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9.星と鎖 ~最終話~
体力がぎりぎりの僕に、僅かな成功の可能性しかない手術は危険だった。
「理智くん。このままだと、君の体はもたない」
鷺沢病院の最上階にある個室で、以前、院長は言った。
「彼方と番になれば生き延びられる」
父と母は泣いていた。
彼方は何度も言った。
「俺の血を飲め」と。
ドラッグにとって、その言葉は求愛に等しい。一度血を分けてしまえば、クランケとは生涯、繋がれたままの関係になる。
他の誰にも、この先自分の血を分けない。助けるために触れもしない。
例え、それで誰に何と謗られようとも構わない。
医者の息子である彼方の言葉を、彼の父も周囲の人々も、どんな気持ちで聞いたのか。
二人で行ったレストランで、彼方は倒れた客を助けなかった。
ドラッグは、クランケだけでなくノーマルも助けることができる。
あの時、彼方が手を貸せば、救急車を呼ぶ必要もなかっただろう。
それでも、助けを乞う店長の言葉に耳を貸さなかった。
彼方は、必ず僕の言葉を聞いてくれる。
若くて献身的なドラッグが、自ら番になると言ってくれている。
何を断る理由があるのだ、と万人が言うだろう。
彼方が嫌いなわけじゃない。
むしろ⋯⋯。
優希の輝くような笑顔がよぎる。
真昼の太陽に焦がれた。
彼方の優しい微笑みが浮かぶ。
闇の中の光に救われてきた。
僕は。
本当は。
☆★☆★☆
目を開けたら、白い天井が見えた。
動かない腕から何本も点滴の管が伸びている。
⋯⋯助かったのか。
ベッドの脇に座っている人の姿に気づく。
「彼方」
彼方が、僕の手を握る。
温かかった。
僕は気づいた。
彼方の体温をすぐに感じ取れる。
今まで、こんなことはなかった。
僕の手を自分の頬に当てて、彼方は言った。
「理智。一生、俺を恨め」
彼方の涙が、手の上に落ちる。
幾つも幾つも。
病室の端に飾られたツリーに目を留める。
あれは、誰が飾ったのだろう。
「⋯⋯昔、星を取ってくれたよね」
「お前の為なら、天からでも取ってくる」
思わず笑った。
「そんなの、無理だよ」
後から、母に聞いた。
手術中に容体が急変したのだと。
僕の両親と共に待機していた彼方は、両親に土下座し、自分の父にすがりついた。
「お願いだから、って」
母は口元を覆って肩を震わせた。
反対する理由など、両親にはどこにもなかっただろう。
──僕は、彼方と番になった。
聖夜に西方の地で神の御子が誕生した時。
東方の国では、今まで誰も見たことがないような星が西の空に見えた。
東方の三博士は、王が生まれたことを星から知り、星に導かれて旅をする。
星が止まった下には、神の御子が母の腕に抱かれていた。
星は、自分たちの運命を導くもの。
クリスマスツリーの星とは、その星のこと。
毎日病室を訪れていたくせに、退院の時に彼方は来なかった。
検査では、どこにも問題はないと言われていた。
僕は家に来るよう、彼方を呼びつけた。
自宅に、花を持って彼方がやってきた。
「退院おめでとう」
ただ静かに、僕の側に座る。
「ねえ、僕が死んだらどうする?」
彼方は、目を見開いた。そして微笑んだ。
「そんなの、決まってる」
そうだ、彼方の気持ちは決まっている。彼方は決して他を見ない。
自分の価値など、考えることもない。
目の前の助けられる命を振り返りもせず、一人のクランケに殉ずるのだろう。
「馬鹿な彼方」
「理智」
「その力で、どれだけの人が助かるかわからないのに」
ドラッグは、親切で愛情深い者が多い。目の前の命を救った優希のように。
泣きそうに歪んだ優希の顔が浮かぶ。
僕の腕には、ブレスレットがついたままだ。
まるで鎖のように。
彼方の手が、僕を抱きしめる。
「理智。⋯⋯愛してる」
恨めと言った口で愛を囁く。
「俺は、理智しかいらない。何があっても。理智がいなければ⋯⋯、生きられない」
彼方が僕の顎をとらえる。
引き寄せられて美しい顔が近づく。
僕は、震える唇を受け入れた。
彼方の血がなくては、生きられない僕。
僕がいなくては、生きられないと言う彼方。
誰が定めたのか。
呪いのようなこの繋がりを。
彼方。
僕は。
本当は。
ただ、君と対等でありたかった。
愛の前に。
ベツレヘムの星に導かれた賢者たちのように。
運命を導く星を、共に探しに行きたかった。
いつか、この鎖を断てる日が来るだろうか。
──君なくしては生きられない。
そんな、クランケとドラッグの鎖を。
【 了 】
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