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1.春樹
どこが分岐点だったのか。
事の最中にわかる者は賢者だと言う。
多くの者は、全てが終わった後に、ただ呆然と立ち尽くすのだ。
「先生!」
勢いよく塾の自動ドアから飛び込んで、僕は先生の姿を探す。
家からずっと走ってきたから、はあはあと息が上がる。
──どこにいるんだろう?
きょろきょろ見回していると、奥のコピー機のある小部屋から求める姿が出てきた。
「おう。ゆき、走ってきたのか?」
「先生! 受かった!!」
受け取ったばかりの合格通知をぶんぶん振りながら走っていく。
「おっ! よかったなあ!!」
先生は、満面の笑顔で歩いてくる。
「ほら」
「うん!」
僕たちは片手を合わせてハイタッチをした。
心の中に、あっという間に温かいものが満ちていく。
先生の笑顔は、初めて会った時から、輝く太陽みたいだった。
中学2年の1学期。
夏休み前の中学校の三者面談で、僕と母は神妙に担任の話を聞いていた。一通りの成績の話の後、受験に向けての話が入る。このままでは、僕は幼馴染と同じ高校には、とても入れそうにないことがわかった。隣に住む二つ年上の幼馴染、春樹。優しくて賢い彼は、昔から僕を弟のように可愛がってくれている。
「俺の高校に来いよ」
そう言われて、高校の楽しい話をたくさん聞いた。塾に通えば何とかなるかもと思っても、人見知りだから知らない人が多い所は苦手だ。かといって、中学の同級生がたくさんいる所も嬉しくない。
「困ったわねえ。幸也も春樹くんと同じ高校に行ければいいんだけど」
母がため息をつきながら呟くと、僕もしょんぼりと項垂れてしまう。部活が休みだからと遊びに来ていた幼馴染が、思い出したように言う。
「おばさん、そういえば友達の従兄弟が塾講やってるって聞いた。小さな塾だけど、先生たちが丁寧で、親身になってくれるって」
「あら! そこ、今からでも入れるのかしら?」
「俺、聞いてみようか?」
母と幼馴染が盛り上がっているのを見て、僕だけが緊張する。どんな先生たちなんだろう。それがわかったのか、幼馴染は手を伸ばして、僕の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「ゆきが塾に見学に行く時は、俺も一緒に行くよ。合わなければ他を探せばいいじゃん」
僕はほっと息をついて、こくんと頷いた。
幼馴染はすぐに友人に連絡を取ってくれて、週末には見学に行くことが決まった。
週末の土曜日。
昼すぎに、幼馴染が僕を迎えに来た。
本当は保護者が一緒に行くのだろうが、母は彼に全幅の信頼を置いている。僕がよさげだと思ったら、塾のパンフレットをもらってくるようにと言われた。
「そうだ、ゆき。朝、ちゃんと飲んだ?」
「飲んだよ。春くんって、お母さんみたい」
「あはは。ずっと、ゆきの世話してるからなー」
僕は朝に一粒、ビタミン剤を飲む。小さい頃体が弱かったから、お守りのようなものだ。
幼馴染は、僕の日々の習慣まで知っている。
「こんにちは。話は聞いています。こちらにどうぞ」
迎えてくれたその人が、幼馴染の友達の従兄弟だった。
大学生ぐらいだろうか。穏やかで人好きのする温かい微笑。それを見ると、なぜか緊張が解けて心が浮上していく。
塾長だと言う先生の説明が終わる頃、彼はお茶を持ってきてくれた。僕の前に置かれたのはミルクココアだ。他の人は緑茶なのに、と思って顔を上げると、目が合った彼は微笑んでいた。
ぽつぽつと質問に答えるうちに、いつの間にか、僕はここに入りたいと強く思った。
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