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欲しいものを手にするために、手段を選ばず戦うことは本当に間違っているだろうか。あたしはそうは思わない。ましてやそれが話が通じない相手、正攻法では太刀打ちしようもない相手なら尚更である。
「……急なことで、すみません。今までお世話になりました……」
げっそりと窶れた顔で、荷物を抱えて頭を下げる山本友莉亜。彼女は今日付けでアパートを出て引っ越すことになったのだ。もう少し骨があるかと思いきや、彼女も呪い殺されるかもしれない恐怖には耐えられなかったと言うことらしい。あたしは笑顔を作って、気にしないで、と肩を叩いた。
「何もないうちに引っ越してしまうのは、賢明な判断だったと思うわ。どうか、新しいところでも元気でね」
何も悪いことなどしていないのに、と彼女は言った。その時、怒鳴り返さなかった自分を心底誉めてやりたいとあたしは思う。
深夜に帰ってくる仕事なのは仕方ないだろう。だが、真夜中に掃除機をかけて大音量でテレビを見て、当たり前のように騒いでおきながら何故迷惑をかけていないなどと思えるのか。こっちは小さな子供を抱えて、夜泣きされるたび神経をすり減らしているというのに。
何度か他の住人も遠回しに注意したが、彼女は全く聞き入れなかった。迷惑すぎる住人に困り果てているのは、あたしだけではなかったのである。
だから、懇意にしている管理人の手を借りて一芝居打ったのだ――彼女が自分からアパートを出ていきたくなるように。
アパートの他の住人はみんなあたしの味方だった。もし彼女があたしの話を聞いて、あの足跡を見ても粘るようなら、次のプランも考えてはいたのである。得体の知れない恐怖にいつまでも耐えられるほど、人間の心は強いものではないと知っているがゆえに。
――あんたが悪いのよ。あたし達の迷惑も省みず、真夜中に騒ぎ続けるから。
ざまあみろ、と心の中で唾を吐きながら。あたしは表向きは笑顔で、彼女に手を振るのだ。
「貴女ならきっと新しいところでもうまくやれるわ。応援してるからね」
心にもないことを、平然と口にしながら。
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