長い階段

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   そして、扉の両側にある窓の柵には、開いた状態の傘がそれぞれ1本ずつ引っかけられており、そのうちの1本はビニール傘だったが、もう1本は個性的なデザインで、黒地に青い紫陽花が大きく描かれていた。一見して、大人の女性が使うようなデザインだったから、おそらくその傘は母親のものなのだろうと察しをつけた。  が、どことなくあの女の持ち物としては派手過ぎるような感じがし、しっくりこなかった。美和子はどこか物足りなさを感じながらも、他に何も手がかりがないので、その場を後にする他なかった。  結局、確証を得られることなく、外階段のほうまで引き返した美和子だが、ふとあることを思いついて、ポストの前で立ち止まっていた。もしかすると郵便物が入っているかもしれない、そう考えたのだ。  美和子はためらいがちに103の扉のつまみに手をかけた。が、やはり、罪悪感のような感情がよぎって、手が止まってしまった。  けれども美和子は、一呼吸置いてから、「管理がなってないから悪いのよ。見られるのが嫌だったら、南京錠でもかけておけばいい」と、小さく声に出して自分に言い聞かせると、ふっと鼻息を吹き出して、今度はひと思いにつまみを持ちあげた。  すると、鳥のさえずりしか聞こえていなかった空間に、キイっという、鈍く細い金属音が響き渡った。頭を少し(かし)げて四角い箱の中を確かめると、そこには「福祉保健センター」からの封筒が1通入っていた。宛名は「高畑紀美子」となっている。  美和子は、以前に住んでいた「高畑紀美子」さんが住所変更の手続きをしておらず、いまだこの住所宛に郵便物が届いているのかとも思ったが、「転送不要」の赤い印字を見て、あっと思った。  もしかすると、今どき問題になっているアレかしら?――  103号室は生活保護の不正受給のために利用されていたのかもしれないと、美和子は解釈したのだった。  けれども、その考えもすぐに疑わしいものに変わった。  美和子の頭の中からは、あの親子の引っ越しが、タイミングからして離婚によって生じたものに違いないという考えがどうしても離れなかったのだ。  美和子の思考回路をたどってゆけば、あの女の旧姓が「高畑」で、「南条」は元夫の姓であり、娘の姓を変更する手続きがまだ済んでおらず、職もないので生活保護の受給を申請したに違いないという結論にたどり着くのが自然の流れだったからだ。
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