残ったもの

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残ったもの

 目を開けるとオレンジ色に世界は染まっていた。外で寝ていたというのにお尻しか痛くない。頬に触れた温かみを確認すると沢井さんの顔が近くにあった。 「あ、おはよう」 「おはよう」  どこかぎこちない笑みだった。昨日のことを気にしているのだろうか。逆にわたしは変になっていないだろうかと顔をぐにぐにした。 「ごめんね、肩貸してもらって」  なるべく平穏を装った。学校のわたしを知らないということだけで気が楽だった。沢井さんが前に話していたネットの友達というのもこんな感じだろうか。ネットといわれたら怖いイメージがあるが、こんな感じならやってみるのもありかもしれない。後で沢井さんに聞いてみよう。 「……うん」  どこか元気がない。気づけばいつものさけるチーズではなく普通の格好をしていた。いや、いつもの格好に慣れているから、今の格好は普通ではなくいつもと違ったというべきだろう。白いパーカーにジーパン。ラフだけど沢井さんが着ればかっこよく見える。顔もスタイルもいいからだろう。少し羨ましい。  沢井さんの格好を見て開きそうになった口を慌てて閉じた。正直あのあとどうなったか気にならないわけではない。しかし聞いたりはしない。絶対に。いってくるなら聞くけど。 「あ、そうだ。絵完成描けたよ」  わたしは鞄から完成させた絵を取り出した。クリアファイルに入っていたため角も折れていない。綺麗な状態だった。クリアファイルを滑らせるようにして取り出すと静電気で少しだけ引っかかるような手応えがした。それがああわたしは今ちゃんと起きているんだなと感じさせるのには十分だった。 「はい」  差し出して失敗したと思った。風でせっかく綺麗な状態なのに折れてしまう。しかし引っ込める前に沢井さんは受け取った。まじまじと見つめている。出会った頃もこんな感じに見ていたなと懐かしかった。  ドキドキする。自分が描いた絵を人に見せるのは最近していたけど、渡すために描いた絵は久しぶりだ。 「あのさ」  沢井さんは絵から目を離さないまま口を開いた。 「柿原ゆかりのおじいちゃんって、糸井(いとい)隆志(たかし)?」 「え……」  久しぶりに祖父の名前を聞いた。正確には雅号。 「柿原ゆかりのおじいちゃんの言葉、ネットに載ってたよ」  わたしのためにいってくれた言葉だと思っていたのにまさか外でもいっていたなんて。 「そりゃ惹かれるよね、天才の孫だもん。上手いに決まってるよ」  くしゃっと紙が鳴った。絵を持つ手は震えている。 「……どうして沢井さんがそんなこというの」  信じられなかった。誰よりも人に決めつけられるのを嫌った沢井さんがわたしを決めつけてくる。睨んだ沢井さんの目がわたしに刺さる。教室の人たちと同じ、わたしを嫌う目。 「……呼んだね、苗字で」  あっと思った。でもそんなこと気にしてられないほどだった。 「みんな同じなんだ。私を分かってくれない。どうせ陰で笑ってたんでしょ」 「違う」 「不登校で何もしてない。無意味な人生を送ってるって」 「そんなこと思ってない」 「いいよね、意味のあることして。私と違って」 「ちが、わたしも、」 「私も何? してるじゃない」  叫び気味で持った絵を目の前に掲げられた。 「嘘つき」  沢井さんがわたしの絵を破った。カッと身体の芯から熱いものが湧いてくるのがわかる。中学生のときにも同じのを感じだ。激しい怒りで何もかもどうでもよくなるくらいの酷いやつ。  一瞬真惟に叩かれた光景がフラッシュバックした。叩く。そうだ、わたしは叩いていいほどのことをされたんだ。握り拳を作って沢井さんを見た。  泣きそうだった。なんで。わたしの方が泣きそうなのになんでそんな顔するの。被害者みたいな顔して、傷ついたのはわたしなのに、どうして。沢井さんはそんなことをしないって。わたしを尊重してくれるって、決めつけないって。学校で先生が沢井さんを助けてほしい、寂しいと決めつけたときに怒ったのに。クラスでもかばったのに。  わたしは沢井さんが嫌がることを探していた。嫌なことをされたからしていいという言い訳が支配し、必死になってわたしと同じ思いをさせてやろうと思っていた。昨日見た沢井さんの顔と今の顔が重なって思い出した。 「それが胸を張って、自信のもてることなんだね」  沢井さんの目が見開かれた。両手に持っている破れたわたしの絵を握りつぶすように丸め、わたしに投げつけたが届かない。風で沢井さんよりも後ろに飛んでいってしまった。それを追うかのように沢井さんは身をひるがえして去っていった。  わたしは顔を背け、自分のつま先をじっと見つめていた。気づくと唇を噛んでいる。顎が痛かった。  沢井さんはわたしを決めつけた。干渉しない関係じゃなかった。  沢井さんは知った。わたしの祖父のこと。でもそれ以上は知らない。何も知らない。幼い頃のわたしも中学生のわたしも今のわたしも。  それはわたしが望んだことだ。知らないから楽な関係でいられる。  自分で自分を作る、干渉しない関係がいいはずだった。でももうわからなくなった。知らないからこんな状況になった。自分を自分で作って、わたしはそうじゃないと突っぱねた。  さっと風が吹いた。隔てるものはなく、わたしに当たる。  残ったものは何もない。空虚な自分だけだ。  これじゃ中学のときと同じだ。  わたしは何を間違ったのだろう。
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