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君と行きたい場所
ドローイングショーが終わったあと、大人たちの打ち上げに付き合わされた。帰る頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。時刻は二十時。一応母には帰りが遅くなると連絡をいれている。まだ高校生の僕らは先に帰らせてもらった。
深い闇が僕たちを包み込んだ。
田舎の夜道というのは、ほとんど光がない。街灯はまばらに立っているが、すべての道を照らすほどではない。栄えている街を出ると、光が一切届かない場所になる。
この闇の中からは星がよく見えた。
「とりあえず、成功してよかったな」
ドローイングショーは、結果的に言えば成功した。来客からは称賛され、東京で活動している画家からも褒めてもらえた。その画家に、東京へ来ないかと打診されたが。
「お前、東京行かないの?」
「行かない」
「なんでだよ。もったいない」
明るい星空を見上げる。雨上がりの夜空はよく晴れていた。寒さで透けて見える星たちがカンカンと輝いている。光も届かない田舎道に到達できる、唯一の光だ。
「僕が描いているのは、ここの空と海だ。この場所の空と海を再現しようと描いているのに、ここを離れたら本末転倒だよ」
「東京に行けば、チャンスもありそうなものだが……」
「それってなんのチャンスだよ。ここの景色を再現するのがそもそもの目的なんだ。東京には行かないよ。絵はどこでも描けるけど、僕が描きたいものはここにしかないんだ」
「ま、お前が言うなら、そうなんだろうさ」
眺流はため息まじりに返答した。眺流は時折すべてを諦めたかのように肩をすくめる。でも眺流になんと言われようと曲げられないことはある。それは、彼自身もよく知っているだろう。
はあ、と眺流が吐いた白いもやが夜空へ溶けていった。片手で抱えていた額縁を両手で持ちかえ、僕に問う。
「ところで、この贈り物の絵だけど」
「なんだい? 返品は不可だよ」
「そうじゃなくてだな……。今回のテーマはなんだ? お前のことだからちゃんと決めてるんだろ?」
「君は鈍いなあ。美術鑑賞する気ある?」
「悪かったな、鈍くてよ」
額縁に入れられた僕の絵を、眺流は目を細めて眺める。こんな暗いところでも、彼には見えているのだろう。
光の届かない深海に散りばめられた幾万の星。そしてその中央にぽっかりと浮かぶ真っ白な宇宙船。
僕はそれを紙に描いた。
真っ白な宇宙船は雪の結晶で造られている、という設定だ。繊維状の結晶で編まれたその宇宙船は、星々に満ちた深海を旅していく。僕はその絵に、ある願いをこめた。
「で、そのテーマってのは……」
「君と行きたい場所」
はっきりと言えば、眺流は立ちどまってこちらを凝視する。思慮深い目は、なにを考えているか分からない。彼は表情が乏しいから、クラスメイトからもよく誤解を受けていた。
「なんだって?」
「だから、『君と行きたい場所』だってば」
「俺と?」
「そう」
大きく頷けば、眺流はもう一度絵を見て、ふっと微笑んだ。
「そうか……」
彼は笑うと、綿雪のように柔らかくなる。どうやら僕の答えに満足してくれたようだ。
一緒に深海に行きたい、なんて。ほとんど心中みたいな言葉だ。彼はそう受け取らなかったのだろう。それで良かった。親友には、僕が体験したあの夜を体験させてはいけなかった。
たとえ宇宙船に乗れたとしても、彼だけは連れていかない。深海を独りで探検する自分を想像して、少しだけ寂しく笑った。
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