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◇
家の中へ戻った私は言われた通り閂を掛け、早速、暖炉の様子を確かめに向かう。
石組みの前で屈み、立ち上がる炎に暫し見入った。
火勢は十分に強く、まだ追加の薪は必要なさそうだ。傍らの籠を引き寄せて、葉を数枚くべておく。
腕時計を見ると午後五時半、もうすぐ日が完全に沈む。
今まで読めなかった長編にチャレンジする機会だと、分厚い文庫本を二冊も用意してきた。さて、翌朝までに読了できるだろうか。
キッチンには洋椅子が一つあったので、それを使えば火の番をしながら本も読める。
土間の照明は裸電球一つだけれど、燃える火の明かりが代用してくれるであろう。
椅子を暖炉の向かいへ運び、程よい場所に座った私はページをじっくりと繰っていった。
雪の夜、炎に照らされて読書とは結構な贅沢だ。
三十ページほど読んだところで栞を挟み、また暖炉へ。
薪を足す頃合いと見て、軍手を嵌めた。
火掻きで場所を作り、薪を一本持ってくる。
見た目よりズッシリと重い木は、クヌギだろうか。ケヤキかもしれない。
木材には疎く判然としないが、火持ちの良い木だとは説明された。
着火するのに時間が掛かったものの、やがてパチパチと音を立てて炎が新しい薪を舐めていく。
軍手を脱いだ手を炎に翳して指先を温めたら、本の続きへ戻った。
たまに薪と葉を追加しながら読み進むうちに、時間は午後九時になろうとしていた。
お腹が空いたのも当たり前。予想以上に面白かった小説に夢中で、時計をほとんど見ていなかった。
レトルトのカレーで夕食にしようと立ち上がった時、扉を叩く音がする。気のせいだろうか。。
薪が爆ぜた音とは、質も方向も全く違う。
玄関の方へ目を凝らし、少しの間、様子を窺った。
コンと、また音が聞こえる。
風が強くて、枯れ枝がぶつかったとか?
それとも老人が言った動物の類いだろうか。
ドンッ。
より大きな音は、もう空耳ではない。何がぶつかっているのか、間近で確かめようと玄関へ向かう。
耳を扉へ寄せた瞬間、言葉が聞こえた。
扉越しに、しゃがれた小声が届く。
「入れてください」
いきなり話し掛けられたせいで、肩をビクつかせてしまった。
夜の山中、迷い人かもと閂に伸ばした手が宙で止まる。
“戸は絶対に開けるなよ”
老人の忠告は、虫や蛇が侵入するからだと受け取った。
だけど――。
「どなたですか?」
問い掛けを無視されたどころか、人のいる気配すら感じられない。
訪問者は去ったのだろうか。
立ち呆けるのに焦れた私は、再度、扉の向こうへ問うた。
「誰かいますか?」
トンッ。
ノックで返すとは、どういう意味だ。
じっと黒ずんだ扉を見つめる。
「入れてください」
「ご用件は?」
男、だと思う。語尾がかすれて聞き取りづらいが、入れろと言っているのは間違いない。
しかし、何度問い質しても、返ってくるのは同じ台詞である。
「入れてください」、もしくは――。
ドンッ。
今度の音も大きい。薄気味悪くなった私は、暖炉の側まで後退した。
薪を拾い上げ、両手で掴んで玄関を睨む。
得体の知れないノックは、その後も三回ほど響き、そこで止んだ。時間にすれば十分未満だ。
五分ほど静寂が続いた頃、私もやっと肩の力を抜いた。
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