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もし。
私に足跡で人を判別する能力がなかったのなら。きっと、あの現場で働いている彼に気づくことはできなかっただろう。コンビニで見かけても、作業着姿の逢人を逢人だと認識することはできなかったかもしれない。
だから、この能力には本来、感謝しなくてはいけないのだと思っている。いくら“顔と名前がわかる相手の”“雨上がりの地面などで、ある程度くっきり残っている足跡”しか判別できないというどこで役に立つかわからない力であったとしても。そのおかげで彼と再会できたのは間違いないことで、逢人ともう一度話すことができたおかげで少しだけ前に進むことができたのも確かなことであるのだから。
そう、わかっているから。
恨むなんて筋違いなのだ。彼と話した二カ月ほど後のこと。彼の足跡が、工事現場の裏手に続いているのを見つけてしまったことも。その足跡に並んでもう一つ、クラスメートの女の子の足跡が存在することに気づいてしまったことも。
裏手の人気のない木陰で。その足跡二つが、かつてないほど近い位置で立ち止まっていたことを知ってしまったのも含めて。
――沢村さんと、城田。……付き合ってた、んだ。
それとも、二か月前に自分が話した時にはまだ、付き合っていなかったのだろうか。
自分があの日、あの流れのまま告白していたら何かは変わったのだろうか――なんて。そんなこと、今更思ってもどうしようもないことなのだけれど。
――体がくっつくぐらいの距離で向き合った二つの足跡。人気のない木陰。……明らかに、体が小さな沢村さんが背伸びしたってわかる、爪先だけの足跡……。
ただクラスメートの女の子と久しぶりに会って話しただけだというのなら、こんなことなどしないだろう。まるで、人に隠れるような場所でこっそりキスをする、なんてことは。
――馬鹿だな、私。城田のこと、好きな子がいっぱいいるって知ってたのにな。
私の初恋は、まるで花のように人知れず咲いて、あっさりと散っていったのだった。それでもその花を完全に捨てられないのは多分、残った花びらが手の中でキラキラと輝いているからに他ならない。
誰かと比較しなくてもいい。自分のペースで、やりたいことを見つければいい。彼がそう言ってくれたことで、どれほど気持ちが軽くなったことか。辛い境遇でも前を向こうとする姿に、どれほど励まされたことか。
だからきっと、どれほど胸が痛くても、この経験は無駄などではなかったはずなのだ。どんな痛みも、彼が背負ったものの重さには遠く及ぶはずもないのだから。
――友達としてなら。いつかまた、話すくらい、許されるよね。……それくらいは、夢見てもいいよね。
ひとひらの想いを胸に、私は歩き出すのだ。
傷も痛みも悲しみも、確かな自分の未来の糧にしていけるようにと。
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