第七章 SOS76人

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第七章 SOS76人

e134b53a-774e-43a6-86c8-375e6a6a4cb2 《二月二十一日金曜日、さわ子のゆうどきラジオ769、ここまで『新発田の旬の味覚紹介』のコーナーをスーパー山川の提供でお送りいたしました。ここでいったんCMです》  さわ子はマイクをミュートにして、こめかみを押した。昨日の深酒がまだ残っている。再び気合を入れてマイクをオンにする。 「時刻は午後五時になりました。ここでニュースをお知らせいたします。JR白新線は、上下線とも雪のためダイヤが乱れております。繰り返しお伝えします」  昨夜は風情ある雪見風呂を楽しんだというのに。スタジオの外では、日本海側特有の重くて湿った雪が歩道に積もっていく。  朋子と飲み明かした翌日、さわ子はラジオ番組のため、朋子は帰京するために昼過ぎに新発田駅で別れた。 《こちら市役所前広場も、歩いている人はほとんど見られません。雪のため視界がたいへん悪くなっています。車を運転中の方は、ライトを点灯して、くれぐれもお気をつけください。  JR各線の状況です。白新線は、除雪作業のため新発田―新潟駅間で運休となりました。新しい情報が入り次第、お伝えします。なお、新潟駅発着の上越新幹線は平常通りの運行です》  東京育ちの朋子は、数センチの積雪でも慣れていない。妊婦なのに、無理して会いに来るから。 「時刻は午後五時五十分となりました。三時間生放送でお送りしてきました、ゆうどきラジオ769、お別れの時間が近づいてきました。みなさん、よい週末をお過ごしください。本日最後のリクエスト曲は……」  さわ子は操作盤に置いた指を慌てて止めた。目の前のモニターに、臨時ニュースのテロップが流れている。  かけようとした曲は、スキーブームの真っただ中に流行した、ゲレンデのラブソングだった。 《先ほどお伝えしたJR白新線の続報です。新発田駅を定刻より遅れて午後四時三十九分に発車した白新線普通列車新潟行きは、線路に積もった雪のため西新発田駅付近でストップしております。復旧の見通しはたっておりません。このあとの番組内容を変更して、ニュースを続けます」  非常事態だ。応援を頼みたいが、スタジオを空けて放送を中断するわけにはいかない。右側のサブモニタにメール着信の通知が入った。 「Toさわ子 from朋子  いま停車中の電車の中。乗客は八十人くらい。半分は学生で、あとは会社員風。具合の悪そうな人はいないけど、乗務員がスコップを持って外に出て行ったきり戻ってこないの。電気と暖房はついている。みんなSNSしてるけど、情報が錯そうしてるみたい。ラジオで落ち着くように呼び掛けて」  朋子が車内に閉じ込められている。自分が独りでなんとかしなくちゃいけない。さわ子は大きく深呼吸をして、ヘッドフォンを着け直した。  マスメディアは、確かなソースのある情報しか伝えてはいけない。リスナーからの情報を、報道として公共の電波で流していいものだろうか。さわ子の独断で。  今この瞬間にも乗客は自分の置かれた状況を知りたがっている。家族は列車内の様子を心配している。救助に向かう人たちが情報を欲している。FMしばたはサイマルラジオ、災害時に同時発信できるように作られたラジオ局だ。 《列車内の乗客の方からの報告で、車内の様子が分かりました。FMしばた独自の情報です。列車内に残された人は約八十人。けが人はおりません。電気、暖房は動いており、みんな落ち着いて救助を待っている状況です。  停車中の列車内でこの放送を聴いている方がおりましたら、周囲の方に伝えてください。現在、JR東日本と新発田警察署が現地へ向かっています。冷静に待機してください》  しゃべっている自分の方が、落ち着かなくてはいけない。 「さわ子さん、ラジオネーム『iCON』です。列車内にいます」  受験生の『iCON』さんも、閉じ込められている。大学入試二次試験は、明後日のはずだ。 「列車は二両編成で、先頭車両は雪の塊に乗り上げて脱線しています。一両目は電気も止まり、みんな二両目に避難してます。ボックスシート、ロングシートとも、みんな詰めて座っていますが、何人かは床に座っています。一部の人たちがドアをこじ開けて脱出しようとしています。なんとかラジオで説得してください」  さわ子は、スポット天気図をモニタに表示させて素早く解析した。 《十八時現在、新発田市付近の気温はマイナス二度、北西の風五メートルで、猛烈な吹雪にみまわれています。付近の積雪は約八十センチと予想されます。列車の外へ出ることは危険です。列車は現在、西新発田駅から約五キロメートルの地点で停車しています。田んぼの真ん中で、近くに民家や道路はありません。乗客の方々にお伝えします。徒歩で脱出することは大変危険です。列車内にとどまって、救出を待ってください》  今井が、大きく手を振ってスタジオに向って走ってくる。アクリル板越しに新発田市防災マニュアルを押し付けて、さわ子に見せる。内側に声はいっさい聴こえないと、さわ子がジェスチャーで示す。  今度は大きなホワイトボードを持ってくると、マニュアルの内容をマーカーで書き出した。 ・災害時はデマが拡散される。SNSの情報に惑わされず、公共放送のニュースを頼ること。 ・スマートフォンは情報、連絡に不可欠な手段。画面の輝度を下げて、バッテリーを温めて消費電力を極力抑えること。  ありがとう、助かる。さわ子は親指を立てて答えると、放送を続けた。 《乗客の皆さん、ご家族、知人の方に連絡を取り終えたら、スマートフォンのバッテリーを温存してください。個人的なSNSへの発信や写真、動画をアップすることは、デマを広げる原因となります。控えてください。  次は、午後九時から最新のニュースをまとめてお送りします。それまでの間、スマートフォンの電源を切ってお待ちください。ご年配の方、乳幼児に配慮して、助け合って救助をお待ちください》 「さわ子さん、『走れヒロシ』です。うちは事故現場の近くです。狭い農道で除雪車は入れません。近所の男たちで、人力で線路まで道を作ってみます。ラジオで呼びかけて、日渡地区へ人手を集めてもらえますか?」  私にそこまでの権限があるのだろうか? 今井に目配せする。今井はボードにマーカーを走らせる。 「スコップじゃ無理だ。横一列で、かんじきで踏み固めて進むんだ」  新発田の山間部で育った今井ならではの助言だ。 《「走れヒロシ」さん、くれぐれも安全第一でお願いします》 「さわ子さん、タクシードライバーの『不滅の巨人』です。乗客が歩いて脱出できても、病院まで運ぶ車が多数必要だと思います。自分がタクシー仲間に声をかければ、二十人くらいは集められます。どこで待機していればいいか指示してください」  ありがたい。さわ子はそこまで考えが行き届かなかった。コピー用紙にサインペンで走り書きをして、スタジオブース外で待機している今井に向かって伝言をかざす。今井は大きく頷くとホワイトボードに返事を書いた。 「県道二十六号線までは除雪車が入っています。中央高校前の交差点付近で待機してもらえば、病院までピストン輸送できます。タクシー協会へは僕が連絡します」 「さわ子さん、助けて。『あっくんママ』です。あっくんは生後七か月なのですが、替えのおむつも使い果たしてしまい、ずっと泣き止みません。周りの人たちは何も言いませんが、みんないら立ってます。助けてください」 「さわ子、朋子です。みんなスマホ倹約して使っているけど、どんどんバッテリー切れ。私もあと残り五パーセント。ひとり乾電池の携帯ラジオ持っている人がいて、音量大きく流してくれている。こっちからはメールできなくなるけど、さわ子の声みんな聞いてるから、元気づけて。お願い」  自分には、これ以上なにが出来るだろうか。救助が着くまで、眠ってしまわないように、待つ時間を苦痛にさせないように、いら立ちを抑えるように。曲を流しても、五分間で終わってしまう。年代によって好き嫌いのジャンルもある。  考えるんだ。ラジオの力、声の力。昨夜の朋子との話が頭に浮かぶ。顔も知らないリスナーがさわ子を信じて助けを求めて待っている。さわ子もあきらめない、メロスのように。メロス? 朗読? この状況で何を読むというの?  声優養成所の朗読課題「銀河鉄道の夜」は約四万字、音読で二時間半。今でも全編暗記してそらんじることができるはず。宮沢賢治は没後八十七年。著作権は切れている。  さわ子は声優の卵に戻った。 《「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていたこのぼんやりと白いものが本当は何かご承知ですか」先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問いをかけました。 カムパネルラが手をあげました》  すらすら思い出して朗読できることに、さわ子は自分でも感心した。スタジオのモニタには青空文庫のテキストを表示させているが、サブモニタのニュースからも目が離せない。 「銀河鉄道の夜」には様々な解釈があるけど、私はそれを伝える役目。聴く人みんなが考えて、時間を忘れてくれればいい。  心配なのは「銀河鉄道の夜」はただの幻想的なファンタジーだけではない。希望を持って救助を待ち続けている人たちに、最後の別れの場面まで私は読んでいいのだろうか? 悩みながら、さわ子の銀河鉄道は走り続ける。 《「こっちはすぐ食べられます。どうです、少しおあがりなさい」鳥捕りは、黄いろな雁の足を、軽くひっぱりました。するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいに離れました。 「どうです。少し食べてごらんなさい」鳥捕りは、それを二つにちぎって渡しました。ジョバンニは、ちょっと食べてみて、(なんだ、やっぱりこいつはお菓子だ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。この男は、どこかそこらの野原の菓子屋だ。けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべているのは、大へん気の毒だ。)と思いながら、やっぱりぽくぽくそれを食べていました》  さわ子は、朗読しながら考える。列車の乗客は、もう八時間以上車内に閉じ込められている。みんな空腹だろう。あっくんは母乳飲んでるのかな? 妊婦の朋子は……今は考えないようにしよう。 《今日か昨日のあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾むきもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かったのです。ところがボートは左舷の方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫びました」》  船の遭難事故、この場面あるのを分かっていて、さわ子は「銀河鉄道の夜」を読むことを選んだ。私は残酷なのだろうか。みんな助かるから、希望を捨てないで。お願いだから。 《「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのように本当にみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」 「うん。僕だってそうだ」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。 「けれども本当の幸いは一体何だろう」ジョバンニが云いました。 「僕わからない」カムパネルラがぼんやり云いました。 「僕たちしっかりやろうねえ」ジョバンニが胸いっぱい新しい力が湧わくようにふうと息をしながら云いました》  さわ子は極度の緊張と疲れでぼうっとしてきた。物語は自然と口をついて出てくる。本当の幸い、乗客の救出、リスナーの満足、自分の幸いとは? そしてこの後、物語には悲しいお別れの結末が訪れる。  今井が、スタジオのアクリル板を激しく叩く。さわ子は現実に引き戻された。サブモニタに緊急ニュースが入っている。 《ここで朗読劇を中断して、臨時ニュースをお知らせします。雪のため停車している白新線の列車に、救助隊が到着しました。軽度の低体温症とみられる五名が担架で降車して県立病院へ運ばれています。そのほかの方は徒歩で降車し、順次、駅前複合施設に移動中です。重症者はいません。  また、多くの乗客の方のスマートフォンは充電切れとの情報が入っております。ご家族の方の連絡先は駅前複合施設、電話番号は0254―28―××××。繰り返しお伝えします》  時刻は午前四時半。丸半日もの間、列車に閉じ込められていた乗客七十六人は、全員無事に救出された。受験生の拓海は上京して試験を受けられるだろう。あっくんこと台輔は、朗読が始まると泣き止んで眠ったと聞いた。朋子も無事だという。  FMしばた開局以来、初の深夜放送は、終了した。 「がんばりましたね、さわ子さん。ほんっとうにお疲れさまでした。これ、よかったら」  今井がホットコーヒーの紙コップを持ってスタジオに入ってきたとき、さわ子は 「本当の幸せとは……」 デスクに突っ伏して、心の中の銀河鉄道に揺られていた。
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