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「ねえ、パパ」
カウンターキッチン越しに夫に声をかけると、
「何?」
夫はそっけない調子で訊き返してきた。
「お寿司もいいけど、久々にバルコニーでバーベキューでもしない?」
「バーベキューかあ。そういえば、最近してないなあ」
少し高めの牛肉を買ってもなお、あの店の寿司よりはバーベキューのほうがはるかに安上がりだ。それに、寿司屋で食事をしているときの画像を涼香ちゃんママに送りつけるのはさすがに気が引けるが、バーベキューの画像ならばさほど嫌味にならないだろう。
涼香ちゃんママと次に顔を合わせたとき、「バーベキューやったんだよね、いいなあ」「すごい久々なんだけどね」「うちの家、庭がないから、自宅でやるのは無理なんだよね」「でも、涼香ちゃんママの家は一軒家だし、マンション住まいの私からしたら、憧れだよ」「でも、三浦さんちは最上階だから、景色も陽当たりもいいし、あんなに広いルーフバルコニー、羨ましいよ」――
そんなやり取りをしているときの絵が美和子の頭に浮かんだ。
ひとりが知れば、それはすぐに他のママ友に伝わるのはわかり切っていることだったから、家族団らんをアピールしたい美和子にとって、バーベキューをすることは、メリットこそあれデメリットはなかった。
「来週の日曜日なら、理沙もテストが終わっているし、どうかな?」
「日曜日か……」
夫が言葉を濁している。美和子としては、夫が休みの土曜日でもかまわないのだが、土曜日は生憎理沙のピアノのレッスン日であり、通塾日でもあるのだ。
「……日曜日、何か用事でもあるの?」
夫の顔がバルコニーのほうに動いた。美和子は陽射しに目を眇めるその横顔をちらりと見た。
「バーベキューじゃ、昼間だよなあ?――」
夫はバルコニーから視線を離さずに訊いてきたが、その口調は当然答えはわかっているというような、いかにも形式的なものだった。
「そうね。片付けも手間取るし、下とか隣の部屋から苦情なんか言われたら気分悪いから、夜だとね……」
美和子は言葉を濁し、夫に背を向けると、冷蔵庫からチューブのショウガを取り出した。
「いやあ、実はね。来週の日曜日、昼過ぎから会社の連中とちょっと約束があってさあ」
背中にかかる声は想像したとおり、気まずそうな空気を含んだトーンだった。
「あら、そうだったの」
何事もなかったかのように返事をした美和子だが、自分の顔が能面のように固まっているのが想像できた。
美和子は努めて夫に顔を見られないように意識して、機械的な手つきで食器棚からどんぶりをふたつ取り出した。
「……その約束、他の日にっていうのがちょっと難しそうだから。悪いな」
口調こそ穏やかだが、反論することは許さない、この話はもうここで打ち切り、といったニュアンスが感じられるのもまた、美和子にしてみればいつものことだった。
美和子はふうっと、小さく息を吹き出すと、
「じゃあ、また、あなたの都合のいいときにでもやりましょう!」
作り笑いを浮かべて振り向き、快活な声を出した。
「そうだな」
安心したような顔つきで、ソファに身を預ける夫を見ていると、美和子の心は、ざらついた気持ちでいっぱいになった……。
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