みちとの遭遇

1/1
前へ
/17ページ
次へ

みちとの遭遇

 夏休みが終わり二学期。自宅から高校までは電車で二駅で約七分ほど、徒歩だと一時間半から二時間。久しぶりに早く起きて支度をし、電車に乗ったのだが身体が重かった。堕落した生活を送っていた証拠はお腹に現れており、親指と人差し指でつまめる程度についたお肉が気になる。降りる予定の駅で降りた後、わたしは歩いて帰ることにした。どうせ午前中だけなのだからいいかと思った。授業が始まるのは明日からで、それなら行っても行かなくても支障はないと自分に言い訳をしていた。  曇りとはいえ、それなりに暑い。シャッターの降りた建物の前にある自動販売機でミネラルウォーターを買い、休憩できる場所を探していた。このまま家に帰るにはあまりにも早すぎる。家に帰って母親にぐちぐちいわれるのがオチだ。それならばどこかで時間を潰してから帰ろうと思ったのだ。水を飲みながら歩いていると声が聞こえてきた。橋の上からお年寄りがパークゴルフをしている姿が見える。どこまでも続いていそうな浅く緩やかな川があった。  川に沿った一本道に入る。ランニングするお兄さんやおばさんが何人かいた。何個かベンチはあったが汚れており、そこに座りたくない。あたりを見回すと橋の柱の陰に小島が見えた。二手に分かれている道の下る方に進む。ペットボトルやらお菓子の袋なんかが捨てられており、カラスのたまり場になっている。柱の陰にあるのは小島ではなく、陸続きになっていたがずっと先まで歩いていかなければならない。対して二、三歩ほど小さな石を踏み台にすれば渡れるくらいの幅だったので、足元を確かめながら渡った。  ちょろちょろと川の流れる音が心地よかった。橋の柱にもたれ掛かって座って絵を描いていたのだが、そこに真っ白な棒状の何かが歩いてきたのだ。それが沢井さんだった。 「柿原ゆかり、ここで何をしているの?」  まるで教師が学校をサボった生徒を問いつめるような口調だった。いや、実際サボっているのだが。 「ちなみに沢井みちはサボり」 「……知ってる」 「あ、知ってたんだ、沢井みちのこと」 「……まあ、同じクラスだし」  沢井さんと話したのはこれが初めてだった。細くツヤのある髪が印象的で顔立ちも良く、かわいいよりも美人の部類に入る。いつも髪を後ろで一本にしており、目つきは少しだけ悪いがそれが周りからはクールといわれていた。しかし目の前でうんうんと腕を組んでいるのは確かに沢井さんなのだが、本当は別人なのではないかと思えてきた。  わたしは混乱していた。  まず何から聞くべきか、というよりも何を聞いていいものかという意識が強かった。格好、わたしの呼び方、自身の呼び方、なぜここにいるのか、なぜわたしを呼び止めるのか、など気になる点は多々あるが聞けずにいた。聞いてもいいことなのだろうか。 「それ、柿原ゆかりが書いたの?」  聞こうか迷っていると、沢井さんはわたしの足元にある鞄の上のスケッチブックを指さした。絵の描かれた面が上になっていて、しまったと思った。じわっと汗がにじむ手でスケッチブックをひっくり返し、雑に鞄の中へつっこんだ。 「これは違うの……その」  言い訳が思いつかない。絵を描いているということは知られたとしても、今のわたしが描いた絵を見られたくなかった。 「見せてよ」 「いや、下手だし見せられるものでもないし……」  逃げようと思い、勢いよく立ち上がると持っていた鞄を膝で買ってしまい、筆箱や折りたたみ傘なんかが飛び出してきた。「大丈夫だから!」と砂ごと落ちたものを拾い上げ、鞄をつかみ走ろうとするも目の前は川だ。陸続きになっている道は沢井さんのいる方だ。 「あ、ちょっと!」  わたしはぎりぎりまで沢井みちに近づき、急に走り出した。沢井さんとの距離を確認しようと振り返る。てっきり追ってくるかと思ったがなぜかかがんでいた。 「折り鶴落としてるよ!」  見かけに寄らない大きな声が耳に届き急ブレーキ。方向転換し、また走り始めた。すでに足にも肺にもきていた。 「これ変わった模様して……」  揺れる視界の中で沢井さんが折り鶴を解体し始めていた。手を伸ばして阻止しようとするが、足が勝手にもう無理だと悲鳴を上げ失速する。 「うわ……」  心臓が皮膚を振動させる音で耳鳴りがするようだった。再び走り去ろうとすると「待って!」と声をかけられる。 「これ、すっごく上手いね!」  初めて沢井さんと目があった。目の下にはクマができており、記憶の中の沢井さんとは違った表情をしていた。 「沢井みち絶望的に絵が下手だから描ける人すごいなっていっつも思うんだけど、この絵は他のとは違ってなんかこう、ぐっとくるものがあるよね。ぱっと見ても不自然さがなくて整っているっていうか、沢井みちに言われてもって感じだろうけどさ、でも沢井みちもマンガとか好きでよくみるからこういう……」  急にしぼんだ。わたしを見つめていた視線もあわなくなり、そのままどこを見つめているかわからない状態で固まってしまった。そして急にしゃがみ込んで膝を抱え、嗚咽が聞こえてきた。沢井さんは泣いていた。何でとかわたしのせいとか思いながらも、こういう状況でなんて声をかけていいのかわからず立ち尽くしてしまう。寄って背中をさすってあげるべきかどうかを考えていると「ごめんね」と聞こえた。鼻水をすすりながらわたしを見上げてくる。 「これ、もらってもいいかな」  泣いていた相手にダメといえるわけもなく、黙って首を縦に振った。「ありがとう」と言いながら立ち上がった。 「他にも見てみたいな、柿原ゆかりの絵」 「それは、えっと……」 「ま、座ってお話でもしようよ」  柱のところに沢井さんはポケットから出した小さな敷物を広げた。そして座ろうとしていたが、上手く屈めずに転がっていた。 「……それって何?」 「これ?」  自信をつまみながら、ふふんと鼻を鳴らした。なおも転がったまま、 「どうも、さけるチーズです」  と言い放った。  学校に行かなかったせいで、なんかさけるチーズを名乗る変人、沢井さんと出会ってしまった。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加