ヤカーの女王

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ヤカーの女王

「私は反対です!あなたの身に万が一のことがあったら・・・私たちにいったいどうやって生きていけっていうの?」  山室の提案で邪禍の研究所を襲うという話を家族にうちあけた直人はさっそく郁美から猛烈な反対をくらった。潜んでいたホテルを出て、ペットホテルからジャックを回収し、避暑地のコテージを借りてそこに避難した夜のことだ。 「おまえの言うことはよくわかるが、これから先逃げ続けても、いつかまた見つかって襲われる可能性は高いと思わないか」  直人の正論に郁美は論理的な反論ができず、悔しそうにうつむいた。杏は不安そうな顔をしている。理はジャックの首に抱きついて両親のしんけんな話し合いを見守っていた。 「でもパパ、あの研究所に行って何をするの?悪魔を退治する?それってあの連中を殺すってことでしょ」 「そうよ。そんなことをしたら、あなたが警察に捕まっちゃうんじゃないの?」 「かもしれん」 「だったら!」 「だとしても!」  郁美の言葉をおさえこんで直人は言った。 「だとしても、おまえたちがあの夜叉に食い殺されるなんてことよりはよっぽどいい!」  口をつぐんでうつむく郁美の肩に手をのせて直人は説得を続けた。 「山室さんも一緒だ。それに俺たちに協力してくれる味方もみつけた」 「どういうこと?」 「邪禍の研究所にいったとき、病院に二人の患者が入院していたろう?」 「ええ」 「ということは、その患者も夜叉にとりつかれて、最終的には家族を襲うことになる」 「そうか・・・」  杏がひとりごちた。 「考えてもいなかったわ。でもパパの言うとおりね。私たちと同じような家族が二組、生まれるんだ」 「ウチが襲われたとき、警察が姥山脳神経研究所に捜索の手を伸ばしているんだ。そのときに入院患者の個人情報を入手している。山室さんが、その情報をうまいぐあいに聞き出したのさ」 「じゃあ、その患者さんの家族と会ったってこと?」 「山室さんがね。警察だってことで信用してもらいやすいんだ。それに一家族はすでに身内に不幸があって何かおかしなことがおこっていると薄々思っていたらしいから話は早かった」 「身内の不幸?それって夜叉に喰われたってことじゃないの?」 「いつものようにからだを千切られて喰われたような死に方ではなかったんだ。何かから逃れようとしてビルの屋上から転落死したっていうことらしい。自殺の線もあったそうだが、家族は故人が自殺しなければならない理由が思い当たらずに悩んでいたそうなんだ。それで最終的には山室さんの話を信じることになったらしい」 「協力してくれることになったのね」 「ああ」 「研究所を襲うことに同意したわけ?」 「そこまでの説明はしていないが、山室さんと一緒に研究所に行って、入院患者に合わせろとせまることになった。あとのことは成り行き次第だけどね」 「ちょっと杜撰すぎない?」  郁美が首を振る。 「パパ、もうひとつの家族は?手伝ってくれないの」  今度は杏に向かって直人が首を振った。 「連絡をとるのが遅すぎた。患者の家族、一家三人全員が焼死していた」 「でも、ニュースにはなってないよ」  杏の疑問に直人が答える。 「地方なんだ。ローカル局のニュースで少し流れただけらしい。親族がことを隠したがったって話だ」 「地方って、世間が狭いからね。何かあるとすぐに『あの家は』なんて言われるから、わかるわ」 「じゃあ、邪禍退治に行くのは山室さんとパパと、あとは?」 「新庄さんという四十歳の人とその息子さんで二十歳の大学生。アメフトをやっているということだ」 「四人だけで悪魔に立ち向かうの?」  杏が父親の心配をして不安そうな声になる。 「正攻法でいくつもりはないから、そんなに心配するな。だがこのことは誰にも言うなよ」 「わかってる。それに話をする相手なんかいないよ」 「そりゃそうだ」  直人が杏の頭に手をあてて、髪をくしゃくしゃにした。普段だったら烈火のごとく怒るのだが、今日は泣き笑いを浮かべながら、直人のすることを許してくれた。直人の顔も複雑な表情になっていた。 「パパ、ジャックを連れていく?だったら僕も一緒に行くよ」 「理、ジャックはおまえたちを守るんだ。だからママとお姉ちゃんと一緒にここでパパを待っていてくれ」  直人は理の頭にも手をやって、姉と同じように髪をくしゃくしゃにした。ジャックは直人を見上げている。 「ジャックも頼むぞ」  直人の言葉を理解したかのように、ジャックが短く、一声鳴いた。  杏のスマホに着信があった。 「あ、仁からだ」  杏が電話に出る。 「はい、もしもし」 「杏か?」 「うん、仁、どうしたの?」 「誰だ?」  娘が男と話をしているらしい様子を見て、直人はやや不機嫌な声になった。スマホのマイクを手で覆って、杏が答える。 「同級生だよ。お寺の息子。前に邪禍のことを知っていたって話したじゃん」 「そうだっけか?」  直人の声はどうしても少しとんがってしまう。 「もしもし、仁、お待たせ。どうしたの?」 「どうしたのじゃないだろ!おまえんチ、いま大変なことになってるんだろ」 「そう!お巡りさんが玄関で殺されちゃってさ」 「知ってるよ。町中、その話題でもちきりだって」 「でも警察は信じてくれないのよ。お婆ちゃんがやったことだって言っても!」 「そのことなんだ。おまえ前にヤカーの話をしていたよな」 「うん」 「あのときは俺も半信半疑で話を聞いていたんだが、実はさ、そのことを家で話したら、爺ちゃんが異様に興奮してさ。おまえに合わせろってうるさいんだよ」 「仁のお爺ちゃんが?」 「ああ、爺ちゃんは戦争中、空母に乗っていたんだけどさ。なんでもその空母がインド洋を航行中にヤカーにとりつかれたって言ってるんだ」 「そんな昔の話なの?あんたのお爺ちゃん、幾つ?なんていう名前?」 「九十・・・八ぐらいかな・・・日堂晃っていうんだ。当時は少尉だったらしいけどね。変だろ?坊主が人を殺す戦争に参加するなんてさ」  仁の話が脱線した。 「お爺ちゃんもお坊さんだったんだ」 「今でもそうだよ。で、今、どこにいるんだ?」 「それは言えない。私たちは今、夜叉に狙われているんだから」 「そうか、そうだったよな。わかった。じゃあウチに迎えに来てくれないか?お爺ちゃんをさ」 「ちょっと待って」  スマホから顔を離して杏が直人に言った。 「同級生のお爺ちゃんがヤカーについて何か知っているみたい。話をしたいんですって」 「お爺ちゃん?」 「うん。なんでも戦争中に空母に乗っていたんだって。その空母がヤカーにとりつかれたって言ってるの」  直人は死んだ村松から聞いた話を思い出していた。たしか・・・セイロン沖海戦!娘の同級生の祖父は、セイロンから日本へ渡ってきたヤカーについて同時代の知識を持っているのか!直人は杏に叫んでいた。 「どこに向かえに行けばいい?教えてくれ」
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