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光の国・うきうきショッピング編
人々の熱気に包まれた通り、ざわめきが一帯を包み込んでいる。賑わう商店街に、ホリーははしゃいでしまう。
「クラウス、早く早く! まずは水の国から見ていきましょう!」
「分かった分かった。ちゃんと手を繋いでおこう。迷子になってしまうぞ」
「もう! 私はそんなに子供じゃありませんー!」
ぶう、と膨れつつもクラウスと手を繋ぐ。一緒に暮らしている迷宮の町は各国から冒険者を受け入れているだけあって非常に活気がある。商店街の規模も中々のものだ。
でも、クラウスとこうしてのんびり巡ることは滅多にない。休みの日にはゆっくり疲れを癒やして貰いたくて、家で寛いで貰うことが多い。
ホリーはわくわくする心を止められず、先を急かして、グイグイ腕を引きながら最初に覗いたのは水の国の屋台だ。
帽子みたいに手ぬぐいを被ったおばあちゃんが、ピクルスのようなものを見本に差し出してくれた。
「これは何ですか?」
「これは粕漬けだァ。お嬢ちゃん、お土産にどうだい? 日持ちするから安心だよォ」
「わあ、ピクルスみたい!」
「ぴくるす? ってのは、酢漬けだらぁね。粕漬けは、酒粕で漬けた漬け物だよォ。こっちはぬか漬けだらぁな」
聞いたことの無い漬け物を気軽に味見して、ホリーは独特の食感と発酵臭に目を白黒させてしまう。
「ん、ん、美味しい」
「んだべぇ? 旦那さんもどうだら」
「……ご婦人。さけかす、とは?」
「酒を醸した後のもんだらぁねぇ。もったいねぇから、色んなものに使い回すんだども、これが美味いんだぁ」
ようやく、ホリーもハッとする。水の国の酒は、白ワインのように透き通った米を醸したものだが、とてつもなく強い酒なのだ。その粕と言えど、まだ酒気を帯びている訳で……。
慌ててホリーがクラウスの背中を支えると同時にフラリフラリとクラウスは酒が回り始め、足元もおぼつかない。
「だ、大丈夫? クラウス」
「いや、すまん……休んだ方が良さそうだ……」
何と、クラウスは一件目でダウン。楽しい夫婦のお買い物は一瞬で終了かとガッカリしてしまった。
「少し休んでいれば大丈夫だから」
「うん……」
商店街に設置された小さな休憩所は、買い物を楽しむご婦人方に付いていけず、へたりこんだ男性陣の憩いの場となっているようだ。ホリーも一緒にクラウスの回復を待とうと思っていたら、
「クラウス殿!」
キラキラと尊敬に目を輝かせたアルドが駆け寄って来て、クラウスに対してまるで主にするように最上級の礼を尽くして跪いた。
「お困りのご様子、このアルドに何なりとお申し付け下さい!」
「あ、ああ。いや、頭を上げてくれ」
「狼王殿に敬意を払うのは当然のことです!」
「い、いや、頼む。普通にしてくれないか」
「はい! クラウス殿の仰せとあらば!」
どうやら武術大会の手合わせで、すっかり心酔の域にまで達してしまったらしい。アルドはクラウスに尊敬の念を向けつつも、ホリーにも丁寧にお辞儀をしてくれた。
「ホリーさん、姉からも仰せつかっております。宜しければ、火の国の屋台をご覧になりませんか? 私がご案内致しますよ」
「え、ええ、でも……」
「行っておいで、ホリー。楽しみにしていただろう。俺は休んでいれば大丈夫だから」
「う、うん……。無理しないでね? 早く戻るから」
「大丈夫だよ。楽しんでおいで」
ホリーは後ろ髪を引かれつつも、アルドの案内で火の国の屋台を回ることにした。
「な、何コレ? ま、魔獣の卵?」
「いえ、それはパイナップルですね。果物です」
「ぱ、ぱいなっぷる!」
ホリーがとげとげの変な物体を手に目を丸くしていると、アルドが屋台の主人に頼んで試食をさせて貰えた。
「うわぁ、ぴりぴりする! でも美味しい!」
「ちょっと刺激が強いでしょうか。こちらは如何ですか」
アルドが差し出してきたのは、芳しい香りを放つ、薄いピンク色を纏った果物。どう見ても絶対に美味しいやつ、とホリーは遠慮なく頬張った。
「むふぅ~! おいひい!」
じゅわっと溢れる果汁に、鼻の奥まで伝わる甘く芳醇な香り。土の国では滅多にお目にかかれない、桃という果物だ。火の国では命の妙薬と呼ばれるほどに尊ばれ、大切に育てられているという。
たくさん試食をさせて貰ったので、クラウスにも食べて貰おうと桃を買い、お土産用に日持ちするドライフルーツの詰め合わせを頂くことにした。
火の国の屋台は見た目にも鮮やかで鮮烈な香りを放つものが多い。その中で最も気になっていた、スパイスを売っている店へと案内して貰う。
「これこれ! 何でも美味しくなる魔法の粉!」
「いえ、魔法ではないのですが……。これは、ガラム・マサラですね。各家庭でも調合方法が異なるので、統一されていませんが」
「そうなんですね……。ラアナが、苦手な野菜炒めに取りあえず振りかけていたから……」
「また、あの人は……姉は食わず嫌いが多くて、ご迷惑をおかけしていないか心配です」
一応、ホリーが作るものは何でも美味しそうに平らげるのだが、強い香りのする野菜は苦手なようだ。ある日、ラアナが「何でも美味しくなる魔法の粉」と称して黄色みがかったスパイスミックスをホリーにくれて、早速試したところ、それはもう魅力的な香りに包まれてお肉も魚も野菜も何にでも合って美味しくなった。
色々な調合があるから、とホリーはあれこれ何種類も買い求めてホクホクだ。
一通りお目当ての屋台を巡って、クラウスの元へ戻ると、だいぶ回復した様子だ。そのまま同行したそうなアルドだったが、人の波を華麗に割って登場したラアナに「姉弟水入らず」と引きずられて行ってしまった。
どうやら、ラアナの捜索の目を逃れて来ていたらしい。
「美味しい果物を頂いたの! 後で一緒に食べましょうね」
「ああ、良い香りがすると思った。それに、魔法の粉も買えたようだな」
「うん! 帰ったらカレーを食べましょうね」
「楽しみだな」
魔法の粉は調味料として振りかけても使えるが、スープとして楽しむこともできる。それは「カレー」という料理なのだそうで、ラアナの国では闘技場で食べたナンというでこぼこのパンと共に食べるそうだ。
回復したクラウスと一緒に、今度は風の国の屋台へ向かう。風の国は美食の国でもあり、美味しい食べ物屋さんの屋台がたくさん軒を並べていた。一度、本場のパスタを味わってみたいと思っていたのだ。
「クラウス、私ね、どうしよう、選べないの!」
クリームをたっぷり絡めたパスタも、バジルをきかせたほろ苦そうなパスタも、たっぷりニンニクを使ってすっきりした辛みを活かしたパスタも、何でもかんでもとにかく美味しそうで仕方ない。
「失礼致します、麗しいマドモワゼル。宜しければ、全て楽しめるように小分けに致しましょうか? たくさんの味を楽しんでいって下さい」
給仕の青年がホリーに優しく笑いかけて提案してくれた。
「良いんですか! じゃ、じゃあ……あ、でもこんなにたくさん食べられるかしら……」
「心配無い、俺が食べる」
「じゃあ、じゃあ、この、あの、ティラミスっていうデザートも頼んで良い?」
「良いとも。全部頼もう」
「ありがとう、クラウス! あの、あの、そういう訳で、あの、お願いします!」
「かしこまりました、マドモワゼル。直ぐに支度致します」
美しいグラスにワインを……と言いたいところだが、炭酸水を注いで貰って、クラウスと乾杯する。屋台とは言え、風の国でも一流の店舗が出店したとあって、大盛況だ。
セドリックが気を利かせて予約しておいてくれなければ、座ることもできなかっただろう。
運ばれてきた前菜もパスタもデザートも美味しくて美味しくて、夢中で食べてしまった。
「ああ、人の作った食事って美味しいわ!」
「普段はいつも作る側だからな。ホリーの料理はいつでも美味しい」
「ふふ、ありがと。本場の味を知ってしまったから、しっかり研究してもっと美味しいパスタを作るからね!」
「楽しみだな」
「うん!」
存分に食事を楽しんだ後は、もう一度水の国の屋台を巡った。目一杯はしゃいだホリーはクタクタになってしまい、帰りの船ではクラウスにもたれてぐっすり眠ってしまった。
たくさんのお土産を抱えて帰ったホリー達を出迎えてくれたのは、懐かしい顔。帰り着いた途端、ホリーは超特急で慌ただしく動き出すことになる……。
《本編『死の山を越えて』に続く》
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