模倣

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「最近、よな」  航がうどんを啜りながら言うと、僕の顔を見て「大丈夫?」と聞いた。無論、大丈夫ではない。あの後、家の雰囲気は最悪だった。母は何も言葉を発しないし、父も何も言わない。真昼は部屋から出てこないし、僕も当然何も言わない。しばらく無言の状態が続いた。まさにが壊れた後の景色だった。 「家で色々あって」  僕は小さく言うと、味噌汁を啜る。航は聞くか、否かといった葛藤した表情を浮かべながら結局「そっか」と呟き、誤魔化すようにうどんを啜った。 「聞かないんだな」 「人には踏み入れられたくない領域もあるしね」  僕はこくりと頷くと、米を口に運ぶ。この時間帯、僕たちはこれ以上会話を交わさなかった。ただ食堂には騒がしい学生たちの声だけが残って、僕たちが会話しないことも何の不思議にもさせないでくれた。  返却口に食器を返却すると、僕たちは無言で次の教室に向かう。3月25日まであと1週間だった。それまでには母を受け入れさせたい。だけれど、あの母の取り乱し方じゃ難しそうだ。1年という月日は重い。それぞれの思いもどんどん蓄積されていく。亡くなった者へのが溢れるばかりの日々。 「母さんが、真昼が死んだことを受け入れていないんだ」  僕は誰もいない教室で隣に座る航に言うと、航は一瞬こちらを見てそれから「そっか」と言った。素っ気無いと思う人もいるかもしれないけど、僕にとってその言葉は十分だった。 「僕と父さんは、母さんが悲しまないために真昼が生きているように振舞った。母さんは毎日真昼の分まで食事を作るし、僕たちもそうせざるを終えなかった。でも真昼は、その姿を見て、ただただ苦しんでた」  航は口をもごもごさせると「幽霊、視えるんだったっけ?」と言う。僕はこくりと頷くと、信じていてくれたことに嬉しさを感じた。 「真昼は泣いてる。今も、ずっと。真昼は僕たち家族が、真昼の死を受け入れない限り成仏できない。未練を断ち切れない」 「残るはお母さんだけ……」  僕は深く頷くと、航がふーっと息を吐く。深刻な状況に自分が何と口にすればいいかと考えているようだった。 「が、崩れた」 「……、かぁ」 「僕たち家族は結局、模倣した等身大を演じていたんだ。幸せを崩さないために。僕もどこかでそれを望んでいたんだと思う。だから、真昼の死を僕も最近まで受け入れてなかった。真昼が視えるから、さらに。でも真昼に言われたんだ。それは酷でしかないって」 「幽霊にも、幽霊なりの考えがある……」  僕は鞄からノートと筆箱を出すと、ぞろぞろと入ってきた学生たちをぼんやりと眺めた。人が入って来たから、この話は自然と止めになった。 ***  家に帰ると、家は閑散としていた。母と父は仕事でおらず、いつもならリビングでテレビを観ているはずの真昼も今は部屋に籠ってしまっているから誰もいない。ただ静かな世界が、そこにはあった。  僕は階段を上ると、真昼の部屋の前を通ったところで足を止める。だがすぐに足を動かすと、自分の部屋に入った。今はそっとしておこう。精神が不安定な時な変な刺激を与えない方がいい。  荷物をそこら辺にほっぽり、ベッドにダイブすると、そのまま布団にくるまる。日に日に疲れが増している。  一周忌を今からやるのはもう間に合わない。あの様子じゃ、一周忌を開こうとも思っていなかったのだろう。法事は3か月前から準備が始まる。日時、場所、予算の決定をして1か月前には案内状を作成する。2週間前には出欠の確認と席札の作成、会食・引き物の手配、そして当日の役割分担の決定をする。2日前には墓の掃除をし、前日は仏前の準備をする。これらの準備は一切行っているように思えない。何せ、まだ真昼は生きていると信じているのだから。 「あと1週間……」  ぼそりと呟くと、僕はうつ伏せから仰向けになる。真っ白な天井が、僕に降りかかった。それを遮るように僕は目を瞑ると、そのまま枕に身を投げた。  目が覚めたのは、誰かにドアをノックされたのが切っ掛けだった。僕は慌てて「はい」と言うと、体を起こす。真っ暗な部屋の中に一筋の光が母と一緒に差し込んだ。 「ごめん、寝てた?」 「ああ、うん」  まさか母がノックした相手だとは思わず、僕は生唾を呑み込む。それからベッドから体を出すと、床に座った。母は、部屋の電気をつけて僕の前に体育座りをすると体を縮めた。その姿はまるで幼い子供のようで、元々母は小柄だったが尚更小さく見えた。 「何?」  僕はなかなか話を切り出さない母に尋ねると、母はこちらを見てそれから目を反らす。何か言いづらいことでもあるのだろうか。もしかして、真昼のことだろうか。 「辛いって、言ったのはよね……?」  母さんの話はそんな台詞で始まった。僕はこくりと頷くと、母は小さく溜息を吐く。それから顔を膝にうずめると、しばらく無言でいた。僕は何も言わず、ただじっと母が話すのを待っていた。明るい部屋の中で、冷たい沈黙が僕たちの間に流れた。それは前ほどは緊張感はない。でも、それでも苦しい空間だった。 「辛いの? ここにいることが」 「……幽霊は、視える人にしか視えない。だから視えない人には空気ように扱われる。いるのに、気づいてもらえない。そんな日がずっと続くのは、酷なんだ。幽霊にとって、真昼にとって、それは辛いことだよ」  母は顔を上げると、涙を流していた。僕はじっとその泣き顔を眺めると、母が口をわなわなと震わせ、手も震えている。 「真昼は、死んでないわよね……?」  疑問調にいった母が、僕を縋るような瞳で見る。僕はその瞳をしっかり捉えて、それからその縋るような瞳を否定するように、僕は口を開く。 「真昼は、。3月25日に事故に遭って死んだよ、母さん」  僕は静かにそう告げると、母は顔を歪めて、それから一度頷いた。
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