入れてください

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◇  ジーンズの左裾は、刃物でも使ったようにスッパリと切れていた。  三本の筋が、(くるぶし)の上から斜めにデニムを切り裂いている。  切断はソックスを超えて肌まで届き、流れ出した血でスニーカーも赤く染まった。せめて消毒くらいしておきたいが、薬の場所は教えられていない。  土間の隅に置かれた給湯器のツマミを捻り、スニーカーを履いたまま廊下へ上がった。  血の足跡が床を点々と汚す。  最奥にある脱衣所のドアを開け、青痣と土に(まみ)れた顔を鏡に映した。酷い有り様だ。  コートを脱ぎ捨てた私は、清潔そうなタオルを選んで風呂場へ入る。  服のままバスタブに腰掛けて、シャワーヘッドを洗面器に伏せ置いた。湯が出るのを待つ間に、左のスニーカーを脱ぎにかかる。  風呂場の床も血で汚してしまった。乱れ付いた足跡を見ていると、頭の中で鈴が鳴る。  注意を促す、小さな警報が。  足跡。家の前に在った足跡は、綺麗に一筋の直線を描いていた。  何かが家に来た跡なのはいい。一組なのがおかしい。訪問者は引き返した痕跡も残さずに、どこへ消えたのか。  脱衣所に吊したコートが、風に吹かれたみたいに揺れた。  よっぽど凝視しないと見逃しそうな、(かす)かな空間の捻れ。  ダウンコートの下に見える床が、歪んで見える。コートの左側もだ。  どちらも向こう側がレンズを通したように曲がり、妙な影が落ちていた。  半ばコートに隠れた影を繋ぐと、その輪郭は――。 「入れてください」  息を吸い込む時間があっただろうか。  影は人型をしていた。  腕が異様に長い人の形を。  なんて痩せっぽちな影だ。  それが、最後に浮かんだ私の感想だった。 了
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