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僕はカフェを後にすると、家に帰る方角とは反対にある大学への方角を歩いた。今家に帰れば真昼に会ってしまう。今はちょっと、真昼には会いたくなかった。真昼に会ってしまえば、また真昼を泣かせてしまう、後悔させてしまう。そう思ったからだ。
僕は月明かりに照らされながら、大学への道を歩くと、幸い開いていた正門を潜って中に入る。ちらほらと灯が見えたが、外は誰一人として歩いていない。冷たい風が僕の頬を刺すように吹き付け、僕は小さく身震いした。
そこで、一人の少女を見つけると、僕はそっと彼女に歩み寄る。
津崎さんが、月を眺めながら、一筋の涙を流していた。僕はそれに気付くと、一度立ち止まって、でもまた歩き出す。
「津崎さん」
「あっれー、海斗くん! どうしたの?」
津崎さんが急いで涙を拭うと、僕を見るなり笑いかける。僕は彼女の隣に腰を下ろすと、津崎さん同様、月を見上げた。満月が優しく僕たちを照らしていた。まるで、心に出来た傷を癒すかのように、そっと月明りを零していく。
「津崎さん、河上さんに、手紙を書いてみませんか?」
「手紙?」
「手紙なら、きっと河上さんも読んでくれるはずです」
僕は彼女に微笑を浮かべると、彼女が次に言われるであろう言葉を想像して、体を強張らせる。でも、ここで立ち止まっていたら僕はまた後悔する。後悔が生まれては、僕の心を蝕んでいく。
「津崎さん、貴方は幽霊です。貴方が高校3年生の時に、貴方は交通事故に遭って亡くなっています。無視されているんじゃなくて、貴方が幽霊だから、気づいてもらえないんです」
覚悟をしていたのか、津崎さんは僕が言い終えるのを見て、必死で潤む目を堪えている。でもどうしても堪えきれずに、顔を歪めて静かに涙を零した。
「何で、そんな酷いこと言うの?」
「事実を受け止めてください。それが、津崎さんの為です」
痛む心に見向きもせずに、僕は言葉を続けると、津崎さんが涙を拭って、息を吸っては吐く。真昼の時ほど、感情的にはなっていない様子だ。
「幽霊は誰にも視えない。ごく稀に視える人がいるだけで、誰にも視てもらえない。気づいてもらえない。それが例え家族でも。それが幽霊の運命。ずっと、幽霊であることに背けていたら、それは酷だ。自分も、周りも。幽霊にとって、何年もこの現世にいるのは酷なんだ。さっさと成仏して、あの世に行かせた方が、幽霊の為なんだ。そう言われました」
僕は真昼が言ったことをなぞると、津崎さんが「妹ちゃん?」と落ち着いた口調で言う。僕はこくりと頷くと、「そっか」と小さく呟いた。
「津崎さん。貴方がこの世にいる理由は、夏祭りで河上さんに告白の返事が出来なかった、からですか?」
津崎さんが僕を見て、微笑すると頷いた。
「そうだよ。矛盾してるよね。返事したくないのに、後悔してる」
恋というものは、矛盾だらけだ。だから難しいし、辛い。まだ大した恋愛をしていない僕が言えることではないけれど、それでも痛いぐらいに分かる。
「僕が津崎さんの未練を断ち切ります。告白の返事、手紙で伝えてみませんか?」
「……うん」
津崎さんは立ち上がると、僕も立ち上がる。津崎さんの顔は、前よりも遥かに凛々しく、成長したような顔つきになっていた。
「優斗に会えるの、最後だから、可愛い手紙にしないとね。よし、海斗君! 今から可愛い便箋を買いに行くぞ!」
津崎さんは元気よく言うと、僕は「はい」と言って津崎さんと一緒に大学を出る。月明かりが僕たちを照らしながら、まるで祝福を述べているようだった。
「僕にできることなら、お手伝いします」
「頼もしいね、海斗くん」
僕たちは大学を出て、近くのショッピングモールに寄ると、雑貨屋に入って便箋を選ぶ。津崎さんは真剣に便箋を選んでいて、本当に大切にしていたんだなと思った。これが、河上さんに会える最後のチャンスだから、絶対に後悔したくないという思いがひしひしと伝わってくる。
河上さんは、津崎さんの手紙を読んだとき、どんな反応をするのだろう。彼は、津崎さんを思い出すと泣いてしまうから、名前も呼ばずに、君とか彼女とかと呼んでいると言った。だから、きっと手紙を貰ったら抑えきれずに感情が外に出てしまうのだろう。
河上さんは、そうしないと津崎さんの死を受け入れることが出来ない。でも、きちんと受け入れることが出来ている。受け入れたくないはずなのに、受け入れている。僕とは違う。
僕は、未だに真昼の死を受け入れられずにいる。僕もそろそろいつまでも受け入れずにいるのは止めにしないといけない。いつまでも、視えるということに対して依存してはいけない。
「海斗くん、これにする!」
津崎さんが笑顔で、一つの手紙キットを指差すと、僕はそれを取ってレジに向かった。隣ではワクワクした表情というよりかは、覚悟を決めたような表情を浮かべた津崎さんが、じっと店員が会計を済ませるのを眺めている。
「ありがとうございましたー」
僕はレジ袋に入った手紙キットを受け取ると、ショッピングモールを後にし、駅へと向かった。その間、津崎さんが声を発することは一度も無かった。
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