月夜の晩に

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月夜の晩に

「お前も懲りない男だな。まーたフラれたのか? そろそろ500を超えるんじゃなかったか?」  するとカミーユは何故か勝ち誇ったような顔で、 「フフフ、甘いね狼王! 僕は今日、555回目の記録を更新した!」 「……そろそろ諦めろ」 「馬鹿な事言わないでよ! リリーは僕の女神だよ! 世界でたった一人、彼女しかいないよ! 天地神明に誓って!」 「……独りよがりでは、大切な彼女の迷惑になるだけじゃないか?」 「……はあ。それなんだよなぁ。絶対、リリーは僕が好きだと思うんだけどなぁ。なあ、何でかなあ?」  カミーユが一目惚れしたのは、人目に立つ美人では無いが、密かに憧れを持って狙っている男が山程いる、静かに日陰に咲く小さな野花のような女性だ。  野花であるから強かで、強靭な意志を持つ彼女の心を掴むのは、難しいだろうとロルフは感じていた。 「お前が騎士階級だからだろう。彼女は夢の中で生きられる女じゃ無いんだ。遊びなら即刻止めろ」 「遊びで555回も口説いてなお諦めないでいられるかよ。確かに僕の家は騎士階級だけど、家は弟に譲っちゃったし、僕はこの通り、気楽な風来坊なのになぁ。ハッ! もしかして……」  この男の深刻な顔は真面目に取り合わないに限る。ロルフは友のよしみで、一応合いの手を入れてやった。 「もしかして?」 「隠し切れない僕の想いがリリーを怖がらせちゃったかな?」  ロルフはため息を飲み込むようにエールを煽った。  気楽な風来坊が、国の密命を受けて貴重な薬草採取になど来るものか。自らの若過ぎる引退もフェイク。  この男は、間違いなく風の国の中枢、司祭の手駒。騎士団長よりも信を置かれた忠臣に違いないのだ。  己の恋に目がくらむ程度の小娘ならば騙し切れるだろうが、リリーはそんじょそこらの男でも敵わぬ程強靭な意志力を持つ賢明な娘だ。  カミーユから普通とは違う何かを感じ取っているに違いない。 (それでも耐えられぬ程、カミーユに惚れてしまったとしたら……)  それは、不運と表裏一体の、眩い幸運だろう。ロルフは、ここまでの良い男は世界中を探しても居ないであろうと断言出来る程に、カミーユが気に入ってしまっている。 (少し手助けしてやるか……)  思わずそう思わせるだけの魅力ある男だ。 「カミーユ。リリーに何かプレゼントしたか?」 「したよ、もちろん! 花束も、アクセサリーも、服も、お菓子だって受け取って貰えなかったけどさ……」 「それは普通の女なら喜ぶだろうが、リリーの好みでは無いな」 「じゃ、何が良いかな? いや、待った! 答えは出さず、ヒントで!」 「面倒くせぇな、お前は。……リリーが好きな事はなんだ?」 「仕事だね! びっくりするくらい真面目で勤勉で、額の汗を拭う時の仕草が物凄く色っぽくて……」  間髪入れず答えたカミーユの返事は余計な情報も入っていたが、正解だ。 「じゃあそこから考えろ」 「ぅわかったぁ! 高級食材とスパイスをプレゼントし……いたぁ!」  迷わず、ロルフはカミーユに一発拳骨をくらわせた。 『……阿呆なのか?』 「確認するな、オール。阿呆の権化だ」 「ちょっと! オール、ひどいな! 何て言ってるか分からなくても馬鹿にされてるのくらい分かるんだからね!」 『くだらん。付き合いきれんぞ、ロルフ』 「まあそう言うな。コレでも深刻な悩みなのさ、アレにとっては」 「アレとか言うなよ〜!」  額を弾いてやろうかと構えると、サッと防御に入ってしまった。ロルフは軽くため息をついて、 「お前しか持ってないカードがあるだろ」 「……カード……?」 「お前の出身国だ」  すると、途端にカミーユの顔が輝くばかりに明るくなった。 「分かった! 早速母さんに手紙を送るよ!」 「あ?」 「そうだそうだ、なんで思いつかなかったんだろ! ありがとー、狼王! 流石だね、狼王! 愛してるよ! リリーの次だけどね!」  まくし立てるように喜びを口に、ロルフの両手を握ってブンブン振り回した上にキスまでしそうな勢いだったので流石に避けた。  そして、「善は急げだ!」と水の国の格言を飛ばしながらすっ飛んで行ってしまった。風の国の騎士は素早さが売りなだけあって、彼に追い越された人々には風が通ったようにしか感じなかっただろう。 『なんだ、アレは』 「恋する男だよ、オール」  まだ少年の域を達しない大人びた相棒に、説明してやるのは野暮な事だろう。ロルフは続きを促すオールの頭をそっと撫でてごまかした。  最近、とても困っている事がある。 「リリーいる?」  その一言で、簡単にリリーに会いに来る人がいるからだ。お世話になっている叔父は、最初の内は父のように「リリーに会いたければ俺を倒せ!」な鉄壁だったのに、いつのまにかすっかり彼を気に入ってしまって、 「今日、リリーはちょっと機嫌が悪いぞ。今日はやめとけ」とか、 「リリーなら今日は昼過ぎの方が時間が空くからその辺で声をかけたら良い」とか……。  すっかり彼……カミーユの良きアドバイザーになってしまったのだ。  おかげで、カミーユは毎日のようにリリーに話しかけてくるようになってしまったのだ。そして、何度もお断りしているのに毎回口説いてくる。 (他にやる事が無いのかしら。暇な人ね) 「やあ、リリー! 今日も綺麗だね、可愛いね、働き者だね!」 「……どうも」  一応、褒めて貰っているのでお礼っぽいことは言った方が良いだろう。面倒でも、一応、お客様でもある。  綺麗も可愛いも何も、どうでも良かったが、働き者は嬉しい。ただ、流れる水のようにさらさらと褒め言葉を並べられると、胡散臭いだけだ。 「何かご用でしょうか」  いつもなら、ここで「リリーにプレゼントだよ!」などと言い出すので丁寧にお断りするだけだ。  だが、今日は後ろ手に何か紙の束を隠してニマニマしている。 「ねえ、リリー? これ見たく無い?」 「……何ですか、それ」 「ふふん。美食の国でお馴染みの、風の国の家庭料理レシピだよ」 「……!」  思わず目を輝かせてしまう。物凄く見てみたい……。 「これあげるから、僕とデートしようよ!」 「……デート」 「うん、僕と一緒に!」 「……あの」  当然のようにしているところを見ると、きっとこれは常識的な言葉なのだろう。だが、リリーには分からなかった。 「デートって、何ですか?」 「え」 「……」  やっぱり、常識だったのだ。仕事を覚えるのが楽しくて、そういう事は全部後回しにしてしまったから……。 「ええ〜! リリーってば可愛い! デートした事ないの?」 「え、ええ、はい……。あの、どんな、事でしょうか……」 「よぉし、僕が教えてあげるよ! 行こう!」 「あ」  ヒョイと手を繋がれてしまう。まだ良いとも悪いとも言っていないのに、カミーユは浮かれて空を飛んでしまいそうだ。 「あ、あの……」 「なんだい? あ、ごめんよ。歩くのが早かったかな」 「い、いえ、あの……て、手を、あの……」 「そうだね、迷子になったら大変だ。しっかりつかまっててね」  恥ずかしいから手を離して欲しいと言いたかったのに、カミーユは更に強く握りしめてくる。 「ち、ちがいます、手を、手を離して……」 「ん? あ、もしかして手を繋ぐのも初めてとか」 「ば、ばかにしないでください! 手くらい、繋いだことあります!」 「へえ? 誰と?」 「お、お父さん、とか」  途端にカミーユはサラリと吹き抜ける風のように柔らかに笑った。 「そりゃ良いや。じゃ、僕が初めての男だね」 「へんな言い方しないでください!」 「えー? 変な言い方って何さ? リリーってばそういうのは知ってるの〜?」 「そういうのって何ですか! わ、私は、常識的に……」  リリーは本気で手を振りほどこうと力一杯振り回したが、絶対に離して貰えなかった。それ程力一杯握っている訳でも無いのに。  リリーが必死で暴れている間にも、 「よう、お姉さん。今日もべっぴんさんだね! さては今夜はダンナとデートかい?」 「あらカミーユちゃん! もうやだよ、この子ったら! こんなお婆ちゃんつかまえてお姉さんだなんてさぁ! デートなんて、もう何年もしてないよ」 「何言ってんの、まだまだ男が黙ってないんだから、よーくダンナに注意しとかないとね。かっさらわれても知らないよーって」  楽しそうに会話を弾ませながら美味しそうな蒸した芋を串に刺して貰って、 「お金なんていらないよ。この間のお礼だよ」 「ダメダメ、それとこれは話が別! ほら、ちゃんと受け取って」 「もう、律儀な子だねぇ。ありがとさん」  じゃあ一番大きな芋をあげようね、いや悪いよ、などとやりながら、屋台のおばさんから一番大きくて美味しそうな芋を貰ってニコニコしている。 「いやぁ、ここは良い国だなぁ! 美人ばかりだし、優しい子がいっぱいだし!」 「じゃあ、そういう子とでかけたら良いじゃないですか」 「ん? ふぁんへぇ?」  行儀の悪いことに、カミーユは早速芋に齧り付いている。 「だって、私は別に美人でも優しくも無いし」 「リリーは、かわいいよ」 「ですから、一般的に私は普通の顔です」 「僕は、いつ君の顔だけがかわいいなんて言ったかな? 僕は、リリーの全てが可愛くて仕方ないんだよ!」 「はあ……」  何を言っているのか、よく分からない。我ながら、大した御面相では無いし、男性に好まれる性格でも無い。  どこをどう見たら「かわいい」と形容されるのか、意味が分からない。 「リリーはね、いつも一生懸命だよね。それにさ、苦手なことも頑張って克服しようと工夫する賢さもあるし、それでいて自分本位じゃなくて人に気遣えてさ、凄く良い子だよ」 「はあ……」 「あとね……」  これ以上、何を褒められるのか。往来で恥ずかしくて仕方ない。 「シチューを作るのが上手!」 「は?」 「いや、これ凄く大事なんだよ! シチュー大好きなんだよ、僕! 母のシチューがこの世で一番美味いと思っていたのに、リリーのシチューが、もうさ、本当にもの凄い美味しくて!」  確かに、彼に口説かれ始めたのは、リリーが宿の食事を作るようになってからだった。最初はシチューだった。体が温まるし、野菜もお肉も摂れて栄養満点。 「毎日、このシチューを作ってくれる人のご飯が食べたいって思ったんだよね!」 「そうですか……」  リリーは齧り付いた芋にむせたフリをして顔をそらした。  実は、初めて宿の食事を任されて手を震わせながら必死で作ったシチュー。何度味見しても自信が無くて、叔母に味見して貰ってようやく勇気を振り絞ってお皿に盛ったシチュー。  それに、こんなに感動している人がいたなんて。しかも、この人はあの美食の国である風の国出身。母などと気楽に言っているが、他国から見たら一流シェフ並みの腕前である。 (さすがに……お母様より美味しい、と言うのは大げさだと思うわ、要するに、それくらい感動したと。そういうことよ、うん)  むせたフリをしている間に、何とか顔を整える。 「ありがとうございます。風の国の方にそのように言って頂けると、自信が付きます」 「おおいに付けて貰って良いよ! だってホントに美味いんだもの〜! ねえ、また作ってくれる? あのさ、ロルフと一緒に食べたいからさ、かぼちゃを入れてよ!」 「はい、ロルフ様はかぼちゃがお好きですからね。スケジュールを伝えて頂きましたら、そのように調整させて頂きます」  すると、カミーユは突然ブウ、と頬を膨らませた。 「何ですか?」 「……なんでロルフの好物を知ってるの?」 「それは、ロルフ様とお話しした折にお伺いしたことがあるからです」 「じゃあ、僕の好物は?」 「先程お伺いした通り、シチューなのでは?」 「もう! そうだけど! そうじゃない!」 「はあ……」  まるで、駄々っ子のようだ。芋を刺した串を持ったまま、両足をバタバタ踏み荒らしている。 「リリー、宿題!」 「はい?」 「一週間以内に、僕の大好きな食材を当てて見せてよ! 先に言っとくけど、ロルフに聞くのは無しね!」 「はあ?」 「それまで、レシピはお預けだよ!」 「ええ!」 「何でそこで一番良い反応するのさ!」 「だ、だって……あ……」  お客様に対して砕け過ぎてしまい、リリーは慌てて口を塞いだが、カミーユは不機嫌そうにしているだけだった。 「わ、分かりました……でも、一週間で当てたら、レシピを下さい!」 「一週間で分からなかったら、僕の食事はその後一ヶ月、毎日シチューね!」 「そ、それはいけません! 確かにシチューは栄養がありますけれども、毎日同じ食事などとんでもない! 出来ません!」 「えー? リリーさんは、一ヶ月分のシチューを飽きずに食べさせる工夫も出来ないんですかー?」  意地悪そうにニヤニヤされて、リリーは思わずカチンと来て言ってしまった。 「そこまで言うなら、やってやろうじゃありませんか。一ヶ月? 手ぬるいですね! 三ヵ月、毎日飽きずに食べられるシチューを作って差し上げます!」 「やったー! よーし、勝負勝負!」  頭に血が上って鼻息が荒くなっているリリーは、カミーユの手管にまんまと乗せられてしまったことに、全く気付いていない。  この賭けは、どちらに転んでもカミーユにしか得が無い。モグモグ芋を頬張って宿でカミーユが食べたものを反芻する事に忙しくて、内心小さく舌を出しているカミーユにも気付いていないのだった……。  まだ考えの浅い小娘であったリリーも、娘を必死で育て上げた後に考えると、してやられた、と頭を抱えてしまう、ちょっと恥ずかしい思い出。  でも、あの賭けがあったからこそ、リリーは純粋に一人の男性としてカミーユを見る事が出来た。  後にも先にも、唯一度の恋。リリーはその思い出だけで、十分に胸がいっぱいだ。 (あなた、悔しいんじゃ無い? かわいい娘に会えなかった上に、憎ったらしい婿をぶん殴れなくて)  何しろ娘のホリーはリリーにそっくり。瞳の色だけは、カミーユにそっくり。間違い無くとんでもない親バカになっていたに違いないのだ。 (まあ、クラウスさんなら、普通に良い勝負ね。なんなら、あの人が負けちゃったりして)  そんなことを思いながら、リリーは思い出のシチューを作る。もちろん、主人には出せない庶民の味なので、使用人の賄いなのだが。  コッソリと主人夫婦も子供達も、「スープ!」と言い張ってメニューに加えて楽しむのだ。  それを見越した大鍋のシチューは、たっぷり十人前はある。  主人達、使用人仲間、そして。 (あなたの分ね。あなたの大好きな、カブが入っているのよ)  美しい月夜、思い出のシチューを作る度にリリーの胸は未だに甘く痛む。それも、悪い事では無い。 (勝手に行っちゃったんだから、せいぜいヤキモキして待ってなさいな)  あの人にそっくりになった意地の悪い笑みを浮かべると、優しく風が吹き抜けていった。
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