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それは塾の帰りだった。
ソウマは道端に人が倒れているのを発見した。
初めはただ驚いただけだったが、まわりに自分以外の人がいないことを知ると意を決して声をかけた。
助けなければと思ったのだ。
「大丈夫ですか」
そう言いながらうつぶせに倒れた姿を見る。黒髪の短髪。グレーのスーツはところどころやぶれている。男だろうか。そして意識は。
ソウマは体をゆすってみた。
反応があった。体をお越し、ソウマを見た。
中年男性のようだ。
「大丈夫ですか。怪我はないですか」
男はずいぶんとやつれていた。しかし、ニッコリと笑った。
「君が助けてくれたのか」
「助けるって。起こしただけですけど」
「ありがとう。それで十分だよ」
「どうしたんですか。事故ですか、それとも暴漢に。救急車か警察を」
ソウマの申し出に男は首を横に振る。
「その必要はないよ。それよりも頼まれてくれないか」
男は胸ポケットから細長い棒のようなものを取り出した。ノック式のボールペンのように見えるが緑色に光っている。
男が差し出すのでソウマはそれを手にした。
「君に託すよ。道端で倒れている俺を助けようとしてくれた。それだけで素質十分だ。それに君は見たところ学生だね。まだまだ伸びる年頃だ。君ならばできるかもしれないね」
ソウマはぽかんとしてしまう。男は何をいっているのか。やはり男はただならぬ状況の最中なのだ。まだ正気じゃない。早く救急車か警察をと思った。
男はいう。
「おめでとう。これで君はヒーローだ」
そして、男はソウマの手の上から自分の手をかぶせ、ソウマの指で棒のノックを押した。
その瞬間、緑色に光る棒からまっすぐに空に向かって一筋の光が伸びた。電柱や街灯よりはるかに高い位置までのびる。
ソウマはその光にあっけにとられていると、急に体が持ち上がるのを感じた。
見ると一人の男が自分を片手で抱えて走っていた。走っているといってもこれは車に乗っているほどの体感速度。
「託されし者よ。私の名はゼフ。然るべき力を得るにふさわしき心身を手に入れるために、汝を鍛える存在」
ゼフと名乗った男はさらに加速した。
ムラモトはゼフの姿を一瞬だけ見た。
ほんの一瞬だけ、姿を現し、そしてあの学生を抱えて走り去っていった。
身長190センチを超える長身。大人の男を片手で抱え、さらに100キロを超えるスピードで走ることができる超人。
現にほんの一週間前にムラモト自身も今の学生のように連れ去られた。
一週間前。
ムラモトは仕事からの帰宅途中に倒れている人を発見し、助け起こした。
まだ若い男だった。スーツを着ていたので社会人ではあるのだろうが、ムラモトは今年大学を出たばかりで会社に入って来た新入社員を思い起こさせた。
「どうしたこんなところで。上司にひどく飲まされたのか」
そういいながらも酒のにおいがしないことは感じていた。
自分たちの若いころは上司に散々飲まされてということが頻繁にあったが、今はアルハラといってそんなことはできない。
時代遅れなことをいってしまったと思っていると若い男はいったのだ。
「助けてくれたんですね」
「助けるだなんて。そんな大袈裟な」
ムラモトは正直照れた。
「どうしたの。なにかあったの。救急車か警察を」
ムラモトの申し出に若い男は首を横に振った。
「それはいいんです。それよりも頼まれてくれませんか」
まるで新入社員に頼りにされているようで気分が良かった。
だから若い男が取り出した物をなんの疑いもなく受け取った。緑色に光る『ヒーロースティック』。
若い男はいった。
「あなたに託します。道端で倒れているぼくを助けようとしてくれた。それだけで素質十分です。仕事もできそうだし、頼りになる上司って感じですね。あなたならばできるかもしれない。これであなたはヒーローです」
そして、若い男はムラモトの手を取り、ムラモトの指でスイッチを押した。ムラモトがあの学生にやったのと同じように。
天高く放たれる光。
浮き上がる体。
超人ゼフとの出会いだった。
ゼフ曰く。若い男から託されたのは『ヒーロースティック』。それを持っている者は、地球を救えるほどの力を備えたヒーローになることができるという物だった。
それを聞いた時、馬鹿馬鹿しい話だとは思えなかった。それはゼフにすでに出会っていたからだ。
ゼフの身体能力を見せつけられ、あなたこそがヒーローではとの問いには高笑いで答えが返ってきた。これほどの男であってもヒーローと比べれば自らの力など赤子同然だといった。
私はヒーローの器ではない。あくまでもヒーローとしての素質のある者を探し出して、力を得るにふさわしい心身となるよう鍛える存在であると。
一般ドライバーがF1マシンを操れないように。サッカーの初心者がプロのピッチに立てないように。汝はまだ不足。
だからこそ鍛錬と関門を汝に与える。責務を果たすべくその力を目覚めさせよ。
ふさわしき心身が備わったとき『ヒーロースイッチ』を押せば、ヒーローに変身し、強大な力を得ることができる。
こうして修行がはじまった。
数時間におよぶ登山。その後の滝行。同時にはじまる格闘技の訓練で気絶するまで殴られる。100回を超えるバンジージャンプ。
孤島までの遠泳。棒一本だけ与えられての野犬の群れとの対決。
どれもつらいがそのあとで与えられる暖かい食事と瑞々しい果物がムラモトをがんばらせた。何より自分には大きな責務があると自らを鼓舞した。
ところが五日目、食事は自らの力で確保することがいいわたされ彼は餓えた。
そして六日目、無数の蛇がいる洞窟に入るように命じられたとき彼の気持ちは途切れてしまった。
もう耐えられないことをゼフに告げたのだ。
ムラモトの申し出をゼフはあっさりと承諾した。
「汝。ヒーローになる権利を手放すというのか。修行はまだ初歩の初歩の段階でしかないが、仕方がない。ならば今からいう手順に従い次の者に『ヒーロースティック』を託せ」
そしてムラモトはあの学生に託したのである。
ゼフが走り去った方向を見てムラモトは思う。
俺は一週間しかもたなかったが、あの学生ならばきっと修行に耐えヒーローとなる心身を手に入れてくれるだろう。
あとは任せた。
(了)
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