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終章 さよなら769
《そろそろエンディングとなりました。小野さわ子769、一年間生放送で走り続けてまいりました。長い間お付き合いいただきまして、ありがとうございました》
電源を落としたスタジオの中で、さわ子は深々とお辞儀をした。
列車事故の翌月、さわ子は独断で放送した責任を取ってラジオ局を辞めることにした。間違ったことをしたとは思っていない。乗客から感謝の手紙ももらった。でも「自分にしかできない、声の仕事」を、とさわ子の背中を押してくれたのは、親友の朋子だった。
「やっぱりさわ子には、人に直接語り掛ける仕事が向いているって、確信したわ」
列車に半日閉じ込められた妊婦の朋子は、念のために一泊入院して様子を見てから退院となった。
「あのとき乗客全員が、不安な中でさわ子の朗読に聞き入ってたよ。ただ読むだけでなく、聞く人に情景を浮かばせて、登場人物の声が突き抜けて心に迫ってくる読み聞かせ。あんな状況でなければ、最後まで聞いていたかった」
「そんな、私はただ夢中で……」
「さわ子、あなたには人の心を揺さぶる才能がある。テレビやラジオを通じてでなく、相手の目を見て話しかける才能が」
朋子は、さわ子の手を力強く握りしめた。
「あとは自分で考えることね、『本当の幸せ』。私も負けずに、お産まで今の仕事続けるから」
「朋子の代役できなくて、ごめん」
朋子は来たときと同じく、風のように去っていった。
「今井くんはどう思う? 朗読の仕事って」
アジアン食堂で餃子を取り分けながらさわ子が尋ねると、
「市報しばたで、図書館の朗読会の記事を書いたことがあります。司書さん、ご紹介できますよ。僕、さわ子さんのこと応援してますから!」
声。電波に乗って、ネットを通じて、直に空気を震わせて、みんなに届く私の声。
《ありがとう、769のスタジオ》
さわ子は、机の上にヘッドフォンをそっと置いた。
四月から市立図書館でさわ子の子ども向けの朗読会が始まる。初回は、小学校の教科書に載っている「やまなし」にしよう。弾むように歩きながら、独特のオノマトペを口ずさむ。春風のゆらぎとさわ子の声が調和して、街中に吹きわたっていく。
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