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プレゼント・フォー・ユー
私の運転する車の中。左に曲がるタイミングでさりげなく横を見ると、流れるイルミネーションを背景に北口洋平が切ない顔を窓に向けていた。
あなたが誘ったのだから話題ぐらい振りなさいよ、と思うが、先ほどからの様子だと、きっと集中力のない話をされて、余計にイライラするだけだ。
私は黙ってハンドルを切る。
直線道路に入ったと同時に、私はこれまでの経緯を振り返る。
事の発端は今日のゼミの帰り。大学の駐車場に停めた車のカギを開けたとき、同じゼミの洋平が声をかけてきたのだ。
「プレゼント選びに付き合ってくれないか」
私は驚いた。洋平がそんな風に声をかけてくることはなかったから。
そんな意外なお誘いを受けた私はちらりと彼から視線を外す。彼の背後に建つ家には目が痛くなるぐらいの電飾が付けられている。
なるほど。クリスマスプレゼントというわけね。
納得した私は「分かった」と彼を車の助手席に座らせた。詳しく事情も聞かないでお誘いを受け入れた私を、彼は物分かりのいい、都合のよい人と思ったかもしれない。まあ、それはそれで構わないけど。
彼は車の中に入っても行先の指定はしなかった。どうやら行先は決まっていなかったようで、プレゼントを買うなら少し走ったところにある大きなショッピングセンターがいいよ、と私が言うと、彼は大人しく首を縦に振った。
自分がプレゼントを買うんだから行先ぐらい決めておきなさいよ、なんて思ったが、彼の表情から生み出される雰囲気は、私にそれを言わせなかった。
十数分車を走らせ、ショッピングセンターに到着すると、私たちは雑貨屋さんが並ぶフロアに降りた。靴、服、アクセサリー、鞄、帽子、雑貨……。洋平は入口に近い店から順々に回った。
店に入るたび、洋平は二つか三つ商品を手に取って、ううんと悩んだ。時には両手に持ったものを私に見せて、「どっちがいいかな」と尋ねる。私はなるだけ彼を悩ませないために、はっきりと「こっち」と指差してあげる。
しかし、彼は優柔不断な人だった。私がどっちか選んであげても、結局「そうか……」と言って、両方棚に戻してしまうのだ。
それが一か所、二か所ならまだいい。次の店で決めようという気持ちになる。
しかし彼は、どの店に入ってもそうなのだ。
そして結局、どこの店の袋も持たずそのショッピングセンターを後にすることになってしまった。
私ははあー、とため息をつく。こんなことなら、安易に「分かった」なんて言うんじゃなかった。
今さらになって後悔した。
私は意識をハンドルに戻した。道はひたすら直進である。住宅街に入ったせいで、先ほどまで鮮やかだったイルミネーションはまばらになった。
私は横目で洋平の様子を見る。彼の方は先ほどと変わらず、切ない顔で窓の外を見ていた。
あなたが喋ってくれたら、煌びやかではないこの道も少しはムードが出てくるのに。
私はそんなかすかな望みを思う。しかし、そんなことを思っても仕方がない。何たって、私たちはそんなムードを作るような関係ではないのだから。
私はハンドルを切る。灯りが点々と点く背の高いマンションが私の車を囲っている。マンションばかりだと、まばらだったイルミネーションも全く見えなくなる。ムードもへったくれもない。
私は道のずっと先を見てみる。曲がり道もなく、ひたすらに直線だ。もちろん、見応えのあるイルミネーションなんてない。運転に集中するにも、つまらない道だ。
そう思うと、この沈黙の空間が苦しくなった。洋平とは車の中で楽しくお喋りが盛り上がるような関係ではないが、一言も喋らないのは流石に苦しい。
私はとうとう耐え切れなくなって、洋平に話しかけることにした。
「ねえ、洋平。今日選ぶプレゼントは誰に渡すものなの?」
私はできるだけ明るい声を心掛けた。暗い声を発したなら、洋平はきっと答えてくれない。
そう思ったのだが、明るい声に対しても洋平は答えてくれなかった。
その代わり、窓の外を見て、
「停めてくれ」
「え?」
ここはマンションの立ち並ぶ住宅街だ。次の大通りまでまだ遠い。
「いいから」
しかし、洋平は構わず頼む。
よく分からないけど、この様子だと冗談で言っている感じでもない。
私は車を道の端に寄せ、停車させた。場所は十階建てマンションの前だ。
「はい、停めたよ」
あの重苦しい感じに戻したくなくて、私は分かりきっているはずのことを口にする。
そして横を見ると、洋平は緊張した面持ちでうつむき加減だった。手をぎゅっと握っている。
私は視線を前に戻した。ずっと続く道には、行き来する車どころか、人もいない。無機質に連なる街灯が少々まぶしい。
「……あのさ」
突然、洋平が話を始めた。その声は先ほどまで黙っていたとは思えぬ、クリアな声だった。
「俺、告白するんだ」
「え?」
突然のカミングアウトに、私は思わず彼の方を向いて聞き返してしまった。
しかし、彼はそれを気にする様子もなく、話を続ける。
「相手は同じゼミの越川なつき。このマンションに住んでて、クリスマスはケーキを買って食べると言っていたから、外には出ていないはずなんだ」
私はなつきのことを思い浮かべた。なつきはゼミの同期の中でも、決して優秀な方ではないが、常に陽気なムードメーカーである。
「そうなんだ。お似合いだと思うよ。性格も趣味も合いそうだし」
「そう言ってもらえると嬉しいけど……」
その言葉とは裏腹に、洋平の拳は堅くなり、顔はさらに曇ってしまった。
「どうしたの?」
思わずそう訊いてしまった。
洋平は目を伏せたまま答える。
「いや、なつきはこんな情けない俺を、受け入れてくれるかなって……」
「情けない?」
「だって、プレゼント一つ選べなかったんだから」
そう言う洋平の拳は爪がめり込んでいるのではないかと思うほど力が強くなっていった。彼は今にもぽろりと涙をこぼしそうである。
「ねえ、洋平。それは情けなくなんかないよ」
私は洋平の涙なんて見たくなかったから、できるだけ優しい声でそう言った。
「え?」
洋平は訊き返しながら、今にも泣きだしそうな顔をこちらに向ける。
「私ね、プレゼント選びって、相手のことをよく考えることだと思うの。どんなものが好きで、どんなことをして、どんな考えをして、どんな生活をしているか。他にもいろいろ要素があるわ。そして、相手が百パーセント喜ぶプレゼントを選ぶには、その数多くの要素を、全部満たさなければならない。でもね、そんなのは不可能なのよ。だって、人のことを全部知るなんて、無理だもの。自分に見せてる側面が、家族や他の友達にも見せてる側面であるとは限らないし、そもそも相手自身が知らない側面もある。それなのに、赤の他人の自分が、相手のことをすべて知ろうなんて、傲慢なのよ」
私はまるで練習してきた台詞のように言葉を言い切った。
そうでしょ、と同意を求めるように洋平を見る。しかし、彼は未だ不満足そうだった。
「でも、プレゼントをきっちり選び切ってる人だっているだろう?」
そんな疑問は……
「愚問ね。それは妥協しているだけよ。『百パーセントではないかもしれないけど、それなりには喜んでもらえるだろう』って。そんなのが相手を考えてるって言えないでしょ。相手を考えていたとしても、それは最初だけ。知っても知っても底がなくて、結局、ある程度のところで、知るのが面倒になってしまうのよ」
私は洋平の肩を勢い良く叩く。
「でも、洋平は違うわ。なつきのことをひたすら考えた結果、プレゼントを選べなかったんでしょ。途中で諦めちゃう人より、ずっと素敵だと思うよ。だから、大丈夫。なつきに『あなたのことをよく考えたけど、分からなかった、もっと知りたいんだ』って伝えればいいのよ」
私はそう言うと、洋平の肩から手を下ろした。
「ありがとう、里奈」
そう言うと、洋平はするするとシートベルトを外して鞄を持った。
「結果教えてね」
「ああ。じゃあ」
そして、洋平は車を降りた。マンションの入り口に吸い込まれるように向かう。そして、自動ドアの前で立ち止まり上を向く。その肩と拳に力が入っているのが分かった。
洋平は一度大きく深呼吸すると、ゆっくりと歩みを進め、自動ドアの向こうに消えていった。
私は車の中に一人になった。さっき洋平がドアを開けたときに入ってきた冷たい空気を感じる。静かな車内では私の呼吸の音までクリアに聞こえる。
もう流石に洋平が戻ってくることはないか。
私は彼が入っていった入り口を見てそう思うと、鞄の中を漁った。しばらく手で探ると、ビニールの感触にたどり着いた。私はそれを鞄から出す。
膝の上に置いたラッピング袋には、さっき行ったショッピングセンターで洋平がアクセサリーを見ていたお店のロゴが書かれている。
私はさっきラッピングしてもらったばかりのリボンを解く。
そして、中に手を入れて中に入っているものを取り出す。
それはスノードームだった。それも大きなクリスマスツリーの足許で恋人たちが寄り添っているものだ。
絵に描いたようなロマンチック。
私はそれを選んだ自分に呆れた。こんなものを渡しても、告白が成功するわけないのに。
このスノードームはさっきのショッピングセンターで買った、洋平へのプレゼントだった。
二人でショッピングセンターを回ったあと、イルミネーションの大通りを通って、最後洋平と別れるときに「好きだ」と言いながら渡そうと計画したのである。
でも、洋平がスノードームで喜ぶとは思えない。かと言って、彼の趣味趣向も分からない。ゼミが同じだから結構な頻度で会うけれど、趣味や生活の話なんてしないのだ。
私は結局、洋平を知ることが面倒になってしまった人間なのだ。そんな自分を彼が受け入れてくれるわけがない。
さっき洋平に言ったことが、自分の心に突き刺さる。手の上に重さがあるのが何だか苦しい。
しかし、そんな私の気持ちとは裏腹に、そのスノードームの中では幸せそうに恋人たちが寄り添い、きらきらと雪が降っているのであった。
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