最終話

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最終話

 次の日妻は、普通だった。  普通に会話をし、普通に俺を送り出した。 「いってらっしゃい。コレチカ君によろしくね」  俺が長谷川のいじめに関与していたことに、うすうす気がついている。気がついているのに、問いつめない。最高に、居心地が悪い。  それにしてもなぜ。  なぜ、あいつは俺を庇ったのだろう。  それになぜ、同窓会に出席するのか。  友人もいないだろうし、学校にいい思い出なんてないはずだ。  やはり復讐のためと考えるのが一番しっくりくる。  実際、長谷川の出現によって夫婦関係に溝ができた。これは、あいつの復讐なのでは。  いや違う。単なる自業自得だ。  長谷川は、無関係。  俺が、悪かった。  どうしていじめなんて、してしまったのだろう。  きゃあ、わあ、と会場が沸いて、ハッとなった。  人が集まる中心に、長谷川の顔が見えた。 「芸能人が来た!」 「ドラマ観てるよ」 「カッコイイ」 「サインちょうだい」 「握手して」  嘘だろ。  どうしてこいつらはこんなにも無邪気なのか。気持ち悪いとか暗いとか、散々馬鹿にしてきた相手なのに。いじめて、追い詰めて、排除した人間に、群がっている。  手に持ったシャンパングラスを一気に呷って飲み干すと、会場を飛びだした。  足を止め、振り返る。  長谷川に、謝りたい。戻らなければと思うが、あの中に戻る勇気が出ない。  うろうろしていると、入り口のドアが開いた。出てきたのはスーツ姿の長谷川だった。俺に気づき、「あ、松島」と指を差す。 「昨日はどうも。入らないの?」 「は、長谷川は、もう帰るのか?」 「用は済んだから」  首をかしげると、長谷川がドアを振り返って言った。 「俺を馬鹿にしてた奴らが、手のひら返してちやほやしてくんの、見たかったんだよね」 「え」 「ファンでもないくせにただ芸能人だからってすり寄りやがって」  毒づいてから俺に向き直り、顔を寄せて囁いた。 「コレチカットって言いだしたの、あんただったな」  ひゅう、と喉が鳴った。 「あ、あの、ごめん……、ごめん、本当に。謝ったって、許されないことだって、わかるけど、とにかく、謝りたくて……、本当にごめんなさい」  震える声で、たどたどしい謝罪をし、腰を曲げて、深く頭を下げた。 「気持ちいいか?」  頭の上に、長谷川の声が降ってくる。 「すっきりしたか? 自分が楽になりたいから謝るんだろ。いいよな、そんなことで自分はクリーンになれて」 「ちが……」  違わない。その通りだ。俺は、自分のために謝ろうとしている。  恐る恐る頭を上げると、汚物を見る目で、冷ややかに俺を見下ろしていた。その蔑んだ表情は一瞬でコロッと笑顔に戻り、「なーんてね」とおどけてみせた。 「いいよ、謝罪は受け入れる。謝ってきたの、あんただけだし。まだマシ」 「あ、田宮も、謝りたいって言ってて、でも今日仕事で来れなくて」 「田宮? 誰それ」  頬が、ひきつった。長谷川が笑いながら肩を叩いてくる。 「うそうそ、覚えてるよ。いじめに関わった奴ら全員、顔も名前も全部覚えてる。でも、いじめたほうは忘れるんだよな。あんたもそうだろ?」  長谷川が、手のひらを差し出して、「スマホ」と言った。 「す、スマホ? 俺の?」  長谷川の手のひらが、ひらひらと急かしてくる。尻ポケットからスマホを出すと、ひったくられた。 「はーい、撮るよ。笑って笑って」 「え? え?」  カメラモードの画面に、完璧な芸能人スマイルの長谷川と顔面蒼白で呆然とする自分が映っている。 「死神みたいだな」  撮れた写真を確認してから、長谷川が俺にスマホを返してきた。 「この写真、壁紙に設定して」  どういうことだろうか。ファンサービスのつもりか? 「忘れるな。俺を見るたび思い出せ」 「あ、そういう……、はい、もちろん。……本当に、ごめんなさい」  ネクタイを緩めながら、ニヤ、と口元を歪めた長谷川が、ズボンのポケットに両手を突っ込んで言った。 「テレビは大げさに演出されてあんなだったけど、死のうと思ったことなんて一回もないから。殺したいとは思ったけどね」  殺したい、という台詞におののいていると、長谷川が手を挙げた。道路脇にタクシーが停まり、後部座席のドアが開く。 「じゃあね」 「は、長谷川」  乗り込もうとする長谷川を止めた。 「うどん屋で、どうして俺の奥さんに、全部話さなかった? こいつにいじめられましたって言えば、俺は終わるのに」 「あのね、俺は、恨んでる相手だからって、人を不幸にして喜ぶタイプじゃない」 「……いい人」  涙が込み上げそうになり、やっとのことでそう言うと、長谷川が屈託なく笑った。 「あんたもいい人だよ。生まれてくる子どもは、いじめなんて絶対しない。だろ?」 「しない、絶対、させない」 「よし」  長谷川が、俺の胸をこぶしで突いてくる。 「あんたの淀んだ心の中、お掃除完了」 「それもドラマの台詞?」 「いや、これはオリジナル」  言い置いて、彼はタクシーに乗り込んだ。ドアが閉まるとすぐにウインドウが下がり、長谷川が俺を見上げて口を開く。 「コレチカット臭って、秀逸だよな。俺は好きだよ」  長谷川は天使ではないが、いい奴なのかもしれない。  タクシーを見送ると、軽くなった心と身体で、帰宅した。 「早かったね。二次会行かなかったの?」  パジャマ姿の妻が、テレビを眺めていた。 「コレチカ君いた?」 「うん、これ」  帰り道で壁紙に設定したスマホの画面を見せると、妻が「うわっ」と目を見開いた。 「ツーショット、すごい! 本当に同級生なんだ」 「あの、話したいことがあるんだ」  妻の前に正座をして、改まった口調で切り出した。  全部話した。  妻は何も言わずに聞いていて、最後にぽつりとつぶやいた。 「やっぱりね、そうだと思った」 「ごめんなさい、俺は、本当に最低だった。過去にやったことも、それを隠そうとしたことも、両方、最低だった」 「うん、でも、コレチカ君が許したなら、私はもう何も言わない」  俺は許されたとは思っていない。長谷川は、忘れるな、と言った。 「すごいよ、許すなんて。コレチカ君って本当に天使」  結構いい性格してたぞ、とは言わずに「うん」と同意する。 「赤ちゃんの名前、コレチカにしようかな」 「えっ」 「女の子ならチカちゃん」 「えっ」 「どっちかな?」  いとおしそうに腹を撫でる妻を見て、まあいいかと思った。  幸福のふくらみに、手を添える。 〈おわり〉
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