サンタの正体を探る息子と正体を隠す親との戦い

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 学校から帰ってきた息子が顔を真っ赤にして訴える。 「友だちがみんな『サンタさんて親なんやで』って言うねん。そんなことないやんな」  キリと口を結んだ息子の目が潤む。輝く(まなこ)は信心の決意か疑念の探りか。目をそらしてはいけない。 「そうやね」  私は曖昧に答える。 「うちにはくるもんな。信じん人のとこにはけえへんねん。きっと」  エイプリルフールが嘘をついていい日というがそんなのは嘘だ。本当の嘘はクリスマスだ。私たちの家にはイブの夜、サンタからの手紙が全員に届く。大人にも届くのは論理的思考に長けている息子を欺くためだ。  大人が子どもを騙すことが美徳のように語られるこの熱狂。なんなら国家や国際機関をあげて。そんな世のなかおかしくないか。息子が小学校に上がった頃、妻にそう話したことがある。めんどくさいこと考えるなあ、相変わらず。妻は呆れたような慈しむような、いつもの表情を私に向けた。  しかし本当に(たばか)られているのは私たちの方かもしれない。仮にひた隠しにされている秘密に気づいたとしても、知っているのと知っていると表明するのとはまったく別のことだ。秘密をばらすの(カミングアウト)は隠す側の能動性を経て初めて意味を持つ。幼い心なりにそのことを理解して、秘密に気づいているという秘密を抱え込んでいたとしても不思議ではない。  今年のクリスマス、息子は万年筆を欲しがった。私が原稿を書いているのを日常的に見ていたからだろう。去年までは仮面ライダーのグッズだった幼子が、急に大人になったかのような気がした。  不可解だったのは『うすい色のまんねんひつをください』と書いてあったことだ。息子は紫色が好きで身の周りのものも紫色のものをいつもねだった。それが急に薄い色とは。もうひとつ迷ったのは薄い色とは万年筆本体のことなのか、インクのことなのか。本人に確認すれば分かることだが、サンタへの手紙の内容を親が確認するわけにもいかない。妻に相談しても、そんなんどっちでもええやんと取り合わない。  Xdayが近づいてきて、私はそれとなく息子に尋ねた。 「サンタさんに何お願いしたん」 「まんねんひつ」  息子はあっさりと答えた。どんな色とか希望あんの。うっかり訊ねそうになって言葉を飲んだ。これはもしや息子に鎌をかけられているのではないか。奥二重の深い目で私を見る息子の姿に戦慄した。  結局迷った末に私は、いやサンタはシルバーの万年筆を選んだ。妻に伝えると、ええんちゃうと、耳掃除をしながら答えた。  イブの前日、息子が寝静まってからサンタの手紙を印刷したが、毎年使っている特殊な折り方をどうしても思い出せなかった。他の紙で何度試行錯誤してもうまくいかない。やむを得ず、暗闇のなかスマホのライトを片手に足音を立てないよう息子の抽斗を覗かせてもらった。LEDの白い光に浮かび上がった去年の手紙は、鉛筆の粉で真っ黒になっていた。  背後に気配を感じた。驚いて振り返ったが誰もいない。心臓が喉の奥で脈打つ。そもそも武道の達人でもないのだから気配など察知できるはずはないのだが、人は不安を感じたときに外部にその原因を求めようとするのだろう。  翌日、学校から帰ってきた息子が抽斗のなかを注視していた。仕事帰りに妻にそう聞かされた私は、息子がサンタの正体を探ろうとしているかもしれないと言った。妻はそやったらそれでええやん、知る権利を行使するのは知らない権利を放棄することやって早いうちに学んだ方がええねんと言ったきり、味噌汁を温めはじめた。  息子も妻も深い眠りに落ちた頃合いを見計らって、私は妻にパッキングしてもらって書斎に隠していた万年筆を手に寝室に入った。  スマホの光が息子の顔に当たらないように注意して、息を止めて枕元にそっと置き、ゆっくりと踵を返したところで背後に気配を感じた。気のせいだ。そう言い聞かせながら振り返ると、上半身を起こしてこちらを凝視している息子の瞳が白く光った。 「やっぱりおとうさんやってんね」  息子の手にリボンのついた箱が握られている。すがる思いで妻に目をやったが、こんもりと膨らんだ羽毛布団は寝息を立てたまま微動だにしない。深夜だったがリビングに移動して息子と話した。  鉛筆の芯を削った粉で指紋の検出ができると漫画で読んだ息子は、去年の手紙から指紋の検出を試みたらしい。しかしざらざらした紙ではうまくいかなかったので、今年は万年筆を頼み、両親のどちらかの指紋が検出できるのではないかと目論んだということだった。だから色の薄い万年筆だったのか。私は息子に語りかけた。 「サンタが誰か。そこに答えはないんだよ。ある子どもにはお父さんやお母さんかもしれないし、ある子どもには北欧からやってくるおじいさんかもしれない。また他の子どもには実態のない概念でしかないのかもしれないし、そもそもサンタなど来ない子どもだっていっぱいいる」  好奇心や探究心は結構だが、目的なき追求はしばしばそれ自体が目標のようになってしまう。そしてたどり着いた結果が自分を締めつける。そんな矛盾はこの社会のなかであたり前のように溢れているではないか。 「物事をはっきりさせることになんの意味があるのか、そのことを知らずに追求することはときに人を不幸にさせるもんだよ」 「相変わらずなに言ってるかわからないね。おとうさん」  私は息子が握った箱を指さして言った。 「それはお父さんとお母さんからだ。開けるかどうかは自分で決めなさい」  息子はしばらく逡巡したが、リボンをほどくと箱を開けた。薄い空色の液体が詰まった半透明のプラスチック棒がたくさん入っている。それはインクカートリッジだった。  息子が私を見た。私も息子を見た。二人は驚きの表情で見つめ合っていたことだろう。  そのとき寝室で微かな物音がした。私と息子は顔を見合わせて寝室に向かった。扉を開けるとカーテンがなびいていた。息子の枕元に包装紙に包まれた箱がある。  隣で目を見張っている息子の顔を見た。その視線はベッドで寝息を立てている妻に注がれている。この状況で妻を疑うのは当然だ。息子はどうするのだろう。私はだまって待ち続けた。息子よ、葛藤こそが人生だ。                              <了>
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