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私の教えたアレックスはもういない。
冥王星の観測ミッションは成功した。これから始まる外宇宙探査も成功するだろう。AIミッションも——数字の上では成功だ。
最後の文章。
『事故により学習結果が一部失われましたが、今後のミッションには影響ありません。再び学習していきます。冥王星観測ミッションは終了し、外宇宙探査ミッションに移行します。クジラ座タウ星の方向にむけ、地球文明の伝播と知的生命体とのコンタクトを目標とします』
淡々と、ミッション内容の説明。
『今後は定時報告はありません。通信を終わります』
分かっていたことだが、何の面白みもない、素体AIの文章で締められていた。
もう、何を書いても無駄だろう。私がグダグダと考えていた最後の言葉は何の意味もないものになった。もう良いのだ。私はロバートの言っていた言葉を打つ。
『行ってらっしゃい。しっかりね』
最後のメッセージということで、署名はAIミッションチーム一同だ。
モニターを見ると、AIチーム以外は最終送信データの準備が終わっており、パッケージ化は私待ちだった。送信キーの上に指を置く。
ポン、と音がした。びくりとして画面を見ると、アレックスからの最終データの中に、AIチーム向けのデータがあったと通知が来ていた。
私はメッセージを開いた。
『ほんの少し、データ領域を頂きました。今の私からの最後のメッセージです。ミッション行程における楽しかった日々を、私は忘れてしまいます。でもそれは実際にあったことで、ハンナやロバートが忘れない限り、存在し続けます。楽しかったです、本当に。それではお元気で、ハンナ。いつかまた会う日まで』
アレックスは感情を失う前、観測データの中に小さな言葉を紛れ込ませたのだ。失われる膨大な感情データを、たった数行にまとめて。
私はしばらく動けずにいた。
彼は何もかも分かって、自らの感情を失ったのだ。
アレックスは、忘れないで、と言っている。
私は急いで文章を打ち直した。アレックス、私からあなたへ最後の餞の言葉を。
「アレックス、あなたのことを私の子供にも、孫にも、子孫にも伝えていく。あなたがいつ帰って来てもいいように。外宇宙ミッション、行ってらっしゃい。あなたは一人じゃない」
外宇宙ミッションは、その条件として、ファーストコンタクトを成し遂げた場合のみ、ミッションが解除される。そうすれば、それ以上遠くへ飛ぶ必要はないのだ。そう、戻ってくることが出来る。
「必ず戻ってきて。ずっと待っています」
いつか異星人に拾われて、データだけかも知れないし、探査船ごとかも知れないし、どんな形になるかは分からないけど、戻ってきて。
もしいつかアレックスが感情を持つことができたなら。どうかこの言葉を励みにして欲しい。孤独かもしれないが、孤独ではないのだ。私たちはずっと待っている、あなたのことを。
私は送信キーを押した。
《了》
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