19人が本棚に入れています
本棚に追加
春がやって来る。桜が咲き始め、風が強くなり、冬よりも気温が高くなる。気づけば、僕ももう大学2年生を終えて、3年生に進級する歳になった。3年生になれば、さらに課題は難しくなるし、忙しくなる。できるなら進級はしたくないけど、いつまでも甘えていたらずっと卒業できないまま死んでしまう。
「なぁ、春休み何する?」
航がいつもの調子で、春限定のメニューを食べていると僕は「んー」と考える。春休みは、なるべく外に出たくない。そもそも僕はアウトドア派ではないけど、でも今回出たくない理由は、隣にいる真昼が原因だった。
航は僕の隣に座る真昼に全く気付く様子もなく、僕に話しかけている。
「ごめん、春休みは用事があるんだ」
「ずっと?」
「ずっと。家族の用事でさ」
「ああ、そっか……」
僕はこくりと頷くと、ちらっと真昼の方を視る。真昼は特に顔色を変えることもなく、僕たちの会話を聞いていた。
僕には幽霊が視える。
そして、その幽霊とは隣に座る真昼だ。僕の妹。もうすぐで一周忌を迎える。
「じゃあ、仕方ないよな」
「ごめんな」
航は静かに首を横に振ると、辺りに気まずい空気が流れる。久しぶりに真昼の話を、遠まわしながらもした気がする。家でも、真昼が死んだことは触れてはいけないものとなっていた。母も父も、まだその事実を受け入れられていないようだった。そして、僕も。
「あ、僕まだ課題やってなかった。ちょっと、やってくるわ」
「うん」
気まずかったのか、航がお盆を持って立ち上がると、食器返却口の方へと足早に向かってしまう。真昼の姿には一向に気づかずに、ただ時間だけが流れた。
『私の未練、断ち切ってくれる?』
津崎さんを空に送って、真昼から言われた言葉が脳裏に焼き付いて離れなかった。あの日から、季節も冬から春に変わって大分時も経ったが、あの話は一向にしていない。ただ変わった事と言ったら、真昼が制服を着て学校に行くフリをすることを辞めたことだ。そして、僕についてくることが多くなった。
まだ真昼が生きていた時には、絶対に起こらないことだ。信じられないことだった。真昼と僕が、こんなにも親しくすることはもう無いと思っていた。僕たちは仲が悪い。喧嘩も毎日のようにしていた。ほとんどが小さなことだけど、僕たちには大きく感じられた。でもそんな些細な喧嘩で、僕たちの関係は簡単に崩れてしまう。「家族」という肩書があるのに、その関係は「友達以下」と言っても良かったと思う。
でも、だから真昼が事故に遭って死んだと聞いた時は今までの僕の行いを全部悔いた。どうして喧嘩してしまったのだろう。どうして僕はあんな酷いことを言ってしまったのだろう。僕は、何て最低な人間なんだ。
自分を責めた。責めて、責めて、責めて。そして気づいたら、目の前に真昼がいた。幽霊の真昼がいた。
最初は信じられなかった。真昼がいる。死んだはずの真昼が目の前にいる。これは夢だと思った。僕は自分の目を疑った。死んだはずの人間が目の前に現れるはずない、と。でも、それが幽霊の真昼だと分かった瞬間、なぜか僕はそれを受け入れた。幽霊が視えること自体が、僕にとってイレギュラーなことなのに、僕はそれをすんなりと受け入れた。
そして、過去を見ることを止めた。僕は、都合の良いように過去を脳内で変えた。
真昼は死んでなんかない。事故に遭って、入院して、退院した。死んでなんかない。ただ骨折しただけ。それだけ。真昼は死んでない。
だけど、それが真昼を苦しめていたことを僕は知らなかった。真昼は僕を悲しませないために、生きている人間のように振舞った。生きている人間を模倣した生活を送った。普通に制服を着て、学校に行って、テレビも見て、勉強もして。それら全部が、真昼にとっては酷だった。
模倣するたびに、真昼をずるずると現世に留まらせてしまった。
『幽霊は誰にも視えない。ごく稀に視える人がいるだけで、誰にも視てもらえない。気づいてもらえない。それが例え家族でも。それが幽霊の運命。ずっと、幽霊であることに背けていたら、それは酷だよ。自分も、周りもッ! お兄ちゃんは、何も分かってない。幽霊にとって、何年もこの現世にいるのは酷なの。お兄ちゃんも分かるでしょ? 灰原さんの時だって、あんなに苦しんでたじゃん。さっさと成仏して、あの世に行かせた方が、幽霊の為なの!』
久しぶりに見た真昼の涙。真昼の怒った顔。怒った声。真昼が全身全霊で僕にずっと伝えたかった言葉。
「お兄ちゃん?」
真昼が不思議そうに僕の顔を覗くと、僕は我に返って苦笑いを浮かべながらお盆を持って立ち上がった。真昼も同じく立ち上がり、僕たちは食器返却口へと向かう。騒がしい食堂が、僕がこれ以上考えることをノイズとして遮ってくれた。騒がしさも、時には重要なのかもしれない。
「ねぇ、お兄ちゃん」
僕たちは次の教室へと向かう途中、真昼の方から話しかける。真昼は顔色を一つも変えることもなく、歩き続けていた。
「私の、未練。いつになったら断ち切ってくれる?」
教室の前まで来ると、真昼が足を止める。真昼はじっと僕のことを見ると、僕は何て言えばいいのか分からず、ただ黙っていた。
真昼の未練に心当たりはある。だが、それを僕ができるとは思わなかった。津崎さんを空に送ったあの日、真昼の未練を断ち切ると決心した。それなのに、僕は怖気づいて出来ずにいる。真昼はずっと待っているのに、僕は未だに何もできない。ただ時間が流れるだけ。
自信家の奴らを模倣すれば、僕でも真昼の未練を断ち切ることができたのだろうか。すぐにでも実行し、真昼をあの世へ送ることができたのだろうか。
真昼の未練。それはつまり、僕たち家族が真昼の死を受け入れること。
ずっと拒み続けていた事実を僕たちが受け入れない限り、真昼が成仏されることは絶対にない。
最初のコメントを投稿しよう!