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あなたに送ることができるものは何だろう。
別れが近づいて来て、私はモニターの前でずっと考えている。
「どうした、休憩だろ」
肩を叩かれ、振り向くとロバートが立っていた。彼と一緒にこのコントロールセンターで働き出してずいぶん経つ。
「ぼんやりして、疲れているのか」
「何でもないわ」
私は首を振りながら立ち上がる。モニターには何の異常も示されていないし、すでに別の担当者が監視と連絡を始めている。私は席を立つ。
管制室の中は少しざわついている。ちょうど交代の時間だ。整然と並べられたモニターの前で、おおよそ二十人ほどがグラフや数値と向き合っている。
「コーヒー奢るよ」
「——砂糖多めで」
休憩室に着くと、彼はベンダーからカップを二つ持ってきた。私に差し出されるのは、茶色と白のマーブル模様がゆっくりと回るほう。香ばしさと少しの甘い匂いが鼻をくすぐり、ホッとする。
「ミルクも入れておいた」
「気が利くのね、ありがとう」
席に着くと、私はまず一口それを飲む。暖かさが体に染み渡り、ほんの少し、頭がハッキリとした気がした。
「で、何を考えていたんだ、ハンナ。恋人のオレにも言えないことなのか?」
ロバートの言葉に私はちょっとだけイタズラ心が湧き、わざと深刻そうな顔をして答える。
「——別れの言葉を考えていたのよ」
「おいおい」と、ロバートが慌てる。
「俺たち、まだ付き合って一ヶ月だろ。考え直してくれ」
「あなたとのことじゃないわ」
私はクスクス笑う。
「アレックスのことよ」
「脅かさないでくれよ」
ロバートは肩をすくめる。
「でも、そうか、次の次、だな、最終連絡は」
アレックスは、外宇宙探査船に積まれたAIの名前だ。今はまだ冥王星の衛星軌道で観測を行なっているが、間もなくその任務を終え最後のミッション——外宇宙探査へと旅立つ。
「あの子は私が育てたのよ」
「俺も、だ」
「そうね、ごめんなさい」
私とロバートは共にAIエンジニアだ。素体AIだったアレックスを、探査任務可能なAIとして教育したのだ。
「お別れをしなくちゃいけない。最後になんて言葉をかけるべきなのか、悩んでいるのよ」
「『通信を終わる』じゃないのか」
「それはそうだけど——」私はゆらゆらと模様の変わる、コーヒーの表面を眺める。
「餞の言葉よ。彼は今から、誰もいない深淵の中に旅立つの。何か言葉をかけてあげるべきじゃないかしら」
「俺なら『行ってこい。しっかりやってこいよ』だな」
「ああ、うん、あなたらしいわね」
私は少し苦笑いする。分からなくはない。ロバートも同じように宇宙のロマンチストだ。ただ、私とは少し方向性が違う。
「それも一つの答えだと思うけど、何だろう、私が思っているのとは違う」
「君もAI技術者なら分かるだろう、アレは彼なんかじゃない」
ロバートはコーヒーを啜る。
「変な心配をするなよ、ハンナ。所詮——と、言うと言い方は悪いが、つまるところアレックスはプログラムだ。的確な判断はするが、根底にあるのはアルゴリズムだ。そう言う意味で、俺の『しっかりやれ』は、任務に忠実に当たれと言うことでぴったりだぜ」
「——そうね」
私は釈然としないまま、コーヒーを飲み干す。データを与え、問いに応答し、取捨選択で最適なシナプスを作り上げた。それがアレックスだ。目に見えないだけで、そこにあるのは極限まで複雑な条件分岐とループだけなのだ。
そこにかける言葉はあるだろうか。
『第三十二次レポート。まずは今回の周回にて撮影した冥王星表層写真から送付』
デコードの済んだメッセージを読み始める。通信はリアルタイムではない。木星基地に中継され、四・五時間かけて地球のコントロールセンターまで届く。
『投下した探査プローブからの観測結果を送付』続々と、冥王星内部の各種パラメータが並ぶ。
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