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「ママ、いっぱい我儘言ってごめんなさい。いつも困らせてばかりでごめんなさい。私……」
お母さんは必死に首を振ろうとした。お父さんが慌ててそれを止めようとするが、お母さんは子どもが駄々をこねるように暴れる。
「ママ!」
お母さんを落ち着かせるため、私はお母さんに覆いかぶさった。そしてぎゅっと抱きしめる。
「ママは一生懸命私を育ててくれてたんだよね。それなのに……」
「ちが……う」
距離が近いから、はっきりと言葉が聞こえる。私はそのまま耳をすませていると、お母さんはゼイゼイと荒い呼吸を繰り返しながら言った。
「違う……の。ママが……悪かった……の。……いち、一華……は、いい……子にして……たのに……」
「ママ、苦しいならもういいよ。いいから!」
お母さんはふわりと微笑む。その微笑みに、私はこれ以上なく目を大きく見開いた。
あぁ、ママだ。優しかった頃の、ママの笑顔だ。
「ひどい……こと、たくさ……言った……ごめ……なさ……ね」
「いいの、いいから!」
ダメだ。もうすぐ火が消える。微かに燃えていた炎がどんどん小さくなっていく。なのに、私にはどうすることもできない。
お母さんは私の腕をぎゅっと握る。驚くくらい、しっかりと。お母さんを見ると、幸せそうに笑っていた。
「あり……がとう。いち……か、あな……た……だ……好き」
フッと音もなく火が消えた。
私はただ呆然としていた。お父さんを見ると、声を堪えて泣いている。
あれ、私は? どうしよう、悲しいのに。すごくすごく悲しいのに。さっきまで泣いていたというのに。
今この瞬間、涙は出てこなかった。まるでこの出来事が夢の中であるかのように、現実味がない。ふわふわと宙に浮いているみたいだ。
「一華……」
お父さんに抱きしめられる。先生や看護師さんたちがお母さんを囲み、心電図を確認したり、脈を取ったりしていた。私はその様子を、まるで他人事のようにぼんやりと眺めている。
「一華……聞いたか?」
「……何を?」
お父さんがボロボロと涙を零しながら、笑顔を見せる。
「お母さん、一華が大好きだって。聞いただろう?」
「……」
大好きな笑顔で、大好きな優しい声で。──大好き。
「うわあああああああっ!!」
一気に悲しみが押し寄せてきた。私はお父さんにしがみつき、大声で泣き叫ぶ。
悲しい、悲しい、悲しい。どうして今の今まで、私はお母さんと向き合おうとしなかったんだろう? こんな最期の最期になって、ようやくだなんて。
お母さんは大好きだと言ってくれた。死に際の言葉に嘘なんてない。あんなギリギリの状態で、嘘なんてつけるはずがない。
私は、お母さんにちゃんと愛されていた。愛されていたんだ。
「ママ、ママ、ママっ!!」
「一華……」
「わたっ……私もっ……好き……だい……好きっ……」
「……あぁ、わかってるよ。お父さんも、大好きだ」
激しく泣きじゃくる私を、お父さんは強く抱きしめ宥めてくれる。
反動で涙が止まらない。大声を出しすぎて喉が痛い。それでも声を上げることをやめられない。
泣き喚きながらも、心でお母さんを思う。
お母さん、私もお母さんが大好きだったの。お母さんに優しくしてもらいたかったし、優しくしたかった。でも、上手くできなくてごめんね。
──お母さん、大好き。私も、大好きだから。
お母さんが病室から運び出されるまで、私の慟哭はやまなかった。
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