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プロローグ
光の粒子を散らして淡くターコイズブルーに輝く神秘的な氷の大地。
胸の奥にシンと染み込んでくる様な極限にまで不純物を含まないクリアな世界。
彼らが振りまく海水の粒はキラキラ輝くゼリーの様だ。
けれどひとたびブリザードが吹き荒れようならば、一瞬にして濃淡の激しい荒々しい灰色の世界に転じ、地表に貼り付いて生きるか弱い生き物にも容赦なく襲いかかる。
南極は思ったよりも、色彩豊かで躍動的な世界だった。
彼らは太く立派な二本の足で、どこまでも透明な大気の中、でっぷりとした体を支えて佇んでいた。
艶やかなお腹の羽毛が真っ直ぐな光を透過して銀色に輝いている。
美しい流線形の体に小さな黒い頭。思慮深く遠くを見つめる真っ黒な小さな瞳。鋭く尖ったクチバシにはピンクのラインが美しく通っている。
エンペラーペンギン。まさにペンギン界の皇帝といった出立ちだ。
ペンギン界の皇帝は、小さく左右に体を揺すりながら太く短い足でヨタヨタと歩き出した。よく見ると足の付け根辺りの羽毛が足を動かす度にムリムリと盛り上がっている。
一羽歩き出すと、他の一羽、また他の一羽とペンギン達は一例になって歩き出した。
ペンギン達は「よいしょ、よいしょ」とナレーションを入れたくなるくらい一心不乱になって行進を続けている。
突然先頭の一羽が立ち止まった。後ろから来ていたペンギン達が次々とぶつかって倒れていく。脂肪をたっぷり蓄えたペンギンの体はボヨンという感じで、倒れても大して痛く無さそうだった。
氷の世界に慣れている筈のペンギンが、足元の氷に足を滑らせて転んだ。こちらもボヨンと転がっていく。
なんだか爆笑映像のテレビ番組でも見ているみたい。
「これ、絶対中に人間入ってるよね」
私はケタケタと笑いながら夫の貴直を振り返った。
「だよね......」
貴ちゃんもメガネを外して涙を拭いている。
「ペンギンは『人鳥』とも言われているんだよ」
物知りな貴ちゃんはウンチクを語るのも忘れない。
ペンギンは動きだけで無く、本当に「人鳥」そのものだった。
運悪く亡くなってしまった雛を諦めきれずいつまでもお腹で温め続ける親鳥だとか、歩き始めたばかりの雛を心配で後を追いかける母親だとか......。
私は自分の丸いお腹をさすった。
お腹の中で赤ちゃんがモゾリと動くのがわかった。
今私は妊娠十ヶ月だ。
私の中でも母性というものが少しずつ成長してきているのだろうか。何だか最近涙もろい。
笑ったり泣いたり忙しいよな、なんて思っていると、貴ちゃんの手が私のお腹を優しく撫でた。
貴ちゃんの頼もしい大きな手の温もりにお腹の中の赤ちゃんも嬉しそうに体をよじった。
私は今、貴ちゃんと二人でドキュメンタリー映画のDVDを見ている。妊婦とお腹の子の精神的な癒しの為にと、貴ちゃんが買って来てくれた物だ。どこだか外国のテレビ会社が撮影した物で、ペンギン型のカメラを作ってペンギンの営巣地等を間近で撮影したという、結構お金のかかってそうな映像だった。
ペンギン型カメラも首が回ったり、卵型があったり、雛型があったりと結構手がこんでいる。
ペンギンは警戒するどころか、雛型カメラを抱き寄せてみたり、大人のペンギンカメラに求愛行動をとってみたりと、カメラをペンギンと認めている様だった。
何だか意外だった。犬や猫の様に動物というのはみんな匂いで相手を認識するものだと思っていた。
動物も視覚というものに結構惑わされるもんなんだな......。
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