306人が本棚に入れています
本棚に追加
5.クランケ
思春期に入り、両親は彼方と番うことを次第に口にするようになった。
僕に献身的な彼方を見れば、誰もがそう思うだろう。彼方の視線の中に僕への欲を感じるようになったのもその頃だ。彼方を避け始めて、僕は体調がひどく悪化した。
高校で、僕は貧血を起こして倒れた。保健室に現れたのは彼方だった。彼方に触れるだけで体が楽になる。早退し、引きずられるようにして、彼方の部屋に連れて行かれた。部屋でキスをされた途端に、嘘のように体の怠さが消えた。
僕は、ベッドに体を押し倒す彼方を止めなかった。
⋯⋯僕たちがこうなってしまったのは、きっと間違いなのだろう。
互いに自分の利益ばかりを優先したのだ。
一週間ぶりに大学に行くと、カフェテリアで優希が待っていた。
風邪から体調を崩している間、毎日メッセージが届いた。
こちらが返信しなくても関係ない。
まめなんだな⋯⋯。
眺めるたびに、ほんのりと心が温かくなった。
テーブルの上で指を組み、しきりに動かしている。
「あ、あのさ。もうすぐクリスマスなんだけど⋯⋯。予定、空いてるかな」
「⋯⋯パーティとか?」
人が大勢集まるところは苦手なんだ、と続けると何とも困った顔をする。
「違う。パーティじゃなくて。俺と」
「俺と?」
「一緒に⋯⋯過ごしてほしいんだ」
「優希と? バイト先に⋯⋯とか?」
何かイベントに参加してほしいと言うことだろうか。
意味が分からなくて目を瞬くと、「あーもう!」と目の前で叫ばれた。
「本当にわかってないんだな。そうじゃないんだ」
──俺は、クリスマスを理智と二人で過ごしたいんだ。
優希は、ぼくの目を見て静かに告げた。
「くりすます⋯⋯」
僕は、大きく目を瞬いた。
口に出したら、なんだかとても甘い響きがあるような気がする。
「そうだ。理智さえよければどこでも⋯⋯。あ、外はまずいのか?」
「冬はいつも調子が悪くて。家族以外と過ごしたことないんだ」
家族と⋯⋯彼方と。いつも、一緒だった。
大学生にもなって、と言われるかもしれないが、本当のことだ。
「クリスマス当日はダメなんだけど。イブなら」
「⋯⋯っ! やった!!」
「ごめん、夕方まででいい?」
「うん、それなら、朝から出かけよう」
まるで太陽のような優希の笑顔が眩しくて、僕は目を丸くする。
優希が僕の手を握ってぶんぶん、と上下に振った。
この男と一緒にいたら、真昼の世界にいられるような気がした。
〈水族館に行こう〉
少し経って、優希からそんなメッセージが来た。
すぐに、OKのスタンプを送った。
大学の帰り道に、駅前の本屋に寄った。
店内には、クリスマスの飾りやラッピングされた商品が溢れていた。
優希はいつも、文庫本に革の表紙を付けている。
気に入っているようだけれど、だいぶ古くなって、すり減っていた。
代わりのものを贈ったら、喜んでくれるだろうか。
クリスマスカードの隣に、小物を置いてあるコーナーがあった。
革製品もいくつかあったが、ブックカバーは僅かだった。
深い緑のカバーと焦げ茶のカバーを手に取る。優希には、どちらも似合うような気がした。
ためすがめつ眺めていると、ドン!と後ろから人がぶつかってくる。
振り向けば、学生服姿の子がふらついてしゃがみこんでいる。
「⋯⋯大丈夫?」
「あ、すみません⋯⋯」
貧血なのだろう。そして、この子は⋯⋯、クランケだ。
ノーマルにはわからないと言う。
でも、クランケには、クランケやドラッグのことがわかる。⋯⋯もちろん、逆もだ。
ドラッグは、同じドラッグやクランケのことがわかるのだ。
店員が声を掛けてくる。
「大丈夫ですか?」
心配と⋯⋯、僅かに好奇の混じった瞳。
幼い頃から、何度も見てきた目だ。
「すみません。気分が悪いようなので、そこの椅子で休ませます。これ、購入しますのでラッピングしておいてもらえますか」
焦げ茶のカバーを頼み、自分用には深緑のカバーを選んだ。
少年に手を貸して、店に置かれている椅子の一つに座らせた。
背をさすっていると、だんだん彼は落ち着いてくる。
「君、クランケなんだろう?」
丸い瞳の人懐こそうな少年は、僕の顔を驚いたように見て、目を瞬いた。
「⋯⋯心配しなくていい。僕もクランケだから」
少年は赤い顔をしている。熱でも、出てきたんだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!