【ホラー短編】詰め替えられたかもしれないインコ

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 ひとり暮らしのアパートの玄関は暗かったから、電気をつけるまで見慣れない箱があることに気づかなかった。  身をかがめる前にあとずさって、それから箱を見た。  黄緑のシーツがかかっていたが、縦長の格子の形が浮かんでいた。  動物のケージのようだぞと思ったし、実際、生き物の気配もした。  ブーツを履いたまま中腰になり、シーツをめくり、ケージの中をのぞく。  くちばしが鉤形で、グラデーションの入った青色のことりが、止まり木の上からわたしを見て羽をぱたぱたと動かした。  セキセイインコだろうか。  膝を折ってにじり寄ろうとしたが、青インコは止まり木をつたってわたしから離れていった。  刺激を与えてはまずいと思い、エサと水が残っていることだけを確認してシーツをおろした。  ケージの背後の死角には、およそ数か月分だと思われるペレットと、数珠のようなおもちゃが二点、インコの人形が一点、小さな鏡と温度計などがあった。  『かわいいインコの飼い方』なる教本も立てかけてあった。  無断投棄の犯人は、わたしに青インコを育てさせたいらしい。  ブーツを脱いでスプレーをし、消臭のキーパーを入れて三和土の隅に置く。  青インコが玄関を占領しているのははなはだ迷惑だと思ったが、ケージの主に責任のあろうはずもなく、テレビやオーディオの音がやかましいリビングへ引越しさせるのもかわいそうだから、わたしはこの家の主人であるのに、南向き一本道の廊下の端をそろそろと歩いてハンガーにコートをあずけた。  こたつのスイッチを入れ、手洗いうがい等を済ませ、ひととおり家の中を見渡したが、青インコ設置者からの書き置きなどは見つからなかった。  犯人の手がかりがないとはいえ、状況証拠は判然としている。    鍵も窓ガラスも破壊せずにわたしの部屋に侵入できる人物はひとりだけだ。  三ヶ月前に失踪した彼の携帯はそれからなしのつぶてであったから、もとより連絡の期待をしていなかったにしろ、しばらくぶりにわたしの部屋を使用したことに対する説明、および先のとん走についての釈明のひとつもないうちに青インコを置いて行く仕打ちは、わたしにとっても青インコにとってもしごく心外であると思った。  それにしてもようやく忘れかけることのできた嫌なタイミングで嫌な置き土産をしていくものである。  生き物を預かることを強要されるくらいならば、彼の変態的な趣味が露見した場合の口裏合わせを頼まれる方がまだマシだ。  スンドゥプチゲなるひとり鍋のにおいは青インコにとって迷惑ではないかと考慮し、換気扇を回しながら夕飯をつくって食べた。  平時の火曜らしく、テレビはあまりおもしろくなかったから、国営放送のニュースを流したまま右手の箸で鍋をあさり、左手でインコ教則を読んだ。  最後のページに¥750と鉛筆で書き入れてあったが、帯が残ったままの新古品だった。  セキセイよりもマメルリハの方が目元がかわいらしいようだ教本を眺めていると、 「ひめか」  玄関から声がした。  不意打ちで驚いたが、新しい同居人の青インコがいたのだと思いなおして玄関まで見に行った。  足音で気配が分かったのか、 「ひめか、ひめか」  シーツの下からわたしの名前を呼ぶ。  インコはとうに寝ているはずの時刻だが、転居した初日だからなのか、調子が高い。  近所に聞こえるといけないと弱ったが、頼った先の教本によると、かまえばよけいに鳴くし、叱ればおびえるという。  しかたがないから、もう一枚バスタオルを上からかけて放っておくことにした。 「ひめか。ああ、ひめか」  これは予想以上の嫌がらせだぞと肝を冷やしながら夜半に床に着いた。  青インコは風呂に入っているうちに静かになっていた。  イレギュラーな出来事があったわりにはうまく寝入ったつもりだったが、まだ暗いうちに電話で起こされた。  最初は無視を決め込んでいたが、十分置いて三回もかかってくると近所迷惑を考えなければいけなくなる。  留守録に切り替わると先方から切ってしまうから、録音されたくない重要な内容なのだと考え、しかたなく電話に出た。  電話をかけてきた警官の話すところによると、彼の遺体らしきものが発見され、わたしの部屋の鍵を所持していたのだという。  できれば身元の確認をしてほしいと言われたが、始発も動いていない時刻に飛んで行くほど一途ではなかったし、なによりタクシー代が惜しまれた。  警官の何がしという人も、遺体の身元が分かった時点で死亡扱いになる世の中ではないから、明日出向いてくれればよい、形式的なことを聞くだけだ、こういうケースは悪趣味な詰め替えによって生じた古い抜け殻の投棄という事案に落ち着くことが多いのだと言ってくれた。  無理やり呼びつけられなかったことに安堵しながら受話器を置くと、 「ひめか、ひめか」  青インコが鳴く。  悪趣味な詰め替えによって生じた古い抜け殻の投棄という言葉が頭の中で反復される。  女や子どもに身体を詰め替えて色事にふける彼の趣味はよく知っていたし、実際にその犯行の犠牲にもなった。  彼が人間に飽き、遂にはインコに身体を詰め替えたかどうか、わたしには判断しかねる。  その場合は彼の抜け殻を投棄し、インコになった彼をここまで持ってきた共犯者がいることになるし、何よりも彼からわたしへの最後のプレゼントが彼の生死をこの手に握ることだという悪趣味にもあきれるしかない。  しかし、あの夜のことを思い出すと、彼かもしれない青インコを無下に扱うのははばかられた。  だまされたことはだまされたが、女同士でセックスをした最初の経験は悪いものではなかった。  だからあきれはしても憤慨はしない。  きっとわたしは考えることを放棄し、明日から青インコに何かしらの名前をつけて暮していくのだろう。  これから先、もしパートナーができたら、彼かもしれないインコの前で事に及ぶこともあるだろう。  見られながら、聞かれながら、彼の表情を想像しながら、する。  わたしも充分悪趣味な人間に違いない。  インコの身体が冷えないよう、ケージの周りに新聞紙をひと束追加して布団に戻った。  明日は保温用の電球と命名辞典を買いに行こうと思いながら目を閉じた。  警察には行かなかったし、巡査の何がしという人からも二度と連絡がなかった。  青インコのレントゲンを撮って中身を調べる予定は、今のところない。
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