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「それは違うよ」
父は冷静な声で言うと、母は一瞬顔を歪めただすぐに取り繕う。その笑みには、冷たさを感じた。これ以上言うな、という圧も感じれた。もちろん父もそれは感じ取っているようで、額からは冷汗が流れている。袖で汗を拭うと、改めて母を真っすぐ見つめた。
「真昼は死んだ」
「死んでないッ」
母は語尾を強めて言うと、父はびくっとして肩を震わせる。母は、父を相手を石にでもしてしまいそうなほどの目力で睨むと、もう一度「死んでないッ」と言う。
「でも」
「どうしてそんな酷いこと言うの?」
母は父の話になんて聞く耳を持たずに、父の言葉を遮ると前のめりになる。父は少しのけ反ると、二人の絆には大きな亀裂が入ったように、バキッという音が聞こえた。真昼はハラハラした様子で二人を窺っている。
「海斗もそんなこと言ったけど、真昼は死んでないでしょう? どうして真昼を殺すの。あの子は生きてるじゃない」
「死んだんだ」
父は声を張り上げて言うと、母はゆっくりと首を横に振って、さらに顔が険しくなる。それでも父は負けじと母を睨むように見た。
「お兄ちゃん、お父さんたち大丈夫かな……?」
「大丈夫だよ、きっと」
僕は真昼を落ち着かせるために、嘘を吐く。この状況は、とても大丈夫とは言えない。真昼にもそれは伝わっているようで、下唇をぎゅっと噛みながら二人を眺めていた。
「あの日、骨折なんて真昼はしてない。事故に遭って、搬送された病院で死亡が確認された。俺たち二人も、それを見たじゃないか。霊安室で真昼が眠っている姿を、この目で見たじゃないか」
「いいえ、そんなの貴方の妄想よ。真昼は骨折して、入院したけどすぐに退院できたの。最近は過度なダイエットをしているみたいで、食卓には顔を出さないけど、学校にはちゃんと通ってるし、この前だって友達と遊びに行ったじゃない」
「それがッ、妄想なんだよ」
母は顔を小刻みに震わせながら、荒い鼻息で父を睨む。さらに険しくなった顔に父は背筋を伸ばしていて、僕たちまでもがその姿に背筋をピンとしていた。張り詰めた空気が、こちらまでもを支配して息をするのが苦しくなる。
「真昼は、こうやって模倣している俺ら見て悲しんでる」
「模倣って何よ? 模倣? 模倣なんてしてないでしょ?」
「俺たちが真昼が生きているように振舞うことだ。模倣してるんだよ、俺たちは。あの幸せを」
バンッと机を叩く音が聞こえ、見ると母は苦虫を嚙み潰したような表情で涙をボタボタと溢しながら立ち上がっていた。父の瞳は一瞬揺らぐと、これはまずいと思って僕はドアを開けてリビングの中に入る。
意を突かれた表情を浮かべた母が僕たちを迎え、「海斗……」と呟く。
「真昼は死んだ」
「……海斗まで、何でそんなこと言うの?」
「真昼は幽霊になった。もうすぐで1年になる」
「ゆう、れい?」
「今ここにいる。僕の隣にいる」
僕は横に立って苦しそうな顔をする真昼を視ると、母が僕の視線の先を見る。
「僕には幽霊が視えるんだ。真昼が死んだ日から、ずっと」
僕は目を瞑ると、真昼が僕の体の中に入ってくる。真昼が憑依した体で、目を開けると母は何事かといった表情を浮かべた。
「お母さん、お願いだからもう止めて」
その台詞を発した瞬間、母が目を見開く。口を半開きにし、父の時と同様のリアクションをした。瞳が揺らぎ、目に溜まった涙が滝のようにボタボタと目から落ちる。真昼にそっと近づき、その姿を確かめるように体を触ると、頬を触ってさらに顔を歪めた。
「真昼……?」
「お母さん、お願いだから受け入れて」
「真昼? お母さん、言っている意味が分からないんだけど……」
「お母さん、私辛いよ。お母さんを見ているのが辛い。お父さんも、お兄ちゃんも、見てるのが辛い」
「何で?」
「お母さん、私死んだよ? 死んだんだよ?」
その言葉を発した瞬間、母がまた顔を震わせ、首をゆっくりと横に振る。痛い気な瞳は、真昼に向けられているのにも関わらず、それは僕の心までもぎゅっと締め付けた。こんな感情になったのは、生まれて2度目のことだった。
「現実を見てほしい。じゃないと私、いつまでもあの世に行けない……」
「あの世って何よ……ここにいればいいじゃない。ここにいてよ。何で、何でそんなこと言うの?」
「私は死んでるから。幽霊はあの世に行かないといけない。いつまでもここに残ってられないの」
母の顔が険しい表情から、苦しい表情に変わる。見ているだけで、ぎゅっと体までもが締め付けられるその表情に、真昼は涙を流しながら母に自分の願いを懇願していた。
「お願い、お母さん。お願いだから、受け入れて」
「嫌よ……真昼は生きてる」
「西本真昼は死んだ。3月25日の朝、事故に遭って死んだ」
母がぎゅっと目を瞑ると、立ち上がった父がそっと母の肩に手を置いた。それからしばらく、母が泣き止むことは無かった。夜になっても、真夜中になっても、延々と母は泣いていた。その涙は枯れることを知らず、時間が経つにつれ、どんどん感情が外に流れ出て、脆い心に染みていく。
それは、真昼にとっても同じだった。
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