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<12>
「……何をしてる!!! やめるんだ!!!」
恐らくは瑞樹が無我夢中で飛び出したからであろう、開けっ放しになっている玄関から屋敷内へと飛び込む。
誰かが争うような声が聞こえる方に柏木が走っていくと、その部屋はあった。
同じく、開け放たれていたドアから見たもの。
それは。
「た……す、け」
小柄な、紅いドレスを着た少女。
ーーーその上に馬乗りになって、彼女の首を絞めている『黒い影』。
「ーーーやめなさい! 離れるんだ!」
夢中で黒い影の肩と手を掴み、少女から引き離す。
黒い影は、少女からは手を離したものの。
柏木に掴まれた手を怯えるような仕草で振り払い、後ずさった。
「あ、あなた……あの男と競って逢いに来てくれてたおじさん……?」
「ああ。無事で良かった」
未だに苦痛と恐怖でぐちゃぐちゃになった泣き顔の少女は、縋り付くように柏木の後ろに隠れる。
「ッッッ……! あたしがあの人……瑞樹と話してたら、突然後ろから現れたのよ。どうしてコイツがここにいるの? どうしてわたしのことを襲ってくるの!?」
パニックを起こして喚く少女を背後に庇いつつ、柏木は床に蹲った黒い影に向き直る。
「ーーー醜い……」
黒い影が、絞り出すような声で呟く。
「そうか……君は、やっぱり」
「みにくい。醜い。醜い醜い醜い。あなたばっかり、明るい光の下で、ずるい。」
枯れ枝のように細い、黒い身を震えながらうわ言のように繰り返すその姿に、柏木はキッパリと答えた。
「そんなことはない」
びくり、と影の肩が震えて止まる。
「君は醜くなんかない。自分一人でそう思い込んでいただけだ。ーーー君は美しい。それを妻に分かって欲しかったから、虚海は絵を描き替えたんだ。『君』の上から、『この少女の姿』を」
「え、え、何……? 何なの? どういうことなの?」
戸惑う少女の手をそっと握り、影の方に近づけようとすると、怯えた彼女が離れようと暴れる。
「何するの! コイツはわたしを殺そうとしたのよ、やめてよ!」
「誤解しているだけだ。『彼女』は君の過去でもあり、君自身でもある」
「は? 意味わかんないんだけど?!」
「この子は昔……まだ『虚海止水』という画家の名が知られ始めたばかりの頃。水無子さんの筆によって、描かれたものなんだ」
「……奥様の? ーーー先生……虚海先生の絵じゃなくて?」
「そうだ。完成品の絵として生み出された後に『外出』できるようになる君たちは、知らなくても無理はないが。
ーーー『虚海止水』とは、たった一人の画家を表すペンネームではない」
一度言葉を切り、ほんの一瞬よぎった迷いを額に手を当てて振り払う。
「ーーー一年ほど前に亡くなった、由岐進太朗先生。君たちは、彼が『虚海止水』だと思っていただろうから、とても寂しかったと思うが。実は、モチーフの発想と下絵は、妻である水無子さんが担当していたんだ。その後、進太朗が着色と仕上げを行って完成していたんだよ。
ーーー『虚海止水』とは、お互いを深く愛し合っていた、夫妻の合作ペンネームだったんだよ。一人では、決して生み出せなかった作品たち。それが君たちなんだ」
外の雨音が、一層激しくなる。
激しい風に揺らされて、雨戸の閉まっていないガラス窓がガタガタと大きな音を立てた。
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