。慌ててスマホをいじる直人を家族が恐怖の表情をうかべて見ている。 「ガシャーン!」  何かが雨戸に激しくぶつかった。  直人は慌しく電話をかけた。  コール音がもどかしい。 「早く!早く出てくれ!」 「はい村松です」 「村松さん?春日です!」  切迫した直人の叫びに村松は状況を察したようだ。 「来たんですか?」 「来ました!今、家の外にいます!」  外から何か固いものを雨戸に激しく打ちつける音がする。 「何?どういうこと?お義母さんがやっているの?」  郁美がパニックに陥ったように叫んだ。 「お婆ちゃんじゃないよ!悪魔よ!アブータ・サンニヤよ!」  杏が顔をひきつらせながら母親に答えた。  ジャックが低い唸り声を漏らしだした。唇の端がめくれあがり、鋭い歯が顔を見せた。いつもおとなしいラブラドール・レトリーバーにしては珍しく興奮を露わにしている。  ガン!ガン!ガン!  雨戸への攻撃の音が耐えられないほど大きくなり、屋内にいる皆の恐怖感を煽った。 「聞えます!外から侵入しようとしているんですね!」 「ええ!村松さん!山室さんに連絡できますか?」 「すぐにかけてみます。春日さん、頑張ってください!」  電話が切れた。 「お父さん!駅前交番の竹中さんへ電話したら?」  理が直人に春日家に近しいもうひとりの援助者の名を告げた。 「でも、電話番号が・・・」 「一一〇番でいいんじゃないの!」  杏が叫ぶ。  雨戸を破壊して外から中に入ろうとする騒音がますます大きくなった。 「携帯の番号を教えてもらっているんだ」  理が自分のスマホを取り出して電話をかけた。  理がスマホを欲しがったとき、小学生にスマホを渡すなんてと反対をした直人だったが、今となっては買ってやって本当によかったと思った。 「あ、竹中さん?今晩は」  相手が出たらしく理が挨拶をした。そんな悠長な挨拶をしている場合じゃないだろう!直人は理のスマホをひったくるようにして耳に当てた。 「お巡りさんですか?母の珠子がお世話になっていた春日です!」 「ああ、春日さん、今晩は。どうしました?」  直人の逼迫した雰囲気が伝わったようだ。通話の途中で竹中の声が急にしんけんなものになった。 「お願いです。家が・・・家が襲われているんです!」 「なんですって?もしもし、春日さんどういうことですか」 「時間がありません。家の外から雨戸を壊して侵入しようとしているんです!お願いです。話は後できちんとしますから、私たちを助けてください!」  瞬時、間があったがすぐに竹中の落ち着いた声が返ってきた。 「わかりました。とりあえずお宅に向かいます。それで、襲撃者というのは何人です?」 「ひとりです!ひとり!ひとりです!」  通話が切れた。  どこで受信したのかはわからないが竹中がここに急行してくれるのだろう。できれば応援の人数を連れてきてくれれば嬉しいのだが。積極的にそれを頼めばよかったと悔んだがしかたがない。竹中にしてもこの状況では、誰かに応援を要請するのは躊躇われるだろう。  ガシャン!  二階から音がした。珠子が屋根に飛び上がったのかもしれない。二階の雨戸もしっかりと閉じている。だが、どこまで持つだろうか。守るとしたらどこがいいか。山室の勧めに従って無理をしてでも武器を購入しておけばよかった。明日にでも買いだしに行こうと思っていたのだ。だが、もう遅い。  不意に静けさが訪れた。  家を外から攻撃していた珠子の動きがとまったようだ。直人は家族の顔を見回した。全員、血の気を失っている。特に郁美の様子がただならぬもののように感じられた。直人の話を信ぜず、珠子が生きていると疑いもしていなかったが、どうやら事態の切迫性にだけは気がついたようだ。そして、直人の話がもし真実だとしたら、 直人が語ったように生前、珠子が嫌っていた人間が珠子に食い殺されることになるという考えたくもない直近の未来をイメージしたのかもしれない。歯がガチガチと震えだし、ひっ!ひっ!と口で短い息を何度も吸いこんでいる。 (いかん!)  過呼吸になると思い、直人は郁美の背をなでた。 「郁美、ゆっくり息を吐き出すんだ。杏、ポリ袋を持ってきてくれ!」  杏が台所に駆け込んで持ってきたポリ袋で郁美の鼻と口を覆い、二酸化炭素を補わせようとした。何回か袋が萎んだり、膨らんだりするのを見て、直人は郁美の顔からポリ袋を遠ざけた。 「あ、ありがとう、あなた」  ぜいぜいと息をしながら、郁美が直人に大丈夫だというように手をあげた。 「ピンポーン!」  リビングの壁にかけられたテレビ付ドアホンが鳴った。 「はい!」  端末にとりついた直人はモニターに映る制服姿の警察官にトークボタンで声をかけた。 「春日さん?竹中です。さっきの電話ですが・・・」 「お巡りさん!危ない!後ろ!」  そう叫ぶのが精一杯だった。  警官の後ろに人影が映り、警官がその気配に気付いて振り返ろうとする前に、尖った爪が生えた両手が警官の頭を包みこみ、あっというまに首を百八十度ひねってしまった。映像だけだったが、直人にはゴキッという首の骨が折れる音が聞えたように思えた。ドアホンの映像を見ていた杏が悲鳴をあげた。  警官が近づいたことを知り、珠子が身を潜めていたのだ。  ドアホンのカメラに夜叉の姿が映し出された。夜叉は警官の首をねじ切ってしまった。モニターが真っ暗になった。直人のスマホがまた鳴動した。  モニターに「村松」の名が浮かんだ。 「もしもし!」 「春日さん大丈夫ですか」 「夜叉がたった今、玄関で警官を殺しました」 「なんですって!」 「奴はまだ家には入ってきていません。ですが今、我々は孤立無援の状態です」 「山室さんは今日、勤務中でした。飛び出してきたとしてもすぐに駆けつけられないと言っています」 「村松さん!私は・・・」 「落ち着いてください。山室さんがそちらの所轄暑に電話をしたそうです。もうすぐ支援が駆けつけます」  村松のその言葉が終わらぬうちに、緊急車輌のサイレン音が近づいてくるのが聞えた。 (助かった!)  夜のしじまを切り裂くようなサイレン音が幾つも鳴り響き、ものすごい勢いで家に向かっている。  郁美が床に座り込み、杏が母親のからだを抱きしめていた。理がジャックの首に手を巻いている。 「春日さん!春日さんいらっしゃいますか!」  玄関のドアがドンドンと激しくたたかれ、外で「酷ぇえ!」という複数の叫び声があがっていた。首を千切られた竹中の遺体を見たのだろう。
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