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8.ドラッグ
生まれつき体の弱いクランケにとって、ドラッグは至高の薬だ。
共にいれば不調は改善し、健常に暮らしていくことができる。
そして、ドラッグが自分の血をクランケに飲ませたなら、相手とは番関係が発生する。
ドラッグは数が少ないから、複数の番がいることも珍しくはなかった。
優希が絞り出すように声を出す。
「⋯⋯従兄弟なんだ。小さい頃から一緒にいた、弟みたいな奴で。たまたま目の前でショック状態になって、見ていられなかった。俺の血で助かるならって、⋯⋯咄嗟に飲ませた」
「弟みたいな?」
「そうだ。本当に、ずっと世話してきただけで⋯⋯恋愛感情なんかない」
世話、と言うフレーズに、何かが引っかかった。
最近聞いたばかりだ。
──まさか。
「その子、高校生?」
「⋯⋯え、そうだけど。なんで?」
「丸い瞳で、そそっかしくて、人懐こい⋯⋯」
「理智?」
優希の瞳が訊ねてくる。なぜ知っているんだ、と。
『最近は、そうでもなくて。おれが世話になりっぱなしで』
本屋で会った、クランケのあの子。
あの子が、優希の──?
優希が、僕の手を取る。
「さっき、水族館で電話をかけてきた奴なんだ。がんばれ、って言ってくれた。」
『おれの選んだものなんか、気にいってくれないかもしれないけれど』
あの子はきっと、優希に自分のプレゼントを渡したかった⋯⋯。
「理智、どうしたんだ? 俺が好きなのは、理智だけだ」
「⋯⋯すき?」
「ああ、好きだ。お前だけが好きだ」
優希の腕に抱き締められる。
何よりも温かい手の中に、ずっといられたらいいのに。
「⋯⋯無理だ」
「理智?」
僕は、優希から体を離した。
泣きたくないのに、頬を涙が伝う。
こんなの、おかしいだろう。止まってほしいのに、なぜ止まらないんだ。
「僕は、クランケだ。ドラッグの希少性も、生きるために何が必要なのかもわかる。⋯⋯だけど」
我が儘だと人は言うだろう。それでも。
「自分のドラッグに、他の番がいるのは許せない」
優希の顔が、泣きそうに歪む。
「理智が望むなら、あいつとは番を解消する」
黙って見ていた彼方が、低い声で嘲笑した。
「馬鹿なことを言うな。クランケは、番ったものから離されたら死ぬ。もし、今後も血を与え続けるなら、番関係を解消したとは言わない」
優希は彼方を睨み据えた。
「お前は理智のドラッグなのか?」
「理智が望むなら、俺はすぐにでも番になる。理智以外に、番は絶対にもたない」
優希が奥歯をぎりりと噛み締めたのが分かった。
僕は、二人に背中を向けて走り出した。
「理智!!」
僕の名を呼ぶ優希の声と、押しとどめる彼方の声と。
後ろで何が起こっていても、振り返る事だけはしたくなかった。
息が苦しい。
手足の先が冷たくなり、感覚がなくなっていく。
ポケットの中の薬を、噛み砕きながら唾液で飲み込む。
駅の改札をくぐって、来た電車に飛び乗る。
真っ先に優希のメッセージアプリのIDを削除して、スマホの電源を切った。
電車の中で涙を流す僕を、遠巻きに人が見るのがわかった。
嗚咽を堪えるので精いっぱいだ。
腕のブレスレットに涙が落ちた。
引きちぎってしまえばいい。
そう思って触れた途端に、優希の笑顔が浮かぶ。
──外せない。これだけは、外すことができない。
ブレスレットに重ねた手が、少しずつ温かくなる。
その温かさに、涙がさらにこぼれた。
家に着けば、真剣な顔をした父母が待っていた。
「理智、どうしても、気は変わらないんだな」
「ごめん。もう、決めたことだから」
父の運転する車に乗って、彼方の父が経営する病院に向かう。
クリスマスイブに入院して、翌日の昼に手術する。
ずっと前から予定されていたことだ。
〈頼む。俺の血を飲んで番になってくれ〉
彼方からのメッセージアプリを確認して、画面を閉じる。
再び、スマホの電源を切った。
病院の入り口には、大きなクリスマスツリーが飾られていた。
『ほし! いちばんうえの、あのほしがいい』
『ぼくがとる! とってきてあげるから、りちはまってて!!』
幼い頃の記憶がよみがえった。
病院に飾られたツリーの星を、無理やり取ってきた彼方。
僕より背が低かったくせに、必死で星を取って手渡してくれた。
嬉しくて、星を抱えて眠った夜。
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