1/7
53人が本棚に入れています
本棚に追加
/69ページ

「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」  無機質な分娩室に赤ん坊の元気な泣き声が響き渡った。  そう言われて、私は朦朧としながらも何とか首をもたげて、看護師さんに抱かれているそれを見た。  生まれたばかりの赤ちゃんは皆、試合終了直後のボクサーの顔をしてる。良くそう言われているが、なるほど本当だなと思った。  時間をかけて産道を通り抜けて来た我が子の顔は赤くむくみ、全体にしっとりとした感じは鳥の雛を思わせる。  このボクサーの顔状態では、どっち似だとかはまるでわからない。  赤く見えるから赤ん坊、言葉の由来通り真っ赤な顔をして懸命に泣いている我が子を、この時確かに私は見た、はずだった......。 「ありがとうございます」  それだけ言うと、36歳初産、長引く陣痛で気力も体力も使い果たした私は、混沌とした闇の中に落ちていった。  ああ、無事に生まれて良かった......。  ようやく湧いて来た出産の実感と共に......。  ようやく目が覚めた私が案内されたのは、淡いピンク色を基調とした明るい雰囲気の病室だった。壁紙には可愛らしい小さな小鳥の絵が描かれ、大きく開いた窓からは、レースのカーテン越しに優しい光が差し込んでくる。  二人部屋なのだが、隣のベッドにはまだ人はいないようだ。  私がまだぼんやりとしながら、荷物の整理をしていると、遠慮がちにドアをノックする音が聞こえてきた。  くぐもる様な声で返事をすると、貴ちゃんが扉の隙間からゆっくり顔を覗かせた。息子誕生の知らせを聞いて、仕事を早退して駆けつけてくれた様だ。 「香奈ちゃんおめでとう! 体調大丈夫?」 「うん。何とかね」  私は弱々しく笑顔を向ける。 「本当に頑張ったね! お疲れ様!」  貴ちゃんは興奮気味にそう言うと、私の手を握ってぶんぶんと振った。  体力が戻りきっていない私は、貴ちゃんと二人、階段ではなくエレベーターで二階の新生児室へと向かう事にした。  エレベーターから降りると、すぐ目の前にはナースステーションがあり、向かって左側には分娩室、右側に息子がいるはずの新生児室がある。  貴ちゃんに支えられながらゆっくりとエレベーターから降りると、新生児室の前の廊下をピンク色のワンピースを着た生き物がペタペタと歩いて行くのが目に入ってきた。  ワンピースの襟から覗く黒い頭は、髪の毛というよりも束感のある艶やかな羽毛だ。何よりも隠しようが無いのは、ワンピースの裾から覗いている太く短い足とその間にピョンと飛び出した短い尻尾だった。  二足歩行でヨチヨチ歩く姿は、どこからどう見ても......ペンギンだった。  疑い様もなく、ペンギンだ......。  ただ、身長がやたらと大きかった。小柄な女性位はありそうだ。  けれどここは産婦人科だ。どうみてもペンギンの姿は不釣り合いだった。  ペンギンはそんな事はお構いなくペタペタとそのままゆっくり歩いて行く。そしてちょうど廊下の曲がり角まで行った時、何かを大事そうに抱えているのがチラリと見えた。  人間の赤ちゃんの様な......。  私と貴ちゃんはそのまま何も言わずに、ペンギンが産婦人科の中をペタペタと歩く姿を見送っていた。  廊下の奥にペンギンがすっかり姿を消してしまってから、私は答えを探す様にして貴ちゃんを見つめた。 「ペンギンだったね」 「ペンギンだったよね」  貴ちゃんも確認する様に私を見つめた。  どうやら答えは見つけられない様だ......。
/69ページ

最初のコメントを投稿しよう!