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「 ③極道的、試された2人 」
「いらっしゃいませ」
あれから数週間が経った。店の中の花の手入れをしていると客が入って来た。いつものように顔を上げて挨拶をする。
「あんた、真龍組と何の繋がり?」
真龍のようなスーツを着た男が香月に聞く。これは何となく嫌な感じがした。
「えっと、時々お見舞いのお花を買って頂くお客様ですが」
「そう。ちょっと違うように耳に入ってきたもんだから」
「そうですか?」
「邪魔したな」
一方的な会話をして、その男は店の出入口の方へ足を向けた。そのまま出て行くのかと思ったが、ドアの所で止まり言葉を続けた。
「ただの客なら聞いても仕方ないだろうが一応言っておく。あいつの背中を狙う奴は少なくない。気を付けた方がいいですよ」
そう言うと、今度は店を出て行った。
香月だってそれはわかっている。それよりも、知らない人が何でわざわざ自分みたいな素人に言いに来たのかがわからなかった。この事を真龍に言おうか迷ったが、真龍にすれば、こんな事は日常茶飯事の出来事だろうと思い、何も言わないでおいた。
―――〈何か、もう…〉
男が店に来てから数日が経つのだが、あれからずっと人に見られ、つけられている感じがした。それに、節々で目に黒い車が映る。真龍組の人なら声を掛けるだろうし、どう考えてみても、この間来た男以外には考えられなかった。それでも知らん顔をして配達先から店へ戻る。
店へ戻り、カギを開けようとドアの前に立っていると、香月の後ろに車が止まり、2人の男が香月を囲むようにした。
「すみませんが来て頂けますか」
それだけ言うと、香月の両腕を掴み、車に乗せようとした。
「いや、困ります。これから店を開けないといけませんから」
掴まれた腕を思いっきり振り下げ、男たちから離れる。そして車の中からは、この間の男が出て来た。
「そんな事を言ってもいいのですか?」
「それはどういう意味ですか?こんな小さな商店街で暴れてもいいのかとか言いたいんですか?それとも、僕を使って真龍組の弱みを握るとかですか?この間も言いましたけど、真龍さんはお客様です。ただそれだけ。これ以上の事をすれば警察を呼びますよ」
ドラマや映画のようならば、自分と真龍との関係がわかってしまえば真龍の足元が危ないと香月は思い、気勢を張る。
「さすが真龍誠のものだけはあるな」
「だから違いますって。何を根拠に――」
『違う』という言葉を出すと、男はポケットから一枚の写真を香月の前に出した。
「・・・・・」
何も言えずに写真を見る。それはこの間、真龍組に泊まって帰って来た時の写真だった。真龍の懐に収められながらキスをしている写真だった。
「これでも何でもない客だと言うのですか?あんたはこうやって客を取るんですか?随分とアコギなお仕事をしてらっしゃる。私たちもびっくりしますよ」
ニヤリとしながら香月の顔を覗く。異様な雰囲気から、周りの店の人たちが心配そうに見ていた。
「そ、そうです。そうやってお客さんを呼び込んでますよ。この時代、普通にやってたら花屋なんてやっていけませんから。どうですか、貴方も。僕と一晩そうなるのなら今からでもいいですよ。その代わり、花は買って下さい」
泣きそうだった。恐怖と人の視線、わざとらしくないように言えているだろうか。そんなたくさんの事が頭いっぱいになりながらも、涙が出るのを堪えながら言った。
「アハハハ。さすがだな、あんた。俺は、こういうもんだ」
泣きそうになっている香月に、その男は名刺を出した。
そこには、
『真龍組系成場組 組長 成場 汐鷹』
そう書いてあった。
「真龍組…系… …」
「そう。誠の母親方の叔父にあたるもんだ。若い奴らからあんたの事を聞いてたもんでね。どういう奴か試させてもらった」
「試させてって」
成場はさっきまでとは違って笑いながら答えた。
「あんたには誠がどんな風に見えてるかわからないが、立場的には微妙でね。あいつの背中を狙う奴は少なくない。そんな奴の傍にカタギのあんたがいるのは少々危ないからな。この世界で大切なもんを作るのは命を落とすパーセンテージが上がるんだよ。それで、どんな奴なのか確かめさせてもらったって事だ。申し訳ない」
笑っていた成場は、今度は真面目な顔で頭を下げた。
「――そうですよね。わかっています。でも、ずっと、ううん、会った時から、子どもの時から僕は真龍さんを好きだったんだと思います。それでもダメですか?」
香月は成場の話を少し考えてから真剣に言った。言葉にした内容は短く、子どもの言い分のように簡単ではあったが、自分の気持ちを伝えるにはそれの方がいいと思った。
香月の話を聞いて、成場は何か考えているようだった。
「ダメと言いますか。――では、貴方たちの気持ちが何処までか試させてもらいましょう。しかし、すぐに試すのでは意味がない。いつ、どんな事をして試させてもらうかは言いません。それでもいいですか?」
「はい」
「では、そうします。今日は驚かせてしまってすみませんでした。またお会いしましょう」
成場は自分の条件を言い、その場をあとにした。
〈どんな事をされるんだろう〉
いくつか頭で考えてはみたが、本物の極道を未だよくわからないからか、映画で見たいくつかしか思い浮かばなかった。
―――それから何週間か経った頃、真龍組の者が慌てて香月の店に来た。
「香月さん、大変です。若が――」
「真龍さんがどうしたの?」
「若が、隣のシマのもんに撃たれました」
「えっ!」
手にしていたカップを落とす。
「撃たれたって…。で、今は何処に」
「病院にいます」
「わかりました。すぐに支度します。車で待っていて下さい」
今日来ている客は近所の人たちで、香月も真龍組もよく知っている。香月と、時々来る真龍の間柄が気になっていたようで、ある日、香月がコーヒーを淹れている間に真龍が話をしていたのだ。なので今の状況を話し、今日は店を閉めると言って帰ってもらった。迎えに来た者の車で病院へ向かう。病室の前には何人もの組の者がいた。
「香月さん」
「中に入れますか?」
確認すると入れると答えが来たので、香月はそっと入る。ベッドには点滴をしている真龍が目を瞑っていた。
「あ、誠くん…どうして…誰にこんな事されたの?」
真龍の姿を見た香月は、傍にいる宮坂の姿をも見ずに真龍の横に行く。
「誠くん。ダメじゃないか、こんな事されて…」
もっと優しい言葉を言えばいいのに、頭ではわかっていても何となく真龍には違う言い方を言った方がいいような気がして、そう言った。
「田所さん、すみません。私がいながら若を」
「ううん。宮坂さんのせいじゃないですよね。だけど、どうしてこんな事に?」
「各組にはシマと言いまして、縄張りみたいなものがあります。真龍組のシマはこの辺り一帯ですが、夜の営業をいている、言わば大人の店があって、その1店舗に他所の組の若いもんが営業妨害を仕掛けてきたんです。若はそれを確かめに行ったのですが、若が行った時には既に店が荒らされていて。それを止めようと間に入ったら若いもんの1人が銃で若を…」
『銃で』――その言葉を聞いて香月は息を飲んだ。極道も映画でしか知らないのに銃などと現実に存在するのかと思ったら、そのあとの言葉が出なかった。
「田所さん、大丈夫ですか?」
宮坂に何度か呼ばれるも、固まったまま真龍を見ていた。
どのくらいそうしていただろう。宮坂に支えられながらイスに座り、真龍の手を握った。真龍の寝顔が苦しそうではないとわかると、今度は怒りが沸き上がってきた。
「宮坂さん、真龍さんをやったのは何処の組の誰ですか?」
「それを聞いてどうするおつもりで?」
「どうもしない。僕みたいな素人が何かしようにも何もできないでしょ?」
「まあ、そうですが」
香月がいつもと違う声のトーンで聞いてくる。宮坂はどう答えるべきか迷ったが、正直に話した。
「おそらく隣組のもんかと思います。まだ確信はできませんが。それに組のもんと言ってもチンピラに近い下っ端の奴らです」
「そうですか。教えてくれてありがとうございます。僕は帰ります。明日また来ます。何かあったらすぐに連絡を下さい」
「もうお帰りになられるんですか?」
ずっと傍にいると思っていたが、急に帰ると言い出した香月に宮坂は引っ掛かりを覚えた。
「はい。僕がいても邪魔になっちゃうでしょうし」
「まあ、きっと明日までは眠っているとは思いますが」
「はい。じゃあ、帰ります」
香月は宮坂から話を聞いたあと、家へと戻った。宮坂は心配で、組の者に送らせると言ったが、それを断わりタクシーで帰った。
自宅へ戻り、上着も脱がないまま一点を見つめるようにして座る。
〈誠くん、痛かったね。僕が君をやった奴を見つけるから〉
今の香月の頭にはそれしかなかった。決意をしたあと、どう見つけるかを考える。
まずは真龍の病室前にいた者たちの会話を思い出す。
『N町一丁目のキャバの薔薇だろ?やっぱそうだったんだな。女の子たちが言ってたのを俺、いつだか聞いたんだよ』
N町一丁目の薔薇―――
〈そこに行けば店内にいなくても周辺に来るはず〉
まずはそこまで考える。
〈来たのを見てどうする?〉
次に、見つけたあとの事を考えた。
素人の自分が見つけたかと言って、戦う術はない。おそらく一発殴られて終わってしまうだろう。
〈そうだ。写真を撮って、それを宮坂さんへ送ろう。ただ、こういう時はバレてしまう事が多いと思う。映画とかそうだし。じゃあ、どうするか…〉
自分が見つかった時の事をあれこれと考え始めた。
〈まずは見つかってスマホを奪われる。だから撮った先からPC方へも保存できるようにして、それと音声も入れたいから写真じゃなくて動画にしよう。簡単だけど、これで一番大事な事は宮坂さんに見てもらえる。――ああ、そうかあ。見てもらうには僕がそこにいる事を知らせないといけないなあ。行く前に連絡してしまうとすぐに来て、止められてしまうだろうから相手を見つけてからにしよう。僕に何かあった時はPCを見るように言えばいいかな〉
香月は、素人的なお粗末な考えだと思っていても、それでやる事にした。
夜になってから家を出る。車に乗り、例の店のある場所へ行く。大通りの脇にあるコインパーキングに車を停め、そこから歩いて行った。
【 キャバクラ 薔薇 】
もっとギラギラと賑やかな感じだとおもっていたがそうではなかった。店の看板もシンプルなもので入り口も静かなものだった。
〈ここだ〉
世の男たちは、香月の年よりも上であればある程、普通に仕事で利用する店。しかし、香月はこのような所へ出入りする勇気もなく、今初めて入るのだ。店を前にして違う意味で緊張してきた。
〈大丈夫。お金もスマホも持った。黙ってお酒を飲んでいればいい。よし、入るぞ〉
自宅で考えていた時は、店の中へ入る事は考えていなかった。店の近くから見ている事にしていたのだ。しかし、車の運転をしている時に、真龍組の若い人たちと違う組の人たちの見分けができるのかと思った。それに、揉め事が起きた時に自分の目で見なければ揉め事を起こした人物がわからない事に気付いた。それで店内に入る事にしたのだ。
まずは初めての所に入る自分に、大丈夫だと言い聞かせながら店へ入る。
「いらっしゃいませ。当店は初めての方でいらっしゃいますね?」
入ってすぐに、自分の年と同じくらいの男に話し掛けられた。
「は、はい。どんな所かなあと思って来たんですけど、こういうお店は一見さんお断りだったりするんでしょうか?」
男に声を掛けられて〈そう言えば、会員制の所もあったような〉と、テレビドラマで見たものを思い出した。
「いえ、そんな事はありません。2度目以降のお客様は大抵、お好みの女の子を指名しますので確認でお伺いしました。お気に触りましたか?」
「す、すみません。僕の一言で恐縮させてしまって。初めてで何もわからないものですから」
「私の方こそ失礼致しました。初めてという事ですので、少し大人しめの子が付くように致します。お席へご案内致します」
「は、はい」
男の後を付いて行き、案内された席に座る。
〈わあ。フカフカなソファー〉
大きくて赤いフカフカなソファーに、借りてきた猫のように香月はチョンと座った。待っている間に、宮坂宛てにメールがすぐ送れるようにセットする。そして動画にして入り口の方を映るようにした。
〈これでよし〉
準備をしてからしばらくすると、他の女の子とは少し違う、控えめな可愛らしい子が来た。
「いらっしゃいませ。あんりと申します。お飲みものは水割りでよろしいですか?」
「そ、そうですね。でも、あまりお酒に強くないので薄くお願いします」
「はい」
普段なら少し薄めにしてもらえればいいが、今は違う。弱い酒を飲み、酔ってしまっては困る。香月は自分が言った事を笑われるかと思ったがそんな事はなく優しい笑顔で、あんりは香月の言う通りに、かなり薄い水割りを作った。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます。あっ、貴方も飲んで下さい。あと、何か食べるものも」
「では、ウーロン茶をよろしいですか?」
「いいんですか?気にせずお酒をどうぞ」
来る前にネットで調べた世の中の感じとは違っていた。こういうお店ではウーロン茶1杯でも数千円と値が付いているからぼったくられないよう気を付けろと書いてあった。しかし、テーブルにあるメニューを取り、中を見ると、全体的に居酒屋より少し高めな程度。もちろんページの下の方には何十万という数字のものもいくつかはある。そして、最後の方には、
『当店では、適度なアルコールの飲み方をお願いしております。1回のご来店時にたくさん飲まれるより、当店のご利用回数が多くなる事を願っております。お客様にとって楽しい時間である事を、従業員一同努めさせて頂きます。』
と、そう書いてあった。
「これって、店長さんが決めたんですか?」
「これはオーナーさんです。オーナーさん、お客様も私たちも身体を壊しては意味がないと、このようにして下さっています。とても優しい方なんです」
「そうなんですか。良い方で良かったですね」
女の子からの話を聞いて香月は嬉しかった。しかし〈今ここにいるのは楽しむ為じゃない〉と思い返した。
「どうかしました?」
考えている間に自分の表情が変わっていたのだろう。女の子が心配をしてきた。
少し考え事をしていたと話し、軽い世間話をした。すると、店の奥から香月を呼ぶ声がした。
「あれ?香月さん、どうしてこんな所に?若の傍にいなくていいんですか?」
その一言で傍にいた女の子はもちろん、店の責任者のような人が、組の者と香月の両方の顔を見た。
「あの、こちらのお客様は?」
責任者のような人が思わず聞く。
「こちらは若の大切な人です。――香月さん、来るなら言って下されば良かったのに。こんな席じゃなくて向こうに行きましょう」
気を遣ってくれているのはわかるが、今の香月は酒や女の子を楽しむ為に来ているのではない。目的がある。
「すみません。今日はここで。あと、他の人には内緒にして下さい」
「あ~(笑)。わかってますって。香月さんも男ですもんね。若に知られたら困りますもんね。わかりました。誰にも言いません」
「アハハハ~、お願いします」
真龍以外への感情などあるわけもなく本意ではなかったが、自分のやるべき事がバレてはいけない。仕方なくそういう事にした。
しかし、そのあと1人にさせてくれるかと思いきや、結局一緒に座られてしまった。「うん、うん」と頷きながら話を聞く側になっていた。
しばらくすると店の入り口のドアが開く。見ると、ガラの悪いいかにもな男たち数人が入って来た。
「なあ、姉ちゃんが席案内してくれよ~」
「困ります。支配人~」
〈来た。多分、あいつらだ〉と思いつつも、〈あの人みたいな人は支配人って言うのか〉などと、初めての経験からの新しい事を冷静に思いながら、その場でのやり取りを見ていた。
女の子の尻を触りながら歩いているのか、女の子たちがキャーキャーと騒ぎ始め、香月と一緒にいた組の者が席を立ち、言葉を発していた。すぐに宮坂にメールをする。そして、スマホをグラスの所に立てかけ、動画の録画ボタンをタップしてから、騒いでいるその者たちの所に向かった。
〈相手の顔と会話音が撮れればそれでいい〉
それだけを思いながら足を進める。
「こ、香月さん?…」
「何だ、こいつ(笑)」
真龍組の者は香月が怖い顔をして迫って来るので驚き、相手は笑いながら小馬鹿にするような言葉を言っていた。
「貴方たちがやったんですよね?お店に迷惑をかけ、真龍組に迷惑をかけ、そして真龍誠を撃ったの」
いつも笑顔でいる香月からは想像もつかないような表情と空気を纏い、男たちにグイッと顔を近付けた。傍にいる真龍組の者は、今までの香月を知っているだけに、今の香月が纏っている空気に恐怖を感じる程だった。
「はっ?何言ってんだ?おい、おい、この店は客にいちゃもんつけてくるのか?」
相手はテレビドラマや映画のような決まったセリフをわざと大きな声で店内中に響き渡るようにして言う。
それでも香月は平然としたように言葉を返す。
「すみません。しかし、僕も客ですからね。お店どうこうは関係ないんですよ。ただ、このお店は貴方たちのような人が出入りする所ではないものですから。なのに最近、物騒だと思う程、ガラの悪い人たちが出入りしている。しかも昨日は人が銃で撃たれたんですから」
「だから何だ?お前みたいな奴には関係ねえだろう。格好つけて女たちに良いとこ見せようってのか?(笑)。お前みたいな奴は母ちゃんのおっぱいでも吸ってろよ(笑)」
完全に相手は香月をバカにしている。その横で、真龍組の者がオロオロしていた。それでも香月は気にせず、更にグイッと前に出て言う。
「バカにしたければすればいい。ただ、質問に答えて下さい。貴方たちの誰が真龍誠をやったんです?どの人ですか?貴方?それとも貴方?」
どんどん異様な雰囲気を出しながら香月は言う。
「うるせーなー。俺だよ俺。真龍組の若頭だからどんだけ凄いかと思えば、とんだ勘違い。何される事もなく撃たれてやんの。とんだお笑い種だぜ(笑)」
男は少し恐怖感があった。香月があまりに異様な雰囲気を纏っていたからだ。思わず気勢を張るために自分がやったと名乗り出た。出てしまった為にあざ笑う態度をしてみた。自分が真龍組の若頭に手を掛けたとなれば、この世界では少しでも拍が付く。自分がやったと名乗り出た以上、この態度を変える事はできない。自分は凄い奴だと店内にいる者たちに言うかのようにそう言った。
香月は話を聞いて、呼吸を静かに整える。
「そうですか。貴方ですか。――わかりました。では、けじめをつけてもらいましょう」
「けじめ(笑)?」
男は香月のような男に何ができると言いたげな顔をし、
「香月さん、何を…」
真龍組の者は、今まで見た事のない香月に恐る恐る言葉を掛けた。
「ええ、そうです。けじめですよ?この世界でのけじめなんですから、それ相応のものだとわかっていますよね?こういう事です」
香月は、ポケットからスプレーを出し、男の目に向けて発射させた。
「うわぁ、何だこれ。目が、目が痛ぇ~」
スプレーの中身は、香月が自分で作った唐辛子スプレー。それを掛けられた男は暴れていた。
「痛い?どの口が言うんです?真龍さんに比べたら痛くなんてないでしょう。さあ、けじめをとってもらいましょう」
スプレーの次は、自分の懐からナイフを出した。ナイフを持つ手を振り上げ、男めがけて今度は振り下げようとした。
「田所さん、ダメです」
振り下げようとした香月を掴む手。後ろを振り向くと宮坂がいた。
「宮坂さん…」
「田所さん、何してるんですか?」
「何って、真龍さんの仇を…」
香月が答えると、宮坂は首を横に振った。
「ダメです。若はこんな事は望んでいません。さあ、これを手から放して下さい」
宮坂は、香月の手に自分の手を重ねる。しかし香月は、宮坂から手を振り解き、態勢を戻して先の続きをしようとした。
「放しません。だって、こいつが誠くんを。だから放さない。どいて下さい、宮坂さん。僕がこいつを――。うっっ…」
手を振り上げた瞬間、香月の意識が途切れた。
宮坂が前に回り、ナイフを持つ香月の腕を掴み、そして腹のみぞに拳を入れたのだ。
そのあとの事は、もちろん香月はわからない。
どのくらい時間が経ったのか。目の前の暗闇が取れてきて、色んな音が香月の耳に入ってくる。
―――「まったくなあ。香がそんな突拍子もない事をするとは。宮坂、悪かったな」
「いいえ。いつも大人しい方ですから、一度何かが切れると周りの想像を超える事をするんでしょう。それだけ若の事を想っているのだと思います」
「それにしたって…」
「(笑)。まあ、大事に至らなかったので良かったじゃないですか」
「まあな」
―――「誠…くん…」
2人の会話だと気付き、香月は目を開ける。珍しく『真龍さん』ではなく、『誠くん』と言った。
「香、大丈夫か?」
自分の名前を呼んだ香月を心配そうに真龍は見る。
「誠くん、ごめんなさい…」
真龍の声を聞いた香月は何も考える事もなく、その言葉を言った。
「まったくお前は。宮坂が行ったから良かったものの、そうじゃなかったら今頃警察行きだぞ」
「・・・・・」
目が覚め、すぐに真龍に怒られ、仇を取るどころか逆に心配掛けてしまった事に涙が出てきた。
「ごめんなさい」
「まったく、泣くくらいなら…。良かった、お前に何もなくて。本当に良かった」
真龍は痛む身体をベッドから起こし、香月の傍に行くと抱きしめた。
「誠くん…」
香月も真龍に抱き付き、目を覚ましていた真龍の温もりを確かめていた。
「若、私は飲みものを買ってきます」
「ああ、頼む」
傍にいた宮坂は、真龍と香月を2人にしようと病室を出た。
しばらく無言でいる2人。お互い自分のベッドにいる。さっきまでベッドから降りていた真龍は、看護師に怒られベッドに戻ったのだ。
真龍は撃たれた傷があり、点滴をしているので本来なら動けない。香月は気休め程度のビタミン剤入りの点滴で形だけのよう。それでも、精神状態を考慮し点滴をされる事になった。お互いに点滴されたのもあって黙っていた。2人共どう切り出していいのかわからず、自分の点滴が落ちる滴下筒を見ていた。
最初に口を開いたのは香月だった。
「真龍さん」
〈また真龍さん呼びか〉
時々『誠くん』と呼ぶものの、我に返ると『真龍さん』になる。真龍はそれがどうしても気になる。周りを気にせず、香月にはいつでも名前で呼んで欲しかった。それでも普通に答える。
「ん?」
「ごめんね。だけど許せなかったんだよ。だって、僕の真龍さんに――」
香月が半泣き状態で話している間に、真龍はふと思い出す。
あれは、真龍がセンターを出るずっと前。真龍が幼稚園の年長くらいで、香月が年少くらい。
『お前らって親に育てられた事、一度もないんだってな。生まれた時から捨て子なんだろ?』
真龍よりも少し大きい子たちが揶揄うように言ってきた。香月は年少くらいなので、まだ3歳くらい。何を言われているかもわからなかった。ただ、意地悪をされている事だけはわかっているようだった。まだ小さい香月を真龍はいつものように、庇うようにして香月の前にいた。
『お前らだってあんま変わんねーじゃん。少し親といたって、でもここにいんじゃん』
真龍のその一言で取っ組み合いのケンカになった。それを見ていた香月が突然、砂場の砂を小さなバケツに入れ、そして真龍とやり合っている子にその砂を掛けた。それを止めようとする他の子たち。しかし、香月も負けてはいなかった。
『僕の誠くんに何するの~。ダメ~』
そう大声で叫びながら、空になったバケツを振り回し、バシバシと真龍以外の子を叩いていた。
室内でそれを見た先生たちが慌てて止めに入った。香月は息が上手くできない程泣き、しゃくりあげながら『僕の誠くんに意地悪しないで』と、ずっと言っていた。
〈そうだった。昔からこいつは俺の事になると暴れるんだったな〉
そう思うと、真龍は「フフッ」と笑っていた。
「ああ、わかってる。ありがとうな。――でもな香、相手は極道だ。ヤクザだ。しかも下っ端の奴らだから極道とは名ばかりでチンピラだ。血の気の多い、ただ、上に認められたいだけの奴らなんだよ。人の命も考えられねえ奴らだ。そんな奴らに、もしお前が何かされりゃあ、俺はこの街ごと火だるまにして燃やしてやる。そして俺もその火の中に生きたまま入る」
「誠くん…」
「だからな香、お前は今回みたいな事すんな。俺と一緒にちゃんとこの一生を全うしてくれ」
〈一生を全う…〉
お互いベッドに横になっているので、はっきりとは顔が見えないが、いつもよりも静かなトーンの低い声で話す真龍は、冗談ではなく本気でそう言っているのが香月にも理解できた。
「うん。誠くんが火の中に入ったら困る。僕、ちゃんと誠くんと生きていく」
「ああ。そう言ってくれると安心する」
真龍は、香月の言葉を聞くと安心したのかスース―と寝息を立てていた。それに気付いた香月も目を瞑って眠りに就いた。
―――香月も一緒に入院をして3日が経った。ベッドから自由に動けるので真龍の世話をする。そこに、以前店に来た成場が病室に入って来た。
「誠、具合はどうだ」
「わざわざすみません。大した事はありませんが退院の許可が出なくて、この有様です」
「そうか。まあ、普段忙しいんだからたまにはいいだろう。ゆっくりしろ」
「ありがとうございます。で、今日は見舞いだけですか?何かあったんですか?」
成場は組の誰かが入院しても、病院には顔を出さない事で有名だった。その成場が来たのだ。ここに来る程の何かがあったのかと真龍は気になった。
「いや。ここに来たのはお前だけにじゃないんだよ。まさかこんな事になるとは思わなくてな。――今日来たのは2人に謝りに来た」
「叔父貴、香の事を知ってるんですか?」
「ああ。理由あってな。ただ、それがこんな事になった。俺の手違いで2人を病院のベッドに寝かせる事になった。申し訳ない」
2人のベッドの間で、成場は深く頭を下げた。
「いったい、どう言う事なんです?」
病院に来る事などない成場が突然現れ、自分と香月に頭を下げる。その姿を見ている真龍には話が見えない。しかも、香月の事を知っているのだ。
「実は、今回の件は俺が仕組んだ事なんだよ」
「はい?」
成場の言葉に2人は驚き、真龍は低く響くような声で聞き直した。そして、香月の口からも真龍が予想をしていないものが出る。
「それはどういう事なんですか?まさか、これが先日言っていた試す事?」
香月は店の前で言われた事を思い出す。自分と真龍の気持ちを試すと言っていた事…。
「試すって何だよ。俺たちの何を試すんですか」
香月と成場の話の内容が真龍にはわからない。自分の知らない何かに対してモヤモヤした胸が気持ち悪かった。
「俺は田所さんの店に行った。どんな奴なのか見に行ったんだ。お前の組の若いもんたちの話を聞いてな。カタギのどんな奴がお前の情女なのか、軽い気持ちなのか遊びなのかを見に行ったんだ。その時に田所さんには『いずれ2人の気持ちを試す』とそう言った。ただ、すぐに事を動かせば試している事がわかってしまう。だから少し時間を空けてから動かした。軽く試すつもりが、あのバカ共、俺の言い付けを無視して銃なんか使いやがった。それでも、お前のケガも大した事ないって言うから、知らん顔してやり過ごそうとした。しかし、田所さんが仇を取る行動に出たと聞いてな。まさか花屋をやっているような大人しそうな奴がそんな事をするとは思わなかったよ。話を聞いた時はさすがの俺も驚いた。ケガがなかったとは言え、黙ってこのままって言うのはマズいと思ってね。それでこうしてここに来たというわけだ」
理由を述べた成場は香月の方を向き、申し訳なさそうにしていた。その後ろのベッドにいる真龍は、成場の話を黙って聞いてはいたが、話が終わると低い声で怒りを面に出した。
「叔父貴、それはないでしょう。いくら叔父貴でもカタギのこいつを試す内容としてはどうかと考えなかったんですか?俺は何をされても、この世界のもんですからいいですが、こいつは違う。自分の身近にいるもんが刺されただの撃たれただのとなれば、どんな思いをするかわかるでしょう。それをこんなやり方、あんまりじゃないですか」
真龍は、この成場をとても信用していた相手だと香月は思った。だからこそ余計に怒っているのだと。
「だから謝りに来たんじゃねえか。ただな、この世界じゃこんなの当たり前みたいなもんだ。そんなに心配なら傍に置いとくのは止めるべきだろう。田所さん、あんたはどう思う?俺らの世界では今回のような事は当たり前にある。もし、それが耐えられないんなら誠を諦めてはくれないだろうか」
「おい、成場!」
いつもは『叔父貴』と呼ぶ真龍が、成場の言葉を遮るようにして名前で呼んだ。しかし、それを成場は一言キツく言って真龍を黙らせた。
「お前に聞いてねえ。黙ってろ。――田所さんの気持ちを教えてくれ」
香月に成場と真龍の2人の視線が刺さる。香月は少しの間、下を向き、深呼吸を1つした。顔を上げ、成場の顔を真っすぐ見る。そして言う。
「僕は、20年も真龍さんを忘れていました。でも、それは普通の忘れたではない。真龍さんと別れてしまったから、その寂しさから忘れた。それ以上、寂しくならないように僕の知らない、僕自身がそうしたんです。そのくらい一緒にいたかった。そしてやっと会えた。会えて思い出した。――もう大切な人の事を忘れるなんてしたくない。大切な人と離れるなんてしたくない。真龍さんの仕事はちゃんとはわかりません。でも、今回のような事がたくさんあるのはわかりました。僕はカタギだけど、それでも一緒にいたい。もう離れない。誰に何を言われても離れません。それじゃダメですか?花屋の僕じゃダメですか?」
香月の話を聞いて、成場は更に言う。
「ダメだと言われたらどうする?」
香月は考える間もなく答えた。
「花屋を辞めます。カタギも辞める。背中に入れ墨だってします。僕も真龍さんと同じヤクザの世界に入ります。真龍さんといられるなら何処にだって行きます」
香月の言ったあとに真龍も言う。
「成場さん、香をこっちの世界には来させませんよ。俺が行きますよ。両手足を取られても構わない。落とし前つけて俺がカタギになります」
2人の話を聞いたあと、成場は目を瞑った。少し考えている様。考えがまとまったのか目を開けた。
「2人に言っておく。極道とカタギが一緒にいるという事は並大抵の事じゃない。田所さんは変な奴らにいつも見られ、ちょっかいを出される。今回のような事もある。誠、お前はそんな奴らが田所さんの周りをいつもウロつかれるのもわかっているか?それに、お前が傍にいりゃ、田所さんも店も謂れのない事を言われたり、嫌がらせされたりする事もある。お前の負担は大した事ないだろうが田所さんは違う。極道とカタギの両方からされるんだ。それでも一緒にいるのか?」
「います。一緒にいます。嫌がらせなんて子どもの頃からされるのが当たり前だったから慣れています。そんなの気にしません。そんなのより、真龍さんと離れる方が嫌です。それに、商店街の人たち、真龍組の人は良い人だって言ってます。昔から商店街で買い物してくれるって。僕、そんなの全然知らなかったんです。みんな真龍さんの顔、知らなかったから…。でも、真龍さんが来るようになって、それで色々知ったんです。だから大丈夫です」
香月は成場の目を見て言った。どんな事になっても真龍とは離れない。そう自分の中でも再度、決意をしていた。
「何があっても俺が守ります。極道からもカタギからも。香を1人になんてさせない。俺からは離しませんよ」
真龍も香月同様、成場の目を見てそう言った。
「ただな誠、お前が思っている以上に田所さんに負担が掛かるかもしれないんだぞ。それだけは覚えておけ。わかったな」
「はい」
「じゃあ、俺は行くぞ。2人共、今のうちに養生しとけよ。退院したら若いのが、あーでもねえ、こーでもねえと揶揄い半分で騒ぐぞ。今のうちに静かにいる事だ」
成場が言っている事を香月は理解できる。真龍が大切だからこそ敢えて言うのだろう。そう思うからこそ、これからの真龍との生き方を大事にして行こうと思っていた。
「あっ、はい。ありがとうございました」
「そうだ、田所さん。――誠は、まだまだ血の気が多い。荒ぶらないようにしっかりと手綱を握ってて下さいよ」
「えっ?あっ、はい。わかりました」
「じゃあ、2人共お大事に」
成場は最後に香月の耳元で一言言い、病室を出て行った。それを見ていた真龍は、香月をジッと見ている。
「真龍さん?」
もの凄い視線を感じる香月。真龍の方を見る。
「今、何言われたんだ?」
「とくに―――」
香月が言葉を濁しながら3文字分言った途端、真龍の言葉が来た。
「とくにって感じじゃなかったろ。あんなにくっついて何を言われたんだ」
〈ん?あれ?成場さんが言った内容の事で怒ってるんじゃない?〉
成場が病室を出たあと、真龍の様子が変わった。余計な何かを言って、真龍が心配したのかと思ったが、どうも違う気がした。
「話の内容は、真龍さんを頼むって感じだよ。それ以外は」
まずは、話の内容を正確に話す。
「そんな内容で何であんなにくっつくんだ、あの人は」
香月の話を聞いてすぐに、小声で真龍がボソッと言った。その言葉は香月にも届く。
〈やっぱり話の内容の事で怒ったんじゃないんだ〉
香月はベッドから出て、点滴台を転がしながら真龍の傍へ行く。
「香、歩いたらダメだろ…」
「僕は平気。ケガしてるわけでも病気でもない。だから平気。ここ座るね」
真龍のベッドに座った。ゆっくりと真龍の胸の上に頭を置いて、寄り添うように上半身を横にした。
「良かった。こうして誠くんにまた触れて。誠くんが撃たれたって聞いた時、また1人になるのかって、また誠くんと離れちゃうのかって、そう思った。それでね、ベッドにいる誠くんを見た時、安心したのと同時に身体が熱くなった。誠くんにこんな事した奴を許せないと思った。そうしたら、誰かに教えてもらったわけでもないのに〈仇を取る〉ってそう思った。普段の僕は、そんな怖い事思わないのに」
「眠れる獅子が起きたって感じだな」
「眠れる獅子?」
「ああ。普段は大人しくて静かな奴の中にも獅子のようなものが眠っていて、それを起こすと今回の香のようになるって事だ」
「そうかあ。僕にもそういうのがあったんだね」
「お前には昔からあったぞ」
「えっ?」
「お前が3歳くらいの時だ――」
真龍はさっき思い出した幼い頃の事を話し始めた。
「――笑い事じゃないよね。でも、僕は誠くんに何かあると、普段の感情とは違う感情が生まれる。それは確か。そんな僕、嫌?」
香月は話を聞き、自身を分析したあと、不安そうに真龍に聞いた。
「嫌になんかなるわけがない。寧ろ嬉しい。ただ、相手が相手だけにな。これからは、お前の獅子が目を覚まさないようにする」
「うん」
真龍の言葉に何か安心できるものがあったのか、香月は嬉しそうに返事をした。そんな香月の顔を見た真龍は、成場への嫉妬心は消えていた。そのあとも成場の話は出なかった。
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