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◇
急に冷え込んだ一月二日の昼、綿ぼこりに似た雪がちらつく。
動きやすいジーンズとダウンコートを選び、慣れたスニーカーを履いて家を出た。
街の外までバスに揺られ、そこで一度、山行きの路線へと乗り換える。
ここから一時間かけて、渓流沿いの林道を奥へ奥へと進んだ。思ったより勾配がきつい坂道を、私は黙々と歩く。
目的の家が見えた時には、息がすっかり上がっていた。
てっきり木造の古民家が現れると予想していた私は、家の全景を目の当たりにして足を止める。
石を組み上げて造った壁は城のようで、そこに鉄格子の窓が嵌まる姿は洋風建築にも似ていた。ところどころ苔生した外壁が、年代を感じさせる。
正面に見える大きな木製の扉へと近づき、扉の中央を軽く拳で叩いてみた。
「すみません!」
すぐに戸が開き、老人が迎えてくれる。
戸口から中を覗くと、家は不思議な構造をしていた。内開きの戸の奥は土間が続き、そのまま広間へと通じているらしい。
「おいで」
杖をつく老人を追って、ほんのりと暖かい広間へと入る。
円形の広間の端に靴を脱ぐ上がり口があり、そこが実質的な玄関だろう。
その縁側もどきに腰を掛けた老人は、手に持つ杖で広間の反対側を指した。杖の先には暖炉らしき石組みが在り、鉄柵の奥で炎が揺らぐ。
「その火が消えないように、見張っていてほしい」
「薪をくべればいいんですか?」
「隣に立て掛かってるのが火掻きだ。溢れた灰は、塵取りで掬って隅の箱へ入れてくれ」
用具、灰入れ、積まれた薪と見回して、最後に暖炉脇にある籐編みの籠に目を留めた。
「あの葉っぱは?」
「適当な間隔でいいから、葉も少しずつ燃やせ」
奇妙な依頼だが難しいものではない。だけど、理由は?
「この時期はな、夜に寄ってくるんだ。まあ、猪とか虫とか、いろいろと」
「火を点けておけば、それが防げるんですね」
「煙と匂いに弱いからな。どうだ、頼めるかな?」
昨夜はたっぷりと睡眠時間を取ったし、徹夜で虫避けくらいどうってことはなかろう。報酬額を思えば、特に。
「分かりました。明日の昼までですね?」
「正午過ぎにまた来るよ。それじゃあ、次は台所を案内しよう」
住居部分は普通の現代家屋と変わらず、これはこれで驚かされる。
システムキッチンにユニットバスと、電波が届かない不自由さえ我慢すればそこそこ快適に過ごせそうだ。
「五年くらい前に改築したんだ。若い人が苦労しないようにね」
「毎年、火の番を頼んでるんですよね?」
「この十年はそうだな。もう歳だから」
返答を訝しく思いつつも、その正体を考える前に、案内を終えた老人は広間へ戻っていった。
片開きの玄関扉は横棒を閂にして閉じる原始的な仕組みで、逆に防犯には有効かもしれない。
一人になったらこの閂を掛け、明日まで決して開けるなと念を押された。
玄関先へ出た老人は、しばらく空を見上げたあと呟く。
「あんまり家を汚してくれるなよ」
「大人しくしてますって」
「掃除が大変なんだ。風呂場くらいなら、流せばいいので楽だが」
「心配しすぎです。ジッとしてるのには慣れてますから」
挨拶代わりに軽く手を挙げた彼は黙って背を向け、坂道をゆっくり下っていった。
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