ヒイラギ

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 下山の最中、彼女は俺のすぐ後ろを影の様にぴったりと張り付いていた。彼女の威圧感あるポジショニングの所為か、俺は足が骨折しているとは思えないような速さで山を下りた。痛みを感じる暇さえ無かった。街について時計を見ると晩御飯を食べるには些か遅い時間で、俺たちは取り敢えず目に付いた吉野家に入ってカウンターに座り、牛丼を二つ注文して待っていた。予想通り、店員もまばらに座る客も俺たちに何の関心も示さなかった。 「足はまだ痛む?」 「それが、嘘みたいに痛くないんだよ。それより腹が減ってる事の方が苦痛だね」 「……とりあえず食べたら、すぐに病院に行きなさいね」 「そうするよ。ねぇ、君って本当に人間を食べた事があるのかい?」 「興味あるの? 食べる前に話す話題とは思えないけど」 「なんて言うのかなぁ、君は優しいし思いやりがあるし。俺はどう考えても君が人を食べる様な人物には思えないんだ」 「食べたわ。沢山ね」 「……どうやって?」 「後悔しても知らないわよ?」 「怖くなったら耳を塞ぐから大丈夫」  俺は親指をグッと立てた。 「自殺した死体を見つけるとね、川に運ぶのよ。死体に重りを付けて沈めるの。死体は青白く変色して、どんどん水分を吸ってブヨブヨに膨らむ。2~3日してから膨張した皮膚に触れると、べろっと簡単に剥がれて真っ赤な真皮が露出するの。まるで、湯煎して氷水に浸けたトマトみたいにね。何度もこの作業を繰り返すと、死体は濃密な小さな赤い塊になるの。拳くらいの大きさのそれを私は丸ごとぺろりと飲み込む」 「……それっておいしいの?」 「今度、時間があればご馳走しようか? あの山に来れば、いつでも食べられるわよ?」 「いや、まだちょっと俺には早いかなー」  今後、あの山はもう登山できないな。そんな事を考えていると、牛丼が二つ運ばれてきた。 「とりあえず、食べようか」 「そうね」  俺たちは頂きますをして、各々の牛丼に箸をつけた。やはり空腹は最大の調味料だ。ただの牛丼なのに、こんなに美味い。ふと隣を見ると、彼女の箸は進んでいなかった。 「あれ、どうしたの? 牛丼嫌い?」 「……私の口には合わなかったみたい。やっぱり、貴方を食べるしか無いのかな?」 「えぇ? 嘘だろ⁉」 「えぇ、嘘よ。びっくりした?」  吉野家から出ると、粉雪が風に吹かれて宙を彷徨っていた。 「お腹は一杯になった? もう一軒くらい梯子しようか?」 「大丈夫」 「そっか。じゃあ、俺は病院に行く。……君は、これからどうするんだ?」 「まぁ、ゆっくり考えようかな。このまま、山に帰ってもしょうがないし」 「もう人間を食べないでくれよ?」 「努力するわ」 「もし、人を食べたくなったら俺を訪ねてくれ」  そう言って俺は財布から名刺を出して、彼女に渡した。 「そこに住所と連絡先が書いてある。お腹が空いたなら、また何か食べに行こう。相談なら、いつでも乗るから。それでも君の空腹が癒えないのなら、その時は俺を食べてくれ」 「変わった事言うのね」 「君を山から降ろしたのは俺だろ? それぐらいの責任はあると思うんだ」  彼女はまじまじと名刺を眺めている。 「分かった。……貴方の名前、秋山っていうのね。今、初めて知った」 「そうだよ、俺は秋山って名前なんだ。そう言えば、君の名前を聞いてもいいかな?」 「ヒイラギ。木へんに冬って書いて柊」 「へぇ、柊か。何か、かっこいい名前だね」 「秋山って名前も悪くないわよ。貴方、秋山っぽい顔してるもの」 「秋山っぽい顔って何さ?」 「ごめん。深い意味は無いの」 「あっ、そう」 「……そろそろ、別れましょうか?」 「そうだね。……それじゃあ、また」 「じゃあね。バイバイ」  柊は軽く手を振ると、振り返って去ってしまった。  後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、俺はタクシーを拾って病院に向かった。事情を説明して、医師の前でお手製ギブスを外すと、紫色のマンゴーが顔を見せた。少し熟れ過ぎで食べ頃は逃してしまっている感じだ。様々な機械で色んな角度からマンゴーの状態が検査された。結果、全治2か月。            骨折が完治し、しばらくしてから郵便受けに一通の封筒が届いた。封筒に宛名は無く、中には一枚の映画の完成披露試写会のチケットが入っているだけだった。首を傾げながらも、映画館に向かう。会場は凄い人だかりで、もう少し小綺麗な恰好をすべきだったと俺は後悔した。チケットに書かれた席も最前列で、周りはお洒落な映画関係者やカメラを持った報道関係者の様な人ばかりだ。場違い感が凄い。存在を消す様に、縮こまって座席に座っていると不意に黄色い歓声が聞こえた。数人の男女が壇上に現れたようだ。よく見るとその中に見覚えのある女性が紛れている。アナウンサーによるインタビューが始まるが、その内容は殆ど頭に入ってこない。 「……えー、それでは次に今回ヒロイン役を演じた柊志津香さんに伺いたいんですが、今回の撮影で一番大変だった事は何でしょうか?」 「そうですねー。今回は幽霊の役で、ずっとドローンに乗った状態で撮影をしていたので。それが一番かな。特殊メイクで視界も半分ぐらい遮られていて怖かったです。初めはバランス感覚が全然掴めなくて。練習でよく特殊メイクのまま森をドローンに乗って彷徨ってました。今、振り返ってみると完全に不審者ですよね」 「それは傍から見ると異様な光景ですね」 「難しくて、初めは私もCGでいいじゃん!とか思っていたんですけど、映像を見ると監督の意図がよーく分かりました。浮遊感とかワンピースのたなびく雰囲気とか本当に幽霊みたいなんです。それに、ドローンを使いこなせる様になると面白いんですよ。撮影後は本当に幽霊になったみたいで歩き方を忘れていました。他にも不思議な出会いとかもあって楽しい撮影でしたよ」 「えっと、不思議な出会いとは、それはどういう……」  困惑するアナウンサーの質問には答えず、彼女は悪戯っぽく笑ってみせた。
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