ばた、ばた、ばた。

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 しかし、私が昨夜あったことを話すと――彼女は笑顔をさっと消して、本当なの?と声を潜めてきた。 「あたしは何も聞いてないわよ。ちょっとした物音でもわりとすぐ目覚める質なんだけど。それに、確か302号室って、空室だったんじゃなかった?」 「はい……管理人さんにもそう言われて、信じて貰えなかったんです。でも、本当に昨日は煩くて……」 「そう……」  人が良さそうな中年女性は、しばし目を泳がせた後で――やがて意を決したように顔を上げたのだ。 「その、怖がらせたいわけじゃないんだけとね。実は302号室って何年も前から空室のままなのよ。人が死んだとかそういうことがあったわけじゃないんだけど、昔変な人が住んでたらしくて。しかも最終的に、お家賃も払わないでどこかに逃げちゃったみたいなのよね。家の中には、人を呪うみたいな怖いオカルトグッズが大量に残されてたんだとか、なんとか」  芝園いわく。  何年か前に、ほとんど家から出てこないような奇妙な男がその部屋に住んでいたことがあったらしい。時々家の中から不気味な呪文のような声や、ガリガリとひっかくような声、異臭がすることがあったので皆に気持ち悪がられていたのだそうだ。  その男は最終的に家賃を滞納したまま忽然と姿を消してしまったらしいのだが。何故か室内には私物が殆ど残ったままの状態になっており、しかも男が直前まで着ていたとおぼしき衣服まで、謎の魔方陣の中心に残されていたのだという。  何か怪しげな儀式をやって、召喚したものに喰われてしまったのではないか?そんな噂が、まことしなやかに流されたのだそうだ。 「しかも、話はこれで終わらないの。……彼が行方不明になってから、マンションの住人に時々不幸が訪れるようになってね。その前触れが決まって同じなのよ。……みんな、足音を聞いたっていうの。他の住人には何にも聞こえないのにね」 「ふ、不幸って」 「あたしが知ってるのは三件だけよ?でも一人は実家の親御さんに不幸があって、一人は事故で半身不随、一人は保証人をやった友人が失踪したとかで借金取りに追われてアパートを出ていったわ。あたし的には……偶然かもしれないとは、思うのだけど。呪いとか怨念なんて、ナンセンスじゃない?」  そう思うでしょ、とややひきつった顔で笑う芝園。本人が本気でそう思っていないのは明白だった。いなくなった男の怨念が染み付いているかもしれない部屋。足音を聞いただけで呪われるかもしれないなんて――そんなこと本当に有り得るのだろうか。というか、何故自分が呪われなくてはいけないのか。 「な、なんで私がっ!」  恐怖は、じわじわと理不尽な怒りに取って変わられた。
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