魔王から勇者への贈り物

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魔王から勇者への贈り物

天地を揺るがすかの如き三昼夜に渡る激闘の末、遂に私は敗れた。 私は魔王。 恐怖の大魔王だ。 溢れんばかりの力と未曾有の才を持ち魔族の王子として世に生を受け、幼少の頃からその才を遺憾なく発揮して周囲の者を畏怖させてきた。 青年と呼べる時期に優柔不断な父王を倒して魔王の位を簒奪し、種族間でのいざこざが絶えなかった魔族を力と恐怖で統合した。 そして、入念な準備を経て、神代の昔に不可侵条約を結んだ人間界への侵略を開始した。 侵略は順調だった。 長きに渡る平和に慣れきった人類は、部族間でのいざこざを通じて力を磨き続けてきた魔族の敵ではなかった。 村々を焼き、街々を壊し、城を陥し、そして老若男女問わず数多の人類を血祭りに上げた。 人間界の大半を版図に収め、生き残りの人類も恐怖に怯えて絶望へと沈み、もう間もなく世界の総てを手中にせんとしたその時、忽然と『勇者』が現れた。 それ以降のことは、もう、思い出したくもない。 『勇者』の手により、支配下に収めた版図は悉く奪い返された。 多くの部下も討たれた。 魔界への侵攻も許した。 挙げ句の果てには本拠地たる魔王の居城に攻め入られた。 そして、三日三晩に渡る激闘の末、恐怖の大魔王たる私も『勇者』一行の前に、完膚なきまでの敗北を喫した。 今や、手足を動かすことも叶わぬ状態で、仰向けに倒れ天を仰いでいる有様だ。 私の胸に深々とした、致命的な傷を与えたのは『勇者』の必殺の一撃だった。 最早、起き上がることも叶わず、胸から血を流しつつ荒い息を吐くばかりの私に、若く溌溂とした『勇者』は、その剣を青眼に構えながら歩み寄り、そして、こう告げた。 「最期に、何か言い残すことはあるか?」 『勇者』のその言葉で、私は完全に敗北を理解した。 そして、間も無くこの身に死が訪れることも理解した。 『勇者』の止めの一撃を受けずとも、この身が持つのもあと僅かだろう。 せめて最期に一矢報いようにも、最早起き上がることはおろか、手を挙げることすらままならない。 呪文を唱えようにも、もう息も続かない。 どうするか? 余命も僅かなためか、やたらと様々な思考が湧いて出てくる。 「よくぞ幾多の困難を乗り越え、この私を倒したものだ。敵ながら見事だ!」などと褒めてみるか? いや、それは不愉快だ。 生き残った魔族の身の保証を願うか? それは『勇者』の一存で決められることでもないだろう。 何か交渉条件を示して命乞いでもしてみるか? いや、そんなことは性に合わぬし、そもそも何もしなくとも、あと僅かでこの命も果てるだろう。 どうしたものか?と場にも合わずに悠長に考える私の目に、『勇者』に付き従う『魔法使い』の姿が目に入った。 敵たる人間ながら、実に見目麗しい少女なものだ。整った顔立ちに碧色の瞳が印象的な大きな目。艶やかなロングヘアーの金髪。そして纏ったローブの上からでもはっきりと分かる、女性らしく優美な曲線を描いた肢体。大人っぽさと幼さとのそれぞれの魅力が絶妙なバランスで成り立っていると言わんばかりの艶めかしさを薫らんばかりに放っていた。 人間であっても魔族であっても、きっと一目で虜にされ、そして劣情も催すのだろう。 私は全く食指が動かないが。 その『魔法使い』の少女は、私に歩み寄る『勇者』の半歩ほど脇を付いて来ている。その緊張した表情、私の動きを細大漏らさず観察しようとする眼差し、そして跳ねそうなまでに緊張したような姿勢を見るに、もし私が最後の力を振り絞って『勇者』に何か反撃を加えようとしたならば、その身を挺してでも『勇者』の盾となるつもりなのだろう。 そして、『勇者』もまた、そんな『魔法使い』の少女の挙動をひどく気にしている風だった。 想い合っている様が痛いばかりに伝わってくる。 この二人は、ここに至るまでの幾多の激闘を、きっと手を取り合うようにして乗り越えて来たのだろう。 生死を賭けたその戦いの中で、お互いの絆を深めあって来たのだろう。 この戦いを終えた後のことも誓い合っているのだろう。 私の胸に忽然とどす黒い感情が去来する。 嗚呼・・・これは・・・嫉妬だ。 今際の際にこんなものを見せられるとは。 只でさえ胸中を満たしていた敗北感が更にその密度を、その重さを増す。 おのれ・・・! 忽然と、私の脳裏にあるアイデアが閃いた。 私は残された力を振り絞りって右腕を挙げ、そして、『勇者』を差し招く。 訝しげな表情を浮かべながらも、警戒を解かず、少しずつ私に近寄る『勇者』、そして『魔法使い』。 近寄ってくる二人の姿を認め、私は左手の薬指に嵌めていた指輪をなんとか右手で外し、そして、それを『勇者』に差し出す。 魔族の趣味には合わぬものの、人間からしたら、恐らくは見事な指輪なのだと思う。 白銀の台座に白い大ぶりの宝玉を冠した、簡素ながらも上品な趣向の指輪だ。 『勇者』に向かって私は最後の力を振り絞り、掠れた声で語りかける。 「私は・・・ずっと・・・悪い夢を見ていたようだ。お前がようやく私の悪夢を終わらせてくれた。ありがとう。本当に、ありがとう。これは、せめてもの感謝の贈り物だ。『勇者』よ、是非ともお前に受け取って欲しい。そして、栄誉と感謝の証として、お前に身に付けて欲しい。これが、私の最後の願いだ。」 『勇者』は驚いたような表情を浮かべる。 まじまじと私の顔を見つめる。 私は微笑みを浮かべ、そして、『勇者』に向かって頷く。 『勇者』は私の右手から指輪を受け取って、ひとしきり確かめた。 恐らくは呪いの類いがかけられていないことを確かめたのだろう。 呪いがかけられていないことを確認したのか、『勇者』はその指輪を彼の左手の中指に嵌める。 そして、更に一歩近寄って、剣を逆手に構えた。 剣の切っ先は私の左胸に向けられている。 まぁ、そうだよなと私は心の中で一人呟く。 『勇者』は私にだけ聞こえるような小さな声で呟いた。 「許せ」と。 『勇者』の剣は私の左胸を貫く。 『勇者』の剣先が私の心臓に達する僅かの刹那、私は心中で高笑いを上げていた。 「悪い夢」などといった戯言を信じた『勇者』の甘さを。 そして、渡した指輪の効能を。 渡した指輪、それには『勇者』が懸念したような「呪い」の類はかけていない。 毒に侵されるとか、寿命が縮むとか、あるいは人格が豹変するといった「呪い」などかかってはいない。 そもそも、元々は人間の「修道院」から略奪したものだ。 その指輪には、とある効能がある。 指輪の効能、それは「禁欲」だ。 私は、実の親を倒して王位を簒奪した身。 呪われた身故、自分自身が子を設けることを極度に恐れた。 自分自身が子を設けたとしたならば、その子が成長した暁には、おそらく私の王位を簒奪しようとするだろう。かつて私が為したように。 かといって、私自身が自分の性欲を抑えることは困難だった。 何せ、私は力と欲望に溢れていた。 腕力も、魔力も、知力も、そして精力も。 支配欲も、名誉欲も、食欲も、そして性欲も。 この漲る力と滾る欲望故に私は魔王となり、そして一時は世界を席巻もしたのだ。 けれども、結果的に自分の身を危うくしかねない、この性欲だけは封じなければならなかった。 それ故、人間界の侵攻の途上において、制圧した「修道院」にて掠奪した、この「禁欲」の指輪は頗る役に立った。 この「禁欲」の指輪を嵌めてからというもの、異性に心動かされることは一切無くなった。同じ魔族の異性は勿論のこと、人間界への侵略の最中、侵攻を受けた国々の王や貴族が、私の歓心を買おうとして差し出して来た数多の美姫達にも食指が唆られることは無かった。 私が「禁欲」の指輪を奪ったその「修道院」では、妻帯女姦が厳禁とされていたらしく、修行する者たちの邪魔となる性欲を抑えるために使われていたのだろう。 しかしながら、この指輪は一つだけ欠点がある。 それは、一度指に嵌めたら、それはもう二度と外すことは出来ないという点だ。 より正確に言えば、本人から一切の性欲が失われた場合には外すことはできる。 だからこそ、命尽きつつあり、全ての欲望がこの身から失せつつもあった私は、ようやくこの「禁欲」の指輪を外すことが出来たのだ。 『勇者』よ、残念だったな。 お前が私を倒し、世の喝采を一身に受け、そしてあらゆる栄誉を得られようとも、今後、女性を交わることは一切無いのだ。 お前の傍らでお前の身を一心に案じている、お前を深く想っている、そしてお前自身も想いを寄せてならない、あの見目麗しき『魔法使い』と結ばれることは、もう決して無いのだ。 心中の高笑いは不意に途切れる。 私の意識は底知れぬ闇と混じり合い、その形は溶けるように消えていった。
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