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本音
「この名探偵にお任せあれ!」
エコーのかかった声が室内に響き渡った。モニターからは同じ広告がすでに三回目となり、隣からは盛り上がる男性の声が聞こえてきた。
「今更だけど、なんでカラオケ?」
「ファミレスとかだと誰が聞いてるかわからないし、また変な噂になるかもでしょ? ここなら安心して話せるし、飽きたら歌えばいいし」
マイクをもっていえーいなんていっている。制服を着ていなかったらカラオケ入店お断りみたいな背丈の珠恵がピースしていた。
「それに沢井さんとも話してみたかったし」
「え……」
急に名前を呼ばれ、隣に座っている沢井さんが口からストローを離した。ストローの先がつぶれている。噛むタイプか。
「じゃあまぁ、とりあえず」
そういいながらマイクをテーブルに置き、わたしたちの前に腰を落とした。
「改めまして、門田珠恵です。16歳の高校生で趣味は推理小説を読むことと占い、好きな食べ物はハンバーグで嫌いな食べ物は苦いもの。私のことは珠恵でもたまでもなんでもいいよ」
「どうも……ご丁寧に」
お見合いみたいだった。いや、知らないけど。
「お近づきの印として、沢井さん占ってあげようか?」
「いや、いいです」
即答だった。しかも真顔だった。
「まあいいや。もう占っちゃったからね」
ふふんと鼻をならして妙に得意げだった。
「まぁそんなことはおいといて」
あっと沢井さんが小さくつぶやいた。占いの結果が気になるのだろうか、その反応が子供っぽく見えてかわいかった。
「みーちゃんって呼んでいい?」
「え、ダメ」
こちらも即答だった。しかし無視して「第一回、みーちゃん救出大作戦を始めます」とマイク越しに伝えてきた。
「さて、本題に入ろう。あくまでここからは私の名探偵の才能が暴走した妄言かもしれないから鵜呑みにはしないでね。じゃなきゃ三人寄れば文殊の知恵が成り立たない、おばかちゃんズになっちゃうからね」
遠回しで何がいいたいのかわからない。話が見えなかったが、続けて「結論からいうと、沢井さんの転校は阻止できるかもしれない」と腰に手を当てながら珠恵はいった。
「え、本当?」
「うん。さっき聞いたけど親の仕事の都合とかじゃないんだよね」
「うん、たぶんだけど」
「なら話は簡単だよ」
えっとねといいながら鞄から色あせたメモ帳が出てきた。そしてぺらぺらとめくり、ぴたっとあるところで止まりふむふむと一人頷いている。
「物語のシーンは取引なんだよ。どちらかの欲求が満たされれば終わるんだ。泥棒と警察みたいに、盗んで逃げられるか捕まえられるか、そのどちらかが達成されれば終わる。つまり、みーちゃんのお母さんは欲求不満だから欲求を満たすためにみーちゃんを転校させる。逆をいえば、転校前に欲求が満たされれば転校はさせなくてもいいかって考え直す。だから、ただがむしゃらに行動するんじゃなくてみーちゃんのお母さんの欲求を満たすための行動をすればいいってこと」
なんだか欲求とか欲求不満とか、その、エロいなって思った。しかし二人の表情は真剣そのものだったので、密かに自分を恥じた。
「ここからはみーちゃんにしかわからないことで一番大事なんだけど、みーちゃんのお母さんの欲求って何?」
「うーん、なんだろう」
目をぱちぱちさせていた。口も半開きになっていて動かない。やがてはぁっと息を吐いて「ごめん、わかんない」と謝ってきた。
「ま、相手の欲求が分かれば苦労はしないんだけどね」
両手をあげ、参ったのポーズを取っていた。
「てか、そのメモ帳何?」
「あ、これ。ふっふっふ、これは小説をもっと楽しむための秘密が書いてあるのだ」
はいって渡された。いいのかと思いながらぱらぱらめくってみてもよくわからなかった。起承転結とかは授業で先生がいってたなとか覚えていたが、他はさっぱりだった。比較的カタカナが多いような気がした。英語が苦手なわたしにとってカタカナは外来語? のイメージだ。トマトとかインゲンはいいけど、センチメンタルとかサブリミナル効果とかなんだよって感じだ。使っていれば頭がいい感じがして、わたしには縁がない。そもそも本とかあんまり読まないし、マンガも読めなくなったし。
「どうどう?」
「よくわかんなかった」
わかんなかったかーとわたしの言葉を復唱した。
「あれ、ユーカリって本読むっけ?」
「読まないよ。教科書ぐらいかな」
「みーちゃんは?」
「私もあんまり、ゲームは好きだけど」
すっかり私呼びだった。前までは自分のこともわたしのこともフルネームで呼んでいたのに。
「沢井さん」
「何?」
わたしが呼んでも普通に聞き返してきた。あのころのは何だったんだと思う。そもそも自分のことをフルネームで呼ぶなんて少しイタいなって今更ながらに思った。だからからかってやろうと「更科さん」って呼ぶと、
「ん……何、柿原ゆかり」
思い出したかのようにわたしをフルネームで呼んできた。珠恵は何をしているんだろうと困った顔をしていて、それがおかしくって沢井さんと顔を見合わせて笑った。
「なにさ、二人して楽しそうにして。更科さんってなに、なんでユーカリをフルネームで呼んだの、なんで……」
珠恵が止まった。瞬きがひどい。眼球もせわしなく動いていた。ちょっとだけ怖い。
「ごめんって」
「ねえ」
ばっと顔を上げてわたしたちの顔を見た。目には力がこもったようにはっきり見開かれていた。
「みーちゃんのお母さん、口癖ってある?」
「口癖?」
「うん、あとはよくいわれることとか」
「よくいわれること……」
沢井さんの顔が曇った。何か嫌なことを思い出しているのだろうかと沢井さんのお母さんを思い出す。わたしもいわれた言葉があった。
「……よく、『あなたは何をしているの?』っていわれるかな」
「あとは?」
「あとは……人様に迷惑はかけるな、よく噛んで食べなさい、勉強しなさい、胸を張って自信の持てることをしなさい、あなたの言葉で話しなさい……とか」
珠恵はあははと乾いた笑いをしていた。
「あ、でも昔はほとんどいわれなかったよ。だから昔の私とよく比較してくるよ、『昔のあなたは』って」
「へぇ、昔のみーちゃんって優等生?」
「優等生っていうか、猫かぶってた」
「……わかったかもしれない」
にやっと珠恵が笑みをこぼした。
「きっとみーちゃんのお母さんは昔のみーちゃんに戻ってほしいんだよ」
「昔の私?」
「そう」
「戻ってほしいって、それと転校に何の関係が?」
「きっと学校側が悪いと思っているんじゃないかな。何も対応してくれないとか。それで環境を変えてどうにかしようとか思っているのかも。人はなんでも人のせいにしたいからね」
ほーっと手をたたくと「いや、どうもどうも」とぺこぺこし始めた。
「……ねぇ、今更なんだけど、本当に今更、なんだけどさ」
沢井さんは手を叩かずに珠恵をじっと見ていた。そしておそるおそる「なんでここまでしてくれるの?」と聞いた。
「理由? うーん、どうしようかな……」
頭の後ろを掻きながらも顔は真剣そのものだった。どこか無表情に近く、感情がわからない。
「ま、いっか」
珠恵がカラオケのリモコンを操作し、曲を入れた。音楽に疎いわたしは題名を見てもぴんとこない。沢井さんはあっと声を上げた。知っているのかもしれない。
珠恵は腰を上げ、音量のつまみを回した。音が大きくなる。そして小さな手でわたしを押し、隣に座ってくる。沢井さんは引きずられるようにして奥に追いやられる。珠恵と沢井さんに挟まれ、身体も密着している。近いし、なんだこれ。
「実はさ」
曲がまあまあ大きい音で鳴っているのにも関わらず、珠恵の声はそんなに大きくない。顔を近づけてやっと聞こえる程度だ。沢井さんもそうらしく、わたしの正面まで頭を持ってきた。ふわっと甘い柑橘系のにおいがした。
「私……人の幸せを壊したことあるんだ」
よく意味が分からなかった。「ん?」と声をもらすと珠恵は口角を少しあげ、自嘲気味に笑った。
「中学生のとき、仲のいい友達がいてさ、その子もみーちゃんと同じ転校することになったの。泣いてたなぁ。嫌だ嫌だって幼稚園児のようにだだをこねて、私の前でわんわん泣くんだもん。そのときの私は変にこじらせていてさ、こういったの。『泣くだけじゃかわらないよ。本当に嫌だったら家出でも何でもして反抗するくらいのことしなよ』って。そしたら本当にしてさ、二週間近く見つからなかったんだ。警察も動いてテレビにまで出てさ。川でその子のリュックが見つかったとかでもう大慌て。結局は無事だったんだけど、その子どうしてたと思う? おばあちゃんの家に隠れてたんだって。おばあちゃん認知症で一緒に暮らしていて、一ヶ月に一回掃除しにいったりしていたらしいんだけど、気づかなかったんだって。それでなんでだって両親は大喧嘩。お互いに相手のせいにして、おばあちゃんにまであたったらしくて、最後には離婚したみたい。裁判にまでなったらしいけどそこからは知らない。その子はその間親戚のところに行くことになってさ、最後私に『許さない』って。『あなたの無責任な発言でわたしの人生はめちゃくちゃだ』って、そのときはその子泣いてなかった。私の顔をじっと睨むだけだった。私は一言で、その子の幸せを壊したんだ。だから……」
珠恵が止まった。電池が切れたみたいに止まって動かない。そしてほっと息を吐いて「ま、そういうこと。犯人の真相は全て語られるわけじゃないんよ、後はご想像にお任せ」そういって立ち上がり空になったコップを持って部屋を出て行った。ちょうど曲も終わり、部屋が寂しく感じられた。
珠恵にも抱えている過去があった。前に珠恵に『いいなぁ』といわれたことがあった。そのとき変わったねといっていた。わたしの想像でしかないけど珠恵は自分を変えたいのだろうか。
しばらくして珠恵が戻ってきた。白いカップを持っていた。中身はココアのようだ。
「あ、同情してもらうために暴露したわけじゃないからね。つまりさ、簡単にいうと最近危なっかしいユーカリと一緒にみーちゃんの力になれたらなって。そしてあわよくば仲良くなれればって思っただけ」
へっへっへと毒リンゴを持った魔女みたいに笑っていた。危なっかしいといわれて確かにそうかもしれないと思った。もしかしたらわたしがそうならないように牽制してくれたのかもしれない。考え出したらきりがないし、きっと珠恵は本当のことを教えてくれないだろう。珠恵のいうご想像止まりで真相にはたどり着けない。でもそう思うことにした。
「さてさて、仕切り直し。今までのはあくまで推理でしかないし、なんの確証もない。さらに状況が悪化するかもしれないし、まぁ何が起こるかわからない。それでもやる?」
「やる」
沢井さんが即答した。なんの迷いもなく。
「私、転校したくない。すこしでも可能性があるなら……」
意志は堅いようだった。それならと珠恵も頷いた。
「それならもう一回沢井さんを優等生にしないとね。一番大事なこと聞いてなかったけど、転校っていつするの?」
「……ごめん、わからない。でも、ちらっと聞いた学校が遠くにあるから通うってわけじゃないと思う。だから聞いてみて何かあったらいうね」
「わかった。じゃあ後はユーカリの出番だけど」
「わたし?」
「うん。中津川さんと仲良くなって」
「え、なんで?」
「中津川さんが噂を流しているのは事実なんだけど、みーちゃんのいい噂を流して外堀を埋めるから」
「わたし、嫌われてるよ?」
「あー、それは後で伝えるね」
珠恵がせわしなくなってきた。ちらちらと見ている先に目を向けるとカラオケの伝票があった。気づくとあと十分もなかった。しかし珠恵は一呼吸おいてわたしを見つめた。
「あとはマイマイと仲直りして」
はっきりとした口調でそういった。そのあと「後ろから刺されたらしゃれにならないからね」としゃれにならないことをさらっといった。
「それに、たぶん大丈夫だと思うな、ラブレターみたいにマイマイの靴箱に手紙入れてそのあと話し合えばたぶん仲直りできると思う。ユーカリが本音でぶつかれば、だけど」
わたしはあまり主張することが得意ではない。しかしそんなこともいってられない。隣で「ラブレターを靴箱にってべただ」とつぶやいている沢井さんのためにも。
「マイマイは自分のことオレとかいいながら乙女なところあるからね」
「なんでオレなの?」
「確かに、珠恵知っている?」
「大体は知っているけど、それは本人に聞いてよ。他人のことをいいふらしすぎるのはフェアじゃないし、私がされたら嫌だからね」
たしかにそうだ。
「じゃあもう時間無いけど、他に確認することとかある?」
珠恵がわたしと沢井さんの顔を交互に見る。
「どうしたの?」
わたしの方を見てそんな声を出す。変な顔をしていただろうかと思いながらも思っている感想を素直に伝えた。
「いや、珠恵ってよく見てるんだなって思って。あと頭よく見えて驚いている」
「まったく、失礼だな」
「だってテストだってわたしとあんまり変わんないじゃん」
「あぁ、あれはこっそり鉛筆転がしたり、問題を占ったりしてるからね」
わたしの学力は運と同等なのか。
「それに、色々と気をつけなきゃいけないからね」
珠恵なりの努力した結果なのだろう。もう繰り返さないとわたしも自分の過去から変わったように珠恵も変わった。そしてまた変わろうとしている。
「それにほら、私ミステリーオタクだから」
そういって笑ったところでぶるるると備え付けの電話が鳴った。
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