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<14>
「……そんな」
「持って半年か一年だって言われたわ。その間に身辺整理をしなくちゃって思った」
何より、自分たち二人がいなくなってしまった後、己の子どもに等しい作品たちはどうなってしまうのだろう。
夫亡き後、水無子が一番に案じたのは己の身より残していく絵画たちのことだった。
「ーーーさっきも話したけど。あの絵の噂には、嘘が入っているのよ」
「嘘?」
まだ信じられないという驚愕の思いを隠さない柏木に、水無子はゆっくりと笑いかけた。
「ええ。あの子たちは『霊感のある者が手に入れると出てくる』のではなく、『本当に信頼できる者が手に入れた時に出てくる』というのが本当なの。わたしの言い付けを守っている限りはね。だから正確には、霊の見える人間が絵を入手した後、絵のモチーフがその人を心の底から信頼すれば出てくることがある、っていうのが本当の話。
でもわたしたちの絵に目をつけていた人は多いし、所有者以外でもうっかり出てきたところを偶然目撃されることはあったでしょう。勿論、その人間にも霊感や見鬼の才があったらの話だけれど」
誤った内容のまま噂は広まり、虚海の絵の価値は上がり続けた。
「わたしは絵を譲渡する時に、絶対に外に出て来てはダメよとあの子たちに伝えていた。でも夫は違ったわ。本当に信頼できる人ができたのなら、話してもいいんじゃないかって。孤独な人のそばに無条件で寄り添える、そんな絵を描きたいっていつも言ってた人だったからね」
水無子の膝の上で、黒い影が微かに身動ぎした。そしてまたすぐに動かなくなった。
「けれど。現実って、そんなに甘くなかった。
ーーー20年くらい前だったかしら。まだ美大生で、一人でオリジナルの作品だけを扱う同人イベントに出ていた若い頃にね。非売品として展示していた例の白い服の絵が、盗まれたことがあったの。その犯人こそがあの男。瑞樹敬吾よ」
森の中で、白い服を着た人物の絵。
それは存在意義に悩んでいた多感な時期の自分を珍しく上手く表現できたと思った、大切な思い入れのある一枚だった。
まさかのそれを盗まれた。
「本当にショックだった。それまで誰にも見せたことがなかったのに、迂闊に家の外に持ち出したことを悔やんだこともあったけど」
その後も諦めきれず、長い間絵の行方を探していたのだが。
20年近くも経った最近になって、ひょんなことからそれらしき絵の持ち主の情報を手に入れた。
「人伝てに探りを入れたら、本物だって確信した。それで虚海の名前を利用して持ち主に連絡を取って尋ねたの。そうしたら確かに盗まれたイベントの後にその絵を買ったと証言したわ」
「所有者は盗品であることを知って買っていたのですか?」
柏木が口を挟むと、水無子は首を横に振る。
絵の所有者は、売主については固く口を閉ざした。そういう契約だと言われていたから。
だから、確信を持ったのは少女の絵の寄贈先を決めたあの面談の時だった。
「『森の中に佇む白い服の人物』の絵について詳しく知っているのは、わたしと盗んだ人間と買った人間だけのはず」
「ネットではそういう噂は回っていなかったんですか?」
「出てこなかったわ。コレクションを外に出したがらない性質の人だったから、あの絵のこと自体を知っている人が少なくて。いたらもっと早く持ち主を特定できたはずよ」
でも現所有者さんは『例のイベント』の後に買ったと証言していて、モチーフが出てきたことは売主にしか教えてない、とも言ったの。だから、盗んだのは瑞樹以外にいないとはっきり分かった。
「ハッキリした盗みは一度きりだったかもしれない。でもあいつはわたしたちの作品を含め、画家たちが命を込めて必死に描いた絵を裏で複製したり高額で転売したりしている。ーーーだから、復讐したのよ」
「……何をするつもりだったんです?」
「軽蔑するかも。この子を使ったのよ」
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