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航はじっと灰原さんのことを見つめながら、もう一度「由紀乃ちゃん」と言う。灰原さんはもう一度こくりと頷くと「航くん」と呼んだ。
月明りは、まるでスポットライトのように、そこにだけ光を当てているようだった。映画のワンシーンを見ているような、そんな気分に陥った。
航の透明に近かった灰原さんに淡い記憶が、今、色濃く浮かび上がったのだ。
「どうして……」
「私、ずっとここにいた。ずっと、航くんのこと見てたよ」
「10年も?」
「うん」
航は涙を拭って、破顔すると、その笑顔は今まで見たどの笑顔よりも輝いていた。
「どうして、忘れてたんだろう……今まで」
「西本さんが言ったように、私のことがショックだったんだと思う。あの時、私たちまだ小3だったから」
航は何度もこくこくと頷くと、また涙を拭って、鼻を啜る。同じく灰原さんも涙を拭って、とびきりの笑顔を浮かべていた。死んでしまった人とはもう話せない、そう思うのが当たり前だ。幽霊が視える僕たちのような人を除いては。
だから、視えない人にとって、死んでしまった人とこうして話せることは、それが大切な人ならば幸せな感覚になるんだと思う。実際、僕も初めて幽霊が視えるようになったときは、感動した。そしてその力に縋って、現実から目を背けた。
「ずっとここにいたの?」
「うん、地縛霊だから動けなくて」
「どうして、大人になってるの?」
「幽霊って成長する見たい」
灰原さんが面白そうに笑いながら言うと、航も「そっか」と言ってくすくす笑う。すると、灰原さんが手元に持っていた写真を航に渡すと、航がそれを掴む。
「この写真……」
「私の宝物」
「宝物?」
「うん」
灰原さんが恥ずかしそうに笑いながら言うと、航もまた同じように恥ずかしそうに笑った。
「私ね、航くんがあの日プラネタリウムに誘ってくれて、嬉しかった」
「本当に?」
「うん。だって、航くんのこと———」
「僕、由紀乃ちゃんが好きだよ。僕の初恋。由紀乃ちゃんのことが思い出せなくても、その気持ちは忘れてなかった」
「……私も航くんが初恋です」
航が灰原さんに向かって腕を回すと、灰原さんも航の背中に腕を回した。決して触れることは出来ない。それが幽霊と生きている人間の境目だ。触れたくても、触れられない。なんて悲しい運命だろう。でも、そうやって分けないと、きっと僕たちは幽霊に依存してしまうのだろう。
「あれ、由紀乃ちゃん、透けて……」
視ると、灰原さんは月明りに照らされながら、どんどんと体が透けていた。幽霊が成仏される時に起こる出来事だ。
航は焦ったように、灰原さんを視るが、灰原さんはただ微笑んでいた。
「もう、行かなきゃみたい」
「まだ会えたばっかなのに?」
「うん、迎えが来てる」
そう言って灰原さんはベンチから立ち上がると、月明りに導かれるように歩いていく。その姿に、僕はかぐや姫を連想させた。悲しきかぐや姫は、月の迎えに連れられ、月へと戻っていく。それと灰原さんは、よく似ていた。
「由紀乃ちゃんっ!」
航が立ち上がって、灰原さんの元へと向かうと、もう一度ハグをする。どんどん透明になっていく灰原さんに縋るように、航がハグをした。
「……また会える?」
「会えるよ、絶対に」
「本当に?」
「うん、本当に」
航は灰原さんから離れると、必死に笑顔を取り繕って、空へと吸い込まれていく灰原さんを視る。
「今度は、絶対にプラネタリウムに行こうね」
「うん、絶対に行く。何があっても、航くんと行く」
灰原さんも笑顔を取り繕って言うと、航に一枚の写真を渡した。それは灰原さんが宝物だと言っていた写真だった。
「航くんが持ってて」
「いいの?」
「うん。私の代わりに大事にしてほしい」
灰原さんがニコッと笑うと、航は写真を掴んで、大きく頷いた。
「来世で、また会おうね」
「うん、絶対に、何があっても会う」
灰原さんは僕と真昼に目を向けると、綺麗に一礼した。それから顔を上げると、月明りに照らされて、光の如く空へと消えて行ってしまった。
航はその場に崩れ落ちると、月明りに優しく照らされながら、嗚咽混じりの涙を流す。僕はそっと歩み寄って、優しく背中を撫でると、航がぎゅっと写真を掴みながら涙を落とす。
透明に近い淡い記憶は、最後には色濃く花開き、航の真っ白なキャンバスに何色もの色を咲かせた。記憶というものは、歳を取るにつれて、薄れていく。でも、この光景は一生色あせないだろう。これからもずっと、航の心に残り、航を導いてくれる。
「来世で、な」
僕は優しく背中を撫でながら言う。航は何度も縦に頷くと、写真を強く握った。
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