LVII 分岐点

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 娘との大事な思い出を捨てる事も、心の拠り所を手放す事も出来ない。しかし、ずっとこのままで良い訳が無い。  此処に居れば、私はいつまでも心を病んだまま娘の事ばかり考え、そして今迄以上にセドリックに依存した生活を送る事になるだろう。それは、セドリックの為になるのだろうか。ならない筈だ。    私が妊娠したあたりを境に、彼はあれ程好んでいた煙草をやめた。人伝(ひとづて)に聞いた話ではあるが、煙草をやめる事には相当苦労したらしい。  しかし、娘が居なくなってから煙草を吸うセドリックの姿をよく見かける様になった。私の前では吸わないと心掛けている様だが、彼のスーツからは常に煙草のにおいがしていた。  彼は決して、私に娘の話はしない。私が娘を失くした事に、酷く傷心している事を知っているからだ。そして私は今迄それにずっと甘え、この1週間過度に彼に依存した生活を送っていた。  だが、苦しく、つらいのは彼も同じであろう。  ライリーが私から逃げる様にこの家を去った様に、セドリックもきっと心を病んでいる私を見ているのはつらい筈だ。    この家から離れ、隣町に越し、そして孤児院のシスターとして働いた方が良いのではないか。  今の私が子供と触れ合うのは少々苦しい物がある。しかし、それでもこうしてしんと静まり返った家で来る筈の無い、“娘が帰ってくる未来”を待ち続けている方がきっととても苦しい。  そんな事を悶々と考えていると、家の外から靴音が聞こえた。  顔を上げ、玄関扉の方へ視線を向ける。それと同時に、カチリと心地よい音が響き扉が開いた。 「――おかえりなさい、何処へ行っていたの?」  顔を見せたのは最愛の夫。勢いよく椅子から立ち上がり、彼の方へと駆け寄る。  そんな私を見た彼が私を優しく腕の中に迎え入れ、耳元で優しく「ただいま」と囁いた。  彼の心音を感じながら、彼が無事帰ってきてくれた事に深く安堵する。 「――ん?」  私から身体を離した彼が、小さく声を上げた。彼の視線の先には、先程ライリーが置いていった手紙。  脱いだジャケットを彼から受け取り、その手紙を手に取る彼をぼんやりと眺める。  彼はその手紙を見て、何を思うだろうか。なんというだろうか。  優しい彼の事だ。きっと、私がどうしたいかを一番に考えてくれるだろう。  そう思っていると、手紙を裏返し差出人を見た彼が「アンブリッジ……?」と小さくその名を零した。 「その人、知っているの?」 「――いや……」  私の問いに、彼が曖昧に言い淀む。 「手紙、見ても良いか」 「ええ、勿論。貴方宛の手紙でもあるから」  彼の問いにそう返すと、彼がやや躊躇いながらも赤い封蝋を剥がした。  そして封筒の中から2つ折りの手紙を取り出し、文面に目を走らせる。  時間にすると、2、3分位だろうか。何度か手紙を読み返した彼が、「うぅん」と小さく唸りを上げた。  顔を上げた彼と、顔を見合わせる。
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