折り鶴

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折り鶴

 気のせいではなかった。確かに見覚えがあった。 「柿原さん、この高校だったんだ」  放課後。掃除を終え、校門を出たあたりでふいに声をかけられた。  黒縁のメガネをかけていて、顔を隠すように長い髪。他校の制服を着ているがどこのかはわからない。だがはっきりとそれが誰なのかわかってしまった。 「久しぶりだね、元気だった?」 「……まぁ」  忘れもしない、中学時代に半年だけ入部していた美術部にいた同級生の渡辺さんだった。 「じゃあ……」 「あ、待って」  呼び止められるが聞こえなかったフリをした。不自然にならない程度に駆け足で進む。 「絵、まだ描いてるの?」  無視すればよかったのだが、立ち止まってしまった。まだ、という言葉が引っかかる。 「えっと……私ね、高校でも美術部に入っていてね、柿原さんの高校に城島くんって人いるでしょ。ほら、同じ一年生の、」 「あのさ」  わたしは話をさえぎるように強い口調で言い放った。あのころと変わらず、回りくどい。 「何がいいたいの?」 「あ……」  渡辺さんは視線を外した。口が開いたまま、まるで告白でもしてくるかのような緊張した雰囲気を漂わせている。 「あのときのこと、謝りたくって」 「は?」 「私ね、今の高校で先輩とあんまりうまくいってなくって。でも絵を描くことはやめられなくって。そんなとき城島くんと出会って。城島くんすごいんだよ、美術部じゃないけど賞とったりして、」 「だからさ、」 「それでね」  お互いが主導権を握るかのように相手の話を遮る。こんなにも譲らない渡辺さんを初めてみた。だからうっと怯んだ。 「思ったんだ。部活でうまくいかなくっても自分の居場所はそこだけじゃないんだって。だから柿原さんも、もしまだ絵を描いているんだったら……一緒にどうかなって」 「それお前がいう?」  びくっと渡辺さんの身体がはねた。ついお前呼ばわりしてしまったが気になったのは瞬間だけ。よみがえる記憶には敵わない。 「あんなことしておいてさ、今になって何。罪滅ぼしのつもり?」 「それは……」 「お前がしたこと、絶対に許せないし忘れないから」 「うぅ……」  すぐに泣くのは変わらなかった。泣きたいのはこっちの方だ。思い出したくないことを思い出させておいて何泣いてんだ。  なんだなんだと人が集まってきた。状況だけ見ればわたしが泣かせているという風に見えるんだろう。まるで中学のときと同じように。 「ごめんね……、ほん、とうに、ごめ、んなさい……」  何度も何度も嗚咽を交えながら謝ってくる。 「謝るぐらいならはじめからするなよ」と、それだけにとどめて、逃げるようにその場を離れた。  走った。肺が痛くなっても、足がつりそうになってもかまわず走り続けた。途中すれ違った犬にほえられたり、自転車のお兄さんが迷惑そうに見てきたがかまわず走り続けた。速度が落ちでも立ち止まることなく早歩きをした。  橋の下にはまだ沢井さんは来ていなかった。いつもは先に来ているのに。  橋の柱にもたれかかり、乱れた呼吸を整えようとした。額から脂汗がにじむ。二、三回深呼吸をしても、心臓はまだ高鳴っていて、穏やかに流れる川との差異に気持ち悪さを覚えた。  五分ぐらいしても沢井さんはまだ来ない。なんだか落ち着かなかったので、鞄から紙を取り出し鶴を折り始めた。  わたしはどうも物を捨てられない性分らしい。意味もなく期間限定のお菓子の箱を捨てずにいたり、お年玉の袋も机の中に眠っている。同じく自分の描いた絵も捨てられない。失敗したりすると捨てずにこうして鶴を折ることにしていた。願掛けではないけれど、千羽鶴ができればどれだけ自分ががんばってきたかが目に見えるし、何より自分の失敗を捨てて無かったことにすることはしたくなかった。  それに鶴なら間違って捨てられるということもない。わたしの性分を知っている母親がたまに無断で部屋の掃除をし、前に雑紙として描いた絵を捨てられたことがあった。だから、形を変えて対処する。過去の記憶も同じように折り畳んでいたはずだった。なのに、一度折った物を無理矢理開いたかのように現れた。劣化して少しだけ開いた穴を広げるように過去を蒸し返してきた。 「あーだめだめ」  落ち着かせるために折り紙をしているのに、何かと共通点を見つけては思い出していた。 「何がダメなの?」  びっくりした。いつの間にか沢井さんが隣に座っていた。いつも通りのさけるチーズの格好で。 「沢井さん、いたなら声かけてよ」 「ちょっと、沢井さんじゃなくて更科さんって呼んでよ」  そうだった。最近は割と間違えずに呼べていたのに驚いてつい沢井さんと呼んでしまった。 「というか、なんで更科さん?」 「えっとね、沢井みちって沢井みちの名前でしょ?」 「ちょっと待って、ついでになんで自分のことフルネームで呼ぶの?」  という具合にはわたしも打ち解けていた。沢井さんはむしろ聞かないで変な空気になってしまうこと嫌う。 「あ、まだいってなかったっけ?」  うーんとねとたぶん膝だと思う箇所に視線を一瞬移してから再び目を合わせて語り始めた。 「一種の暗示みたいなものかな。沢井みちって固有名詞で、一人の人間。でもそんなはっきりしているとは思えないの。心臓があって、脳があって、身体があって、でも人間みんな持ってるわけで、違いが分からないのに沢井みちは沢井みちとして存在して沢井みちって呼ばれる。それに対して自信を持って返事することは無責任じゃないかって思うの。だから『更科さん』。でも沢井みちが沢井みちを否定したらいけないししたくない。だから沢井みちが沢井みちを知るために沢井みちと呼ぶことにしてるんだ」 「じゃあわたしのことをフルネームで呼ぶのは?」 「沢井みちとの違いを知るためにっていうのと、柿原ゆかりを知るため、かな」  正直めんどくさって思った。 「なんで更科なの?」 「それは……呼び名がないのは不便でしょ? だから意味なんてないよ。マルチーズだってそうでしょ。犬種なんて枠組みで大事なのは飼い主がつけた名前。更科は犬種と同じ」 「そうなんだ」  とつぶやきながら、そうじゃないよねと心の中でツッコミを入れた。  おかしい。これだけこだわって、意味を見出そうとしているのに、最後だけにごされた感じだ。普段から珠恵が事あるごとに推理しようとするからそれに感化されているのかもしれないけど、妙に引っかかった。一瞬食べ物の話かと勘違いしたし。  でも深堀りはしない。聞けば大体教えてくれていた沢井さんがいいたくないなら、無理に聞くのはよくない。わたしにもいいたくないことがあるように、沢井さんにもあるのだ、当然のように。 「色々と考えてるんだね」 「まぁ暇だからね」 「聞いといてあれだけど、何で教えてくれたの?」 「なんでって、沢井みちは柿原ゆかりと仲良くなりたいからかな」  沢井さんはえへへとはにかんだ。その屈託無い笑顔の言葉が嬉しかった。 「あ、あと……」 「ん?」 「今ハマっているゲームがあって……その、描いてほしいんだけど」  上目遣いで頼んでくる。誰かのために絵を描くのは小学生以来だ。引っかかることはあった。それでも沢井さんはそんな人じゃないと嫌な思い出を振り払うように軽口をたたいた。 「まさかそんな下心があったなんてね」 「違う、けど違わないかも……」  正直に答えながらも欲望に勝てない様がなんだかおかしくて「いいよ。何を描いてほしいの?」と聞いた。すると首元から手を入れ、中からゲーム機を取り出す。どこに入ってるんだろうとまじまじ見ていると「えっち」といわれた。  ちなみに今日は何味なのか聞いたら、ローストガーリックらしかった。何を基準に決めているのかも含めて、もっと沢井さんのことを知りたかった。
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