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「 ①忘れていた大切な事 」
香月が配達の為に、ある店の前に車を駐車していた。
配達先の店から出て来ると、1台の黒い車が横付けで停めている。その車は見るからに自分の世界とは違うものだとわかる。
「すみません。車を出したいのですが…」
自分と違う世界の人(怖い系の人)だとわかるだけに、恐る恐る、そっと覗き込むようにして声を掛けた。
「これ、あんたの車?」
いかにもそっち系の若い子がグイグイと寄って来る。
「は、はい。お花のお届けに来まして…」
「花?」
男の香月から意外な言葉が出て来たからか、その子は不思議そうな顔をして一言そう言った。
「――お前、何してんだ」
話をしていると、車の中から黒に近い色のスーツを着た男が出て来た。今話していた子とは明らかに違う。完全に怖い系の偉い人だとわかる。
「若、この車の持ち主という奴が来まして」
香月と話していた子が態度を変え、姿勢を低くして説明をした。
「すまねえなあ。実は、こいつがあんたの車にぶつけちまったんだ。大した事はないとは思うんだが、これは仕事用の車だろ?修理に出すにしても勝手に持って行くわけにもいかねえから待ってたんだよ」
偉い人であろう男は静かに話をした。
「そうでしたか。えっと、どの辺にぶつかったのでしょうか」
車が接触しやすい後部角を目で追う。
「おい、お前、どの辺にぶつけたんだ」
「はい。この辺りです」
教えられた場所を見ると、少しへこんでいる程度だった。
「このくらいでしたら気にしないで下さい。もう古い車ですから大丈夫ですよ。うん、大丈夫です。そのまま行ってしまう人が多いのに待っていて下さってありがとうございます」
接触した箇所を触りながら、香月は笑顔で答えた。
「すまない。――しかしあんた、何でそんな顔で答えられんだ?」
香月の表情を、この男は不思議に感じたようだった。
「どうしてって…。う~ん、特に意味はないですよ?」
香月は特に改めて作った表情ではなかったので、そこを質問され、どう答えていいのか戸惑ったが、ありのまま答えた。
「そうか。変な事を言った。これで修理に出すでも、新しい車を買うでもしてくれ」
男はそう言うと、自分の財布からカードを出し、香月に渡した。
「えっ?これは受け取れませんよ~。第一、こんなものを知らない人に渡そうなんて。ダメです。うん、ダメです!」
カードを前にした香月は慌てて自分の手を引っ込めた。
「おい。若が出してきたものを受け取れねってか?」
最初に話した子がグイグイと威圧感を出しながら寄って来る。
「そんな風に来られても困ります。それに、どんなお金持ちでもダメですよ?必要以外の無駄遣いをするような事」
「はぁ?」
香月が言えば言う程、その子は苛立ちを見せた。
「やめろ。――あんた、申し訳ないなあ。こいつの躾がなってなくて申し訳ない。悪い奴じゃないんだが」
自分の下の者があまりに香月に威圧的な態度をするので、男は注意をした。
「いえ。とにかく、これは要りません。車の修理も大丈夫です。僕は仕事がありますので、これでいいですか?もう行かないと。次のお客さんとの時間に遅れてしまうので」
このまま話していても仕方がないので、香月は自分から話を終わらせようとした。
「しかしなあ…」
「いいんです。大丈夫ですから。貴方もお忙しいのにありがとうございました。では、僕は行きますね」
足を止めているとどんどん引き止められそうなので、香月は車に乗り込み、窓を開けてから一言告げ、車を走らせた。
―――〈あの人、同じ男だけど格好良かったなあ〉
車を走らせながら香月は、あのスーツの男を思い出す。そして、チラチラとスーツの男が頭内を過りながら外回りの仕事を終わらせて店へと戻った。
店のカギを開け、出入口のドアを全開にし、花やハーブたちをいくつか外へ出す。裏にある切り花たちを箱から出し、ガラス棚に並べていく。店内を軽く掃除をしてから注文用のメールを確認していた。
「いらっしゃいませ」
入口から入って来る足音を耳にして、PCのメールに向けていた視線を訪れた客へと向けた。
「貴方は…」
香月が視線を上げ、目に入って来たのは、さっき外回りで出会ったスーツの男だった。
「さっきは申し訳なかった。あんたが乗っていた車に、ここの名前が書いてあったから来たんだが」
「あの件は大丈夫と言いましたのに」
「そうだったんだけどな。やっぱり迷惑だったか?俺みたいなのが店に来て」
スーツの男は普通に装っていたが、香月の目には少し恥ずかしそうにいる感じに見えた。
「いいえ、迷惑だなんて。花たちの所へ来る人に、どんな人が良くて、どんな人がダメなんてないですよ。花は生きものにとって大切な存在ですから」
香月は傍にあるハーブの苗の入った鉢を触りながら笑顔で言った。
「そうか。それなら良かった」
「はい。――えっと、それで…」
このあとをどうしたらいいのか香月が迷っていると、男は少し考えてから花の注文をする。
「見舞い用の花を頼む」
「あっ、はい。何色のものがいいですか?」
急に花の注文をされて少しびっくりした香月だったが、普段通りの接客を始めた。
「色?」
「はい。相手の方の好きな色や、好きな花、貴方が贈りたい色とか。こういう感じでと思うものを言って下さい」
「そう言われてもなあ。――お前、いつもどんな風にしてもらってるんだ?」
男は、自分の後ろにいる者に聞いた。
「私はいつも、お任せでとお願いしています」
「そうか。じゃあ、お任せで頼む」
「では、贈られる方の年齢と性別を教えて頂けますか?」
「年齢は70くらいで男だ」
「はい。少々時間を頂きますので、お車でお待ち下さい。できましたらお持ち致します」
「なあ、あそこで待つのはダメなのか?」
香月の店は、店内が2つに分かれている。1つは花屋で、もう1つはカフェスペース。花屋で注文した際、カフェスペースで待つ事もできる。普段なら、そこで待つかどうかを聞くが、男にはいづらいだろうと思い、車で待つよう言った。しかし、男は店内のそのスペースを指して、そこで待たせて欲しいような質問をしてきた。
「いえ。そちらはカフェスペースにもなっていますが、女性のお客様がよく
利用しますのでいづらいかと思って。それでもよろしいですか?」
「構わない。あそこで待たせてもらおうか」
「はい。では、お好きな席にお座り下さい。僕のお勧めはここです。庭も見られますので」
カフェスペースで待つと言われ、香月は自分の解釈だけでここを勧めなかった事に申し訳なさを感じた。それを消すわけではないが、自分で手入れをしている庭が見られる席を教えた。
「ここにする。俺はコーヒーをもらえるか?」
「私はラベンダーティーを」
男は香月が勧めた席に座り、テーブルにある飲みものリストを見て、注文をした。
「はい。すぐにお持ち致します」
2人の注文を聞いた香月は裏へ行った。
「お前、ラベンダーティーって何だ?」
「若はラベンダーというハーブをご存知ですか?それのお茶です」
「ハーブ?それはお茶なのか?」
「そうですねえ。若が思っているお茶とは少し違いますけど、お茶にもなります。ラベンダーという花と言いますか植物があるんですけど、それに湯を入れて飲みます。他にも精油にしてお風呂の湯に入れたりと、香りを楽しむんですよ」
「そうか。お前はよく知ってるな。お前みたいなものを頼まずにコーヒーなんて頼んで失礼だったか?」
普段、そんな事を気にしない男の言葉に、一緒にいる男は不思議そうにしていた。
―――「お待たせしました。コーヒーとラベンダーティーです。それと、よろしければこちらをどうぞ。紅茶のクッキーです」
男2人がコソコソと話をしている間に、香月が飲みものを運んできた。
「ありがとうございます。良い香りですね。自分で育てているのですか?」
男の傍にいる者が質問をする。
「はい。庭の、あの辺りですが、そちらで育てています」
「そうですか。コーヒーも良い香りがしますね」
「僕は、コーヒーはあまり詳しくないのですが、せっかくお出しするのであればと、知り合いの所に頼んでブレンドしてもらっています。まあ、そんな感じなので、僕好みのものに近いんですけど」
「そうでし――」
「そうか。旨いよ。このくらい深みのあるのは久しぶりだ。最近は酸味が強いのが多くてな。俺は深みの方が強くて、酸味は最後に口に残る程度のものがいいんだ。まさか、これを飲めるとは。偶然はあるもんだな」
男の傍にいる者と話をしていると、コーヒーの話だからか男が合間を縫って答えてきた。
「そう言って頂けると嬉しいです」
男の優しい表情と言葉で、香月は嬉しかった。
「お花のご用意を今からしますので、お待ち下さい。お待ちの間、店内や庭など、よろしければご覧下さい」
そう言うと、香月は注文されている花束を作りに行った。
―――〈あの人、どっかで会った事あるんだよなあ。でも、あっちは知らなそうだしなあ〉
香月は、ある一定期間の記憶がない。生まれてすぐに施設の前に捨てられていた。その施設で子どもの頃のある一定期間の記憶がないのだ。事故にあったとか、大きな病気になったとかではなく、ある朝、起きた時に前日までの数年の記憶がなかった。男を見ていると、その時の異様な気持ちが蘇るような気がした。
〈何だろう…〉
会ったのは今日が初めてのはずなのに何かが引っかかる。何とも言えない気持ちのまま、〈今は仕事中〉と自分に言い聞かせて仕事をした。
「できた。これでいいかなあ~」
どれだけやっても『お任せ』というのは緊張する。その緊張を抱えたまま花束を持ち、男2人の待つ場所へと行く。
「お待たせいたしました。こちらでよろしいですか?」
「ああ、ありがとう。綺麗だ。ん?これは?」
花束の花と花の間に、小さいラベンダーが差し込まれていた。
「はい、ラベンダーです。これはおまじないです。ラベンダーには長寿に導く力があると言われています。こちらを手にする方が元気になられ、長生きできますようにと入れさせて頂きました」
「そうか。ありがとう。そんな力がこれにはあるんだな」
「はい」
「ところで1つ聞きたいんだが、あんたはラベンダーに拘りがあるように思えるんだが」
「よく言われます。ラベンダーは僕にとって、とても大切なものなんです。と言っても、何で大切なのかは自分でもわからないんですけど。変ですよね」
「アハハ」と空笑いしながら香月は言う。
長年、何故ラベンダーが大切なのかを考えるが答えは見つからない。きっと、あの記憶のない間での出来事で、ラベンダーは自分にとって大切にしたい何かなのだと香月は思っていた。
「そうか。どんなものでも大切なものがあるのはいい。変ではない」
「そうですか?そう言ってくれたのは貴方が初めてです。いつも、ラベンダーばかり庭であれこれしていて、ラベンダー博士にでもなるのかって商店街の人たちに言われています(笑)」
「俺には庭なんかを飾り立てるような事はよくわからないが、見ていて悪い気はしないし、その人が何を一番大事にするかなんて言うのは他人にはわからないだろ。その人が大事にしているもんにあれこれ言う方が変だ。気にする事はない。あんたが大事ならそれでいい」
男はそう言葉を残して店を出た。店を出る時、車の件もあるからと名刺を置いて行った。
そこには【真龍組 若頭 真龍 誠】と書いてあった。
〈やっぱり、そっち系の人なんだなあ。――あきら… …あきら…〉
誠という名前を自然と脳内で反復する。そうしているうちに頭痛がしてきた。
〈頭痛い…〉
普段の頭痛とは違う。忘れている記憶を模索しようとすると起きる痛みの方だ。これは痛み止めを飲んでも効かないので、治まるまで店を閉める事にした。
店の2階が住居になっている。服を着替え、眠れる薬を飲む。自分の好きな香りのアロマを炊き、ベッドへ入る。しばらく真龍の顔を思い浮かべながら『あきら』という響きが脳内で彷徨っていたが、薬が効いてきたので眠りに就いた。
寝付いてからどのくらい経ったのか。夢の中で声が聞こえる。
『俺さあ、明日から新しい家に行くんだって。嬉しいけど、香ちゃんと離れるの嫌だなあ。だから香ちゃんも一緒にって言ったんだけどダメだって。ごめんな。でもさ、大きくなったら会おうよ。大きくなったら誰にも邪魔されない。だから約束。大きくなったら香ちゃんを―――」
そこまでで意識が現実に戻った。
あれから20年も経っているのに、今になって何かを思い出すような気がした。今のはただの夢ではない。記憶のない時の一部だと香月は思った。
〈今、何時?〉
頭痛はない。しかし身体が重い。重い身体を半分起こして時計を見る。久しぶりの薬のせいか随分と寝てしまい、既に夜になっていた。
〈今日はちゃんと店開けられなかった…〉
大人になってから今日のようになったのは初めてだった。中学生くらいまでは度々、無意識に記憶がない時を思い出そうとして酷い頭痛になっていた。その度に眠くなる薬を飲み、短時間だが深い眠りに就いて脳をリセットしていた。高校生くらいになると、諦めた自分もいたからか回数が少なくなり、この花屋をやる頃には思い出す事もなくなっていった。
変な感覚になりながらも全身を起こし、ベッドを出る。薬のせいもあって喉の渇きが激しい。冷蔵庫から水を出し、一気に飲んだ。
冷たい水だったからか、重かった身体がシャキッとした気がした。
〈お腹空いたな。何か食べよう〉
冷蔵庫にあるパンを出し、チーズをのせて、軽く焼いてから食べた。パンを食べたあと店へと降り、片付けをした。
「みんなごめんね。今日は暗いお店で留守番みたいになっちゃって」
店内にある花たちにそう言いながら状態を見て、大丈夫そうなので2階へと戻った。
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