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知りたい
土日をどうすごしたかあまり覚えていない。近頃のあわただしさに疲労が溜まっていたのか、特に何をすることもなく無益に過ごしてしまった。
それでもただぼーっとしていたわけではなく、宿題とか真惟へのラブレターめいた呼び出しの手紙を書いたりしていた。実際手紙を書くなんて久しぶりでなにをかいたらいいのか迷った。
拝啓? 真惟さん? いや、さん付けなんて今更な感じがするけど、今のわたしたちの関係でいえば敬称はむしろ必要なのかもしれない。改まった関係ではなく、気まずい関係。はっきり嫌いといってしまったし、名指しで嫌いといわれた。相思相嫌なんて言葉があるんだとしたらまさにこのことだ、ないけども、とくだらなくもへこむどうでもいいことを考えていたりした。
結局手紙には『話があるから昼休みに自転車置き場にきて。待ってる』と用件を簡単に書いた。
最後に柿原ゆかりと書こうとして手が止まる。わたしという人は結局のところ、どんな人なのか。
いつしかみんなと仲良くすることを諦めて限定された一部の人としか付き合わなくなったように、わたしは狭い世界でしか生きていない。それが一番摩擦が起きにくいと思っていたから。でも小さな摩擦を積み重ねるような広く浅い付き合いよりも、大きな亀裂を伴う狭く深い付き合いの方が当然つらい。そうと分かっていても普段の小さな摩擦が怖くて自然と足が向かなくなってしまった現状に甘えていた自分のせいだろう。自業自得というやつだ。そうやって傷つかないようにしてきた見せかけだけの小綺麗なのがわたし、柿原ゆかりという人なんだろう。深手を負ってめそめそしている。致命傷を負っている人からすればかすり傷なのだろうが、それでも今のわたしにはこの傷こそが致命傷に思えてひどく泣きわめきたい気分なのだ。
つまるところ、わたしは弱いのだ。傷つくことを恐れている。沢井さんと出会って、無干渉に居心地の良さを感じて、堕落しきっていた。つけが回ってきたとばかりにやること成すことうまくいかない。それでもそれがわたしなんだ。強くなれといわれても強くなれないから弱いまま生きる術を身につける。無理する必要なんてないと甘えた思考になりながらも、そんなもんだよねと諦め半分だった。もう半分は本気でどうにかしたいと弱いながらも思い、その半分の力でわたしは柿原ゆかりと手紙の最後に書いた。
その手紙が入った封筒を片手に真惟の靴箱の前にいる。以前に真惟は八時前には学校にいないことを確認してる。だから今日も少しだけ早起きをして登校した。真惟の靴を確認すると上履きだけが入っている。かかとに橘真惟と書かれている。丸文字とは無縁の、硬そうでかくかくした字だ。かかとは踏まれた後が無い。その靴の間にラブレターを挟めるようにして置いた。ぱたんと閉め自分の靴箱を開けた。
そこには封筒が挟まっていた。間違えたと思い、貼ってある番号を確認したが、確かにわたしの靴箱だった。一瞬で返却されたのかと変な思考になってしまうほどには混乱していた。
「おはよー」
ドキッとした。わたしにではなかった。顔も見たことがないから上級生だろうか。わたしは封筒をポケットに入れて、逃げるように玄関を後にした。
靴箱に封筒。沢井さんが金曜日べったべただといったやつだろうか。つまり、告白。好きですつき合ってくださいとどこぞの物好きがわたしなんかに告白するのだろうかと思い上がっていたが、もしかしたら違うのかもしれない。わたしと学校という二つの単語を組み合わせてみると一番に噂が思いつく。根も葉もない噂に反応し、わたしに何かをいいたいのかもしれない。それにしてもわざわざこんなことをするだろうか。
わたしは鞄も置かずに、まずは確認しようと人目のない場所に向かった。この時間帯に限らず人気のない場所を一カ所だけ知っていた。校舎裏だ。学校祭とかに保護社用に開かれる門があるのだが、いまは硬く閉ざされている。一年生の自転車置き場の前を通る必要があったが今はまだ人が少ない。だからそんなに目立たずにいけるし、昼休みは誰もいない。だから絶好の場所だった。
「あ……」
校舎裏を覗くと先客がいた。山本くんだった。真惟の気になっている人、というか好きな人。もしかしたら真惟を説得する一つの武器になるかもなんて軽く考えついたわたしはその場を立ち去らずに声をかけた。
「山本くん」
「うおっ、か、柿原」
オーバーリアクションで驚いていた。そんなに脅かしたつもりはないのだが。山本くんはサッカー部だった。高身長ですらっとしている。普段はさわやかなのに部活になると子供のように喜んだり悔しがったりしてそのギャップがいいと真惟はいっていた。
「お、おはよう」
「おはよう」
ぎこちない。何かを隠しているような気さえするし、微妙な空気が流れる。気まずい感じだった。
「……みた?」
「ん?」
「って、見たからここにきたんだよな」
はははと乾いた笑い。何の話だろうと考えたが、思い当たるものがあった。中学のときに一度経験したことがある。何かをいいたいけど踏み出せないもどかしい空気感。一緒だ。ポケットの手紙に手を添えてもしかしてと思ったときにはもう山本くんの口は開いていた。
「俺さ、柿原のこと好きなんだ」
まっすぐわたしを見つめながらいった。
「……なんで」
なんで今なんだろう。
「なんでって、思ったんだよ。最近の柿原をみて、その、守ってあげたいなって」
「わたしそんなに弱くないよ」
自分では弱いと思いながら人にいわれるのには抵抗があった。だから強がりもいいたくなるし、山本くんが好きだというわたしをちょっとでも壊したかった。
「そうだな、すまん。でもさ、弱いっていうか危なっかしいっていうか。ほら、柿原って基本受け身であんまり自己主張しないけどいうときはいうだろ、この前みたいに。それに口数は少ないけど結構考えてるんだなってこともあるし、すげえなって思う。絵を破ったって話の裏にもきっと誰かのための行動なのかなって、沢井のために怒っていたときに思った。そう思うとさ、柿原ってすげえ優しくていいやつなんじゃないかって」
山本くんはつらつらとわたしを語っていた。決して間違っているわけではない。たぶんわたしからみるわたしもそうなんだろうなっていう感じだ。だから疑問に思うことがあった。
「なんでそんにわたしを語れるの? 話したことだってそんなにないし」
「そりゃ、柿原のこと見てたし」
「……わたしは山本くんのこと何にも知らない」
「じゃあこれから教えるよ。なにが知りたい? なんでも教えるぜ」
「そういうことじゃないよ。知ったからって好きになるとは限らない。今よりももっと嫌いになる可能性だってある。本当はそんな人じゃないのに、勘違いして嫌いになってしまうかもしれない。そんなの、つらいし、悲しいよ。わたしにはできない」
たぶん、真惟とのことをいっている。わたしの本音。つらいし、悲しいんだ。
「柿原なら大丈夫だろ」
「無責任にわたしを語らないで」
「じゃあ教えろよ。いいところも悪いところも全部知らなきゃわからない。もし嫌なところがあったら我慢しないで伝えればいいさ」
「……自信ないよ。わたしはわたしを知られるのが怖い。軽蔑されるかもしれない、嫌われるかもしれないって思うなら、初めから知らない方がいい」
「それなら柿原のことは何も教えてくれなくていい。俺を知ってくれ。そしてさ、もし嫌いなら振ってくれてかまわないよ」
「そんなこと……できないよ」
あれもダメ、これもダメ。なんだか情けなくなってきた。断るにも断りきれずにはっきりしない。わたしじゃないほうがいいに決まってる。
「それにたぶんわたしは間違える。勘違いして、山本くんを傷つけちゃう」
「勘違いしそうなら話し合えばいいさ。間違いは知れば直せるかもしれない。直せないとしたらそれは知らないからなんだ。それに、そういうのもきっと楽しいと思う。へへ」
急に笑い出した。すぐにいや、と弁解するかのようにまた口を開いた。
「なんだかこういう時間もいいなって。前は遠くから見ているだけだったけど、こうして実際に話してさ、どうしようって無い頭ひねってるのも楽しいっていうか。俺はやっぱり柿原のこと好きなんだなって思うし」
聞いているだけで恥ずかしかった。真惟が好きになるのもうなずける。でもなんでこんなに恥ずかしげも無くいえるのかは不思議だった。
「……どうして、恥ずかしくないの?」
「ん? あぁ、そうだよな。普通は思うよな。……実はさ、部活もそうだけど、俺お笑い芸人目指してて度胸試しとかで休みの日に街でやってんだよ。だからかな、まあ緊張はしているよ」
ほら、と手のひらを見せてきた。手汗が光っていた。それに大きな手だった。わたしなんかとは一回りぐらい違うだろうか。力強そうな手だった。
「それでもさ、後悔はしたくないじゃん。ほら、チャンスの女神に後ろ髪はないっていうだろ」
まぶしかった。
「だからさ、俺とつき合ってくれ」
もしつき合ったとしたら何があるのか。真っ先に思い浮かぶのはわたしの顔ではなく、真惟の顔だった。
真惟は山本くんを好き。わたしは好きかもわからない。だからこんな曖昧な状態でつき合うのはよくないんじゃないのか。それに沢井さんの転校を阻止するためには真惟と仲直りしなければならない。ここで断ったとしてもつき合うにしても噂になってしまうかもしれない。それは中津川さんと仲良くなればなんとかなるかもしれない。
「本音でいい。俺はどんな答えでも覚悟はできてる」
まるで振られる前提みたいな話し方だった。返事が遅いからだろうか。
本音。
最低だ。わたしは断る理由を探していた。外堀を気にして、だからつき合うことができないという大義名分を探していた。それはわたしの本音ではない。相手に対して失礼だ。真惟も中津川さんも珠恵も沢井さんも関係ない。わたしがどう思うか。正直に。
「……ごめん」
頭を下げて謝った。
「……そっか」
わたしはじっと地面を見つめる。顔を上げるのが怖かった。山本くんはどんな表情をしているのか見たくなかった。
「ありがとう。柿原の本音を聞けて嬉しかった」
「……ごめん」
「謝んなよ。顔を上げてくれ」
いわれたとおりにした。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。山本くんは泣きそうな顔をしていた。無理矢理笑顔を作ろうとして不格好な笑みになっていて、ぴくぴくとひきつっている。
「柿原のこと知れてよかった。でも、あーあ、ダメだったか」
両手を頭の後ろで組んでいた。無理に明るくしようとしているのがわかった。
「なあ、一つ聞いていい?」
「なに?」
「柿原って好きな奴いるの?」
「……いない」
「じゃあさ」
にっと笑った。白い歯がまぶしい。
「諦めなくてもいい? って情けないけどさ、もっともっと柿原のこと知りたいって思うんだ。どうかな」
ダメとはいえなかった。無言で頷くと、山本くんはそっかといって嬉しそうに笑った。
わたしの中には山本くんの言葉でいっぱいだった。間違いを直せないのは知らないから。人がわたしを決めつけているというのはわたしが教えなかったから。
「山本くん」
「なに?」
「ありがとう」
「……反則だよ、それ」
顔を真っ赤にしてつぶやいていた。そして恥ずかしくなったのか、もう行くわといって身を翻した。
「うおっ、橘いたのか」
「え……」
校舎の影になっていて見えないが、山本くんは橘といった。わたしが知っている橘は一人しかいない。
「恥ずかしいところ見られちゃったかな。まあ仕方ないか。でも内緒にしてくれよ、つってもお前た仲良いから大丈夫だよな」
じゃあなとわたしにもう一度目配せをして姿を消した。
「……真惟?」
おそるおそる呼んでみる。返事はない。もしかしたら違う橘かもしれないと期待したが、出てきたのは真惟だった。
「どうして……」
先に口を開いたのは真惟だった。
「そんなにオレのこと嫌いなんだ」
質問ではなく、納得。
「なんで山本くんの告白を断ったの?」
確認する必要はなかった。真惟は見ていたのだ。
「オレをバカにしてるんでしょ。そうやってオレのほしいものは平気な顔して、そんな望むようなものじゃないって、見せつけたいんでしょ」
顔を真っ赤にしていた。そんなことないと否定するのは簡単だ。でも不用意にそんな言葉をいっていいのだろうか。今の真惟に伝えるべきはもっと他にあるのではないかと考えてしまう。わたしの本音。珠恵がいっていたけど、いくら考えてもわからないのだ。
「金曜日」
ギクッとした。何をいわれるのか。拳がとんでくるのではないかというような勢いだった。
「三人で遊びに行ったんだってね。オレとは行ってくれなかったのに。よくそんなことできるね」
「違うの」
「なら沢井に同じこといえる? 嫌いだって」
反射的に出てしまった。しかしその否定が逆効果だだた。
「ほら、いえないじゃん」
真惟はもういいよといってわたしに背中を向けた。
「……信じてたのに、ゆかりをずっと」
そして去っていった。何もいえなかった。どんな言葉で取り繕っても、真惟には届かないほどのことをしてしまった。
昼休み、校舎裏でいくら待っても真惟は来なかった。もう冬の訪れをしらせるかのように日陰は肌寒い空間になっていた。
朝のことを珠恵と沢井さんに話した。わたしを責めることはしなかったが、珠恵は困ったという顔をしていた。それだけでわたしを責めるには十分だった。「鞄、肩に掛けないで背負った方がいいんじゃない?」と冗談めいたことをいっていたけど、冗談に思えなかった。それくらい、真惟には申し訳ないことをした。
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