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「真昼を成仏させるには、僕たちが真昼の死を受け入れないといけないんだ」
「真昼の死を?」
僕はこくりと頷くと、真昼を視る。真昼は緊張した面持ちで、じっと話を聞いていた。僕はふととある考えが頭に浮かんで、「あ」と言う。父は首を微かに傾げると、不思議そうに僕を見た。
「真昼から話を聞いた方が早い」
「え……」
真昼は僕を見ると、こくりと頷く。吾妻さんの時に一回憑依というものはどういうことなのかを学んだし、コツも掴んだから真昼でも僕に憑依できると思う。真昼は僕にそっと近づくと、僕は目を瞑る。
次に目を覚ました時には、僕の体は真昼によって操られていた。
「お父さん……」
真昼の言葉が僕の口から零れて、その台詞を聞いた瞬間、父が泣き崩れた。顔がぐしゃっとなり、一筋の涙を流す。それからすぐに何滴も涙がポタポタと目から零れて、「真昼……?」と弱々しい声で真昼を視た。真昼はこくりと頷くと、泣きそうになる。
自分の体なのに、そうじゃないように感じる。
「お父さん、信じてくれてありがとう……」
真昼はか細い声で言うと、父は何度も小動物のようにこくこくと頷く。それから涙を拭って真昼を抱きしめた。真昼は父の背中に腕を回し、涙を零す。温かい、心地よい体温が二人を包んだ。
「当たり前だ、それが親だろう?」
父は鼻を啜りながら、強く真昼を抱きしめるとしばらく僕の部屋の中で泣く声が充満した。
父と真昼が抱擁を交わし終えると、赤く腫れあがった目を何度も瞬かせる。真昼も涙を手で拭うと、破顔した。
「お母さんにとって、私の死を受け入れさせるのは酷なことだと思う。だって、お母さん私が死んでからも毎日のように食事を作って、私が生きているように振舞って。だからお父さんもお兄ちゃんも、お母さんを悲しませないために模倣してた」
父は深く頷くと、真昼は手のひらを広げてまじまじと見つめる。それから、ぐっと力を入れて拳の形にすると膝の上に置いた。
「でも、私も辛い。幽霊になって、もうすぐで1年になる。色んな幽霊に会って来た。色んな幽霊が成仏するところを視てきた。それぞれが辛い思いをしているのを視てきた。幽霊って視える人以外には視えないんだよ。空気と一緒で、いるのにいない人物として扱われる。でもそれが幽霊の運命。仕方ないんだよ」
真昼が悲し気に呟くと、また零れ出した涙を拭って、天井を見上げる。一呼吸おいて、また話を続けた。
「でも辛いのはそこじゃない。気づいてもらえないことは辛いけど、でも一番辛いのは死んだのに生きているように扱われることだよ。いつまでも時間が動かないまま、止まっている姿を見ること」
父は潤んだ瞳で僕ではなく真昼を視ると、鼻を啜る。
「私の唯一の未練が、これだよ。これさえ断ち切れば、あの世に行ける。私はいつまでもここにはいたくない。あの世に行って、生まれ変わって、また生きている身として生まれたい。どうか、協力してください」
真昼は父に向かって頭を下げると、「お願いします」と苦しそうに言う。
父は焦ったように真昼の背中を触ると「顔を上げて」と言った。真昼は顔を上げると、潤んだ瞳から涙が零れ落ちる。
「俺ができることなら、何でも協力する。頭何て下げなくていい。家族だろう?」
「お父さん……」
真昼が死んでから、父は「家族」という言葉をキーワードに生きているように思える。あれは事故なのに、真昼が死んだのは自分のせいだと思い詰めているようだ、と今日父と話して思った。
「母さんのことを俺に任せろ」
父はがっしりと真昼の肩を掴むと、清々しい笑みを浮かべる。それは真昼が生きていた時を模倣していた父の姿ではなく、今を生きている父の姿だった。真昼は小さく「ありがとう、お父さん」と言うと、父はポンポンと肩を叩き、優しく笑う。部屋にあった緊張感は、いつしか緩んでいて、そこにはただ温かい光が差し込んでいた。
***
リビングを空いているドアの隙間から覗き込むと、父と母が向い合せに座っており、そこには沈黙が流れていた。気まずい雰囲気を僕たちは垣間見ながら、じっと誰かが口を開くのを待っている。母の顔は穏やかだった。対して父は、口を堅く噤んでおり、緊張した面持ちだ。
「何、話って?」
母は穏やかな声で言うと、微笑みながら父に言う。父はさらに緊張感が増した面持ちをすると、ふーっと息を吐く姿が見えた。
「3月25日、覚えてるか?」
「3月25日? 何があったかしら」
母は一瞬顔を歪めたが、すぐに顔を取り繕い穏やかな顔でニコニコ笑った。その笑みの裏に悲しみが隠されていることは容易なことだった。
「真昼が」
「ああ、真昼が事故に遭った日ね。ビックリしたわ、まさか事故に遭うだなんて。でも骨折だけで済んで本当に良かった」
母は、妄想の世界の出来事を話すと父は暗い顔をする。そこだけ光と影が生まれたように、大きな溝が僕には見えた。
「それは違うよ」
父は冷静な声で言うと母はまた顔を歪め、でもすぐに顔を取り繕う。いつまでも、いつまでも、母は真昼が生きていた時の自分を模倣している。過去の自分を模倣している。僕たちは、ずっと模倣していた。さよなら、と言えずにただただイミテーションの家族を演じていた。
でもそれが、今日壊れる。
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